「教官!」
私もいつか堀(ほり)ちえみさんみたいに、風間杜夫(かざまもりお)さんみたいな教官と……。
高校二年のときに、東急東横(とうきゆうとうよこ)線の渋谷駅でスカウトマンに声をかけられたときも、
「またかあ」
ふと見たら、とてもかわいい女の子がスカウトマンと一緒で、そっちのほうに目がいってしまった。いつもだったら、立ち話もしないでさっさと走り去るところだけど、その女の子のせいで、思わず立ちどまった。
男の人に渡された名刺には「スターダストプロモーション」、裏を見ると、「ちびまる子ちゃん」の主題歌を歌っていた、そのころ人気絶頂のB.B.クィーンズなど、有名タレントの名前がいくつも書いてあった。
「それ、みんな、うちの事務所なんだよ」
その人の態度も、そのへんのあやしげなスカウトマンとは違っていた。でも、「ヘエーッ、そうなの」と思っただけで、話の相手にもならなかったのは、いつものとおり。だいたい、父の仕事がら、芸能界なんてめずらしくない。
家に帰って、その晩はみょうにそのスカウトマンのことが気になったのは、一緒にいた女の子のせい。
「あの子、スカウトの助手にしてはかわいすぎる。だれなんだろう」
そんなことも忘れかけていた数日後、またそのスカウトマンと出くわした。今度は一人だった。
「私、けっこうですから」
「じゃあ、とりあえず、連絡先だけは教えておいてよ」
当時は、ちょっと知り合ったらすぐ電話番号を交換するという風潮(ふうちよう)だったし、相手も信用できそうだったので、それには応じたけれど、私はタレントにもモデルにも、まったく興味(きようみ)はなかった。
そのあとも、彼と何度か出くわしたけれど、私の返事は一貫してノー。彼はまだ私がだれの娘なのかを知らない。
そのころ、私は自分の将来の仕事として、スチュワーデスになる夢を抱(いだ)いていた。それも日本航空にかぎる。動機はやっぱり単純そのもの。小学校時代は、テレビの「スチュワーデス物語」という連続ドラマに夢中だった。
「教官!」はともかく、高校生活も半分以上が過ぎたころには、スチュワーデスになりたいという気持ちはますます強くなっていて、あちこちに具体的な問い合わせをしたり、資料を集めたり、人の紹介で現役のスチュワーデスの人に会って、じかに話を聞かせてもらったり、あるいは、父に頼(たの)んでコネを探(さが)してもらったりしていた。
スチュワーデスとして採用されるには、最低でもどこそこの短大を出ていなければならないとか、具体的な学校名まで指定されている。私の偏差値(へんさち)では逆立(さかだ)ちしても受かりそうもないところ。そのころはスチュワーデスになるための倍率もすごく高く、結果的には、とても私なんかに首を突っ込める世界ではないとわかって、ギブアップするしかなかったけど。