南陽の張不疑(ちようふぎ)は道教の信者で、常日頃(つねひごろ)、一人の道士と往き来していたが、その道士が長い旅に出ることになったので、家に招いて送別の小宴を開いた。そのとき道士は張不疑にいった。
「じつは、あなたは災厄にかかりやすいたちなのです。わたしがこの町にいるあいだは免れることができたのですが、いなくなってからのことが心配でなりません。わたしが戻って来るまでは十分に気をつけてください。第一に、この家で母上といっしょにお暮らしになるのはよろしくありません。それから、母上のためにしろ、あなたご自身のためにしろ、下男や下女をお買い求めになってはいけません。この二つのことをお守りになれば、まず災厄から身を護(まも)ることができるでしょう」
張不疑はそのことを母親の盧(ろ)氏に話した。盧氏も道教を信仰していたので、そのことを聞くと、ある道観(どうかん)の一室を借りてそこで暮らすことにした。張不疑は家にいた下女を母親につけて身のまわりの世話をさせ、毎朝その道観へご機嫌うかがいに行った。
数ヵ月たったとき、周旋屋が盧氏にたのまれたといって張不疑をたずねてきた。その周旋屋はいま盧氏の世話をしている下女をつれて来た男だった。
「崔(さい)氏というひどく貧乏している後家(ごけ)さんがいましてね、娘さんが五人いて、四人は身売りして妓女になっているのですが、いちばん下の金〓(きんこう)という娘さんだけは家に残っているのです。なかなかの器量よしな上に、賢(かしこ)くてよく気のきく娘さんなので、崔氏は可愛くて手ばなせなかったのですが、もうどうしようもなくなり、このままでは二人とも餓え死するよりほかないありさまなので、わたしのところへ話を持って来たのですが、どうでしょうか。お母さまもわたしに、すすめてみてくれといっておいでです」
周旋屋はそういうのだった。張不疑は道士がいい残して行ったことがちょっと気になりはしたが、下女を母親の方へやってしまってから日ましに不自由さが身にしみていたので、それに母親もすすめていると聞いたので、
「とにかく、いちどその娘に会ってみよう」
といった。すると周旋屋はすぐその娘をつれて来た。張不疑は一目見て娘が気に入り、その場で周旋屋の言い値の十五万銭を払って娘を買い受けた。
金〓はただ美貌であるばかりではなく、立居振舞(たちいふるまい)、すべて申しぶんがなく、よく気がきいてこまめに働き、何ごともいわれるよりも先にしてしまうというありさまだったので、張不疑は可愛くてならず、ゆくゆくは妻にしようとまで考えるようになった。
ちょうどそのころ、道士が旅から帰ってきて張不疑の家に立ち寄った。道士は彼を見るなり顔をくもらせて嘆息した。張不疑がわけをきくと、道士は、
「あなたに災厄がふりかかっているのです。もうどうすることもできないでしょう。あなただけではなく、母上ももうこの災厄から免れることはできますまい」
といった。張不疑は、まさかあの金〓を買い受けたからではあるまいと思いながら、
「お別れしてから、お教えどおり母とは別れて暮らしておりますし……」
といった。だが道士は首を振りながら、
「なぜかはわかりませんが、もうわたしには施す術(すべ)もありません。もしかしたら誰かを家に引き入れでもなさったのでは……。そうでなければこんなになられるはずはないのだが……」
というのだった。
「これまでいた下女を母の方へまわしましたので、家に働き手がなくなり、それでさきごろ母のすすめで下女を一人買い受けましたが、よく働いてくれる申しぶんのない女で……」
「その女に会わせてくださいませんか」
「はい。会ってみてください。決してあやしい女ではありません」
張不疑はそういって奥へ金〓を呼びに行ったが、金〓は出て来たがらなかった。いくらいっても、どうしても出て来ようとはしないのである。張不疑がはじめて声を荒くして、
「わたしのいうことをきかぬなんて」
と叱りつけると、金〓はようやく彼のあとにかくれるようにして出て来た。道士は女を一目見るなり、指を突きつけて、
「やっぱり、これだったのか」
といった。すると金〓は、これまで張不疑の一度も聞いたことのない鋭い声で、
「何をおっしゃるのです!」
と道士に向かっていった、
「わたしにもしあやまちがあるのなら、鞭(むち)で打ってくださっても不服はいいません。わたしをもし要(い)らないとおっしゃるのでしたら、放り出してくださっても文句はいいません。ところがそうではなくて、わたしに指を突きつけて、やっぱりこれだったとは、何という失礼なことをおっしゃるのです。何だってあなたは、他人の家のことにいらぬ口出しをするのです」
ところが道士は金〓にはとりあわず、張不疑に向かって、
「手ばなすのは惜しいですかな」
ときいた。張不疑はしばらく考えてから、
「あなたのおっしゃるとおりにします」
と答えた。すると金〓は黙って家から出て行った。道士はそのあとについて行き、張不疑も道士のあとについて行った。
町はずれの山の麓まで行くと、金〓は立ちどまった。すると道士は近寄って行って、錫杖(しやくじよう)で金〓の頭を打った。鈍い音がして金〓は倒れた。張不疑が駆け寄って行って見ると、それは明器(めいき)(死者といっしょに埋める土器)の土人形で、背中に金〓と書いてあった。
道士は張不疑に人を集めさせ、その場を掘らせた。五、六尺も掘ると、古い棺が見えた。棺の傍には五つ六つの明器が置いてあったが、それらはみな道士が殺した金〓に似ていた。棺の前には十万銭がきちんと置いてあった。あとの五万銭は周旋屋の取りぶんだったのだろうと思うと、張不疑はそのときはじめて涙がこみあがってくるのを覚えた。
それからは張不疑は気が抜けてしまったようになって、数ヵ月たつと死んでしまった。母親の盧氏も、息子が死んでから十日ほどたったとき、亡くなってしまったという。
唐『博異志』『霊怪集』