大将軍(だいしようぐん) (京都府)
古都の意地? 京都に「大将軍」という地名が多いワケ 全国からたくさんの観光客が訪れる古都?京都を歩いていると、ときどき「大将軍」という地名を目にすることがある。これは京都府だけでなく、滋賀県下にもよくある地名である(読み方は各地で異なる)。
なんとも偉そうな名前だが、あの「征夷大将軍」のことではない。中国伝来の陰おん陽みよう道どうに関係した地名なのだ。
陰陽道とは、天体の運行や方位から吉凶を判断し、あらゆる思考や行動の判断の指針にしようとする技術。平安京は、桓かん武む天皇が陰陽道をとり入れて築いた都市で、方位の厄災が重んじられた。
陰陽道における大将軍とは、暦の方角に関する「八将神(軍)」の一神で、この神は「三年塞ふさがり」の方向を示すとされる。
さらに、江戸時代に成立した『和漢三才図ず会え』によると、大将軍は、九相という国の吉詳と呼ばれる園で生まれた八人の王子の一人で、四方を司る役神だとされている。
陰陽道では、集落などで忌いむべき方角に「方ほう除じよ神しん」を祀り、その方向から厄災が入り込まないように守ってもらうという習慣がある。大将軍もまたこの方除神であり、平安京の東西南北には、大将軍にまつわる神社がそれぞれ配置された。たとえば、大内裏の西側には、王城を守るための方除神として「大将軍八神社」が建立されたのである。また、大将軍とはヤマタノァ№チ退治で有名なスサノァ∥ミコトのことだとする説もある。
大将軍という地名は、こうした歴史的事実を背景に、現在まで受け継がれている地名なのである。さすがに、古都?京都らしい逸話といえよう。