女同士というのは、むずかしいところがある。
私が最初に雑誌に出たのは、高校二年、例のスカウトマンに会ってしばらくたったころ。
これは、スカウトマンの誘(さそ)いに乗ったものではない。話をもってきたのは、そのころ家庭教師としてうちに来ていた人で、たまたま『JJ』の編集部にその人の友人がいた。なにかのきっかけで、自分がいま勉強を見ている女子高校生にこんなのがいる、というようなことを話したら、じゃあ、一度会ってみたい、という話になったらしい。
私が梅宮辰夫(うめみやたつお)の娘で、しかもハーフだということで、編集者の興味(きようみ)をひいたのだと思う。『JJ』といえば、私が小学生のころからよく見ていた若い女性向けのファッション雑誌。そこに出ていたモデルさんたちは、私にとっては、まさに雲の上の人。
私の憧(あこが)れの雑誌だったから、出ることにした。
自分としては、モデルなんてとんでもない、ただ読者モデルの一人として出ただけだったから、一回かぎりのつもりだったし、初めての経験で緊張していたせいか、写(うつ)りも気に入らなかった。それは編集者も同じだったと思う。
そのあとでちょっと気になったことがあった。
『JJ』は、私だけでなく、ほかの多くの生徒たちも見ていた。その雑誌に私の写真が出たことで、まわりからなにかしらの反応があるのではないか、私にはとても不満な写りだったので、みんなからばかにされるのではないかと思っていた。
それがまるで無反応。「アンナ、出てたじゃん」でもなければ、「どうやって出たの」でもない。「見たよ」と言ってくれたのは、たった一人だけ。どうして、この人たちはなにか言ってくれないんだろうと、すごく複雑な気持ちだった。
こういうことで、こんなところに出る羽目(はめ)になっちゃって……と、説明したかったのに。もちろん、聞かれもしないのに、自分から言い出すようなことではない。仲よしだった友だちと話していても、しばらくはすごく不安定な気分だった。これも、雑誌に続けて出る気になれなかった理由の一つ。
そんなに大げさに話題にするようなことではなく、私一人が意識過剰(かじよう)になっていただけなのかもしれない……。でも、『JJ』に出るなんて、私にしたら、人生の大事件だった。