間人(たいざ) (京都府京丹後市)
鬼退治に来た聖徳太子の弟が、生母と対座した地
日本海に突き出した丹後半島にある「間人」という場所は、あの聖徳太子と深い関わりをもつことで知られている。
聖徳太子の母である間はし人ひと皇后は、仏教を崇すう拝はいする蘇そ我が氏とそれに反対する物ものの部べ氏とのあいだに争いが起きると、戦乱を逃れて避難した。その避難先がこの地で、それが間人という地名の由来だとされる。
だが、それならどうして間人は「はしひと」ではなく「たいざ」と読むのだろうか。これにはどうも、聖徳太子の弟による鬼退治の伝説が関係しているらしい。
聖徳太子の弟・麻ま呂ろ子こ親王は、三匹の鬼が近隣の人々を苦しめていたため、これを退治することにした。そして、竹野川河口に鬼を追いつめ、天から大きな岩を下ろして封じ込めた。親王が鬼を封じ込めたとされる岩は、周囲一キロ、高さ約三〇メートルという巨大なもので、いまでも竹野川河口近くの海岸にある。
見事に鬼を退治した麻呂子親王は、その後、この地で生母と「対座」し、また、間人皇后は、それからしばらくしてこの地を「退座」したのだという。これらのことから、間人と書いて「たいざ」と読むようになったといわれる。
間人には漁港があり、連日セリ市でにぎわっている。とくに「間人ガニ」は捕獲量が少なく、地元の人でもそう簡単には口にできない幻のカニとされている。