青山杉作先生は、トットにとっては、もう「歩く日本の新劇史」というくらい、歴史的な人に思えた。放送に関しては、全く何も知らないトットだけど、映画については、一日に六本立ても見る、という工合《ぐあい》に、かなりのものだったから、映画の中での俳優としての青山杉作先生を、よく見ていたし、映画のプログラムなどで、新劇の演出家として、日本の新劇の歴史の始まりから一緒《いつしよ》に生きて来た人、として知っていた。また、トットに、
「東山千栄子《ひがしやまちえこ》さんと、とても、お親しいんですって!」
と耳打ちした同期生もいたくらい、新劇の中での青山杉作先生は、重要な人だった。
青山先生の授業は、実際の演技指導より、昔《むかし》の新劇の話や、俳優の、心がまえ、などが多かった。先生は、トットたち若い人と話すのも、楽しくて好きだ、と、よく自由に会話をした。
そんな、ある日、トットは、前から知りたいと思ってたことを聞いた。
「松井須磨子《まついすまこ》って、どういう人でしたか?」
山田五十鈴《やまだいすず》が、松井須磨子になった「女優」という映画も見ていたし、日本最初の近代劇をやった女優として、トットは、興味を持っていた。日本で最初にイプセンの「人形の家」のノラをやり、トルストイの「復活」のカチューシャをやり、しかも恋人の島村抱月《しまむらほうげつ》のあとを追って首をつって死んだ人。その人と一緒に芝居《しばい》をした人が、ここにいる! そんな人と話をすることがあるだろうなどと、夢《ゆめ》にも考えたことはなかったから、トットは、ワクワクしながら、聞いたのだった。青山先生は、いつも、とても物静かだった。しゃべるとき、いつも真直《まつす》ぐに首をのばし、ゆっくりとした、口調だった。トットの質問に、青山先生は、少し微笑《びしよう》すると、いった。
「あなたが、あの時代に女優になってたら、もっと有名になってたかも知れませんよ。つまり、それまで、男の役者が女形として、やってた中に、女が入っていって、しかも西洋の芝居をやったんですから、新らしい、というか、変ってるというか、そういうことで、もてはやされたのであって、あなたのように、個性的じゃありませんでした。ふつうの人でしたよ」
……トットは、びっくりした。はじめは、トットの元気がいい事を、皮肉って、先生がいったのか、と思ったくらいだった。でも先生の表情も話しかたも、そういう風には見えなかった。でも、映画の主人公になるような情熱的で、美しく、常人とは違《ちが》う人、と思っていた。それが、ふつうの人だったなんて……。
「そう、本当に、ふつうの人でした」
青山先生は、くり返した。それは、まるで、女優としては、すぐれてはいない、とでもいうように聞こえた。たしかに、トットがその前にラジオで聞いた松井須磨子のカチューシャのセリフや、「羊さん/\」とかいう歌を思い出してみると、当時の録音技術のせいもあるかもしれないけど、女優らしいメリハリはなく、歌の音程も悪く、素人《しろうと》のようだった。でも、やっぱり、誰《だれ》もやっていないことを始めたのだから、偉《えら》い人だ、と、トットは考えた。
そのとき、でも、青山先生は、こんな映画になるような、歴史に永久に残る女優と共演したことを、誇《ほこ》りにしてるようでもなく、まして自慢《じまん》にもしてるように思えないのを、トットは、不思議に感じた。でも、それが青山先生らしい、ということなのかとも思った。同時に、こんな静かな人に見えるのに、自分の考えは、はっきりいう人なのだ、ということにも驚《おどろ》いた。(お寺の息子《むすこ》だと、ご自分で、おっしゃったけど、確かに、達観した風に世の中を見てるとこがある)と、トットは生意気に考えてみたりもした。トットは、その日、授業のあとに、どうしてか自分でもわからないけど、小さい手帖《てちよう》を出して、表紙の裏に、サインをして下さい、と先生に頼《たの》んだ。それは、この前の、ドン・テイラーに頼んだのとは違う、なにか深いところで、(この人の何かに、もっと触《ふ》れたい)といったものが、トットの中にあったのかもしれなかった。青山先生は、帰るためにかぶった、いつものベレーをぬぐと、万年筆を出し、机の前にすわると、少し考えてから書き始めた。畳《たたみ》に正座した先生は背が高いので、書く形になるのには、背中を、うんと曲げなければ、ならなかった。
「芸に遊ぶ」
先生は、こう書くと、トットにいった。
「いつか、わかります。大切なことですからね、女座長さん!」
どういうわけか、青山先生は、同期生の中で、一番、素人っぽく、芝居もヘンで、プロにもなれそうにもないトットのことを、女座長さん! と呼んでいた。
「どうしてですか?」と、トットが聞くと、
「あなたに似合ってるからですよ」
と、冗談《じようだん》とも、真面目《まじめ》ともつかない調子でいった。トットは、喜こんでいいのか、悲しんでいいのか、わからなかった。いずれにしても、「芸に遊ぶ」という状態とは、ほど遠いトットだったけど、いつかわかる日が来るのだろうと、そのノートを大切に持っていた。
あとでわかったことは、この言葉は、孔子《こうし》のもので、「勉強ばかりしないで、遊ぶことも大切です。緊張《きんちよう》を続けないで、たまには、リラックスしなさい」という教えだった。
ある日、先生は、メトロノームを持って来て授業を始めた。先生の授業の中で、一番、よく話が出るのはチェーホフの「桜《さくら》の園《その》」で、その日も、授業は、「桜の園」だった。桜の園の二幕目の幕切れ。ラネーフスカヤ夫人の娘《むすめ》のアーニャが野外で恋人《こいびと》と話してると、遠くから、姉(ラネーフスカヤの養女※[#「ワに濁点」、unicode30f7]ーリャ)の、アーニャを探す声がする。桜の園の上に月が出かかる夕暮《ゆうぐ》れ。誰もいなくなった舞台《ぶたい》に、
「アーニャ! アーニャ!」
という声が寂《さび》しく聞こえる、あの有名な幕切れのところの、テキストが配られた。
トットは、※[#「ワに濁点」、unicode30f7]ーリャをやることになった。
いよいよ話が進んで、トットが、
「アーニャ! アーニャ!」と叫《さけ》ぶところに、なったときだった。いきなり青山先生は、メトロノームの蓋《ふた》を開けると、メトロノームを動かした。カッカッカッカッカッカッカッカッ。メトロノームは規則的に、くり返した。驚いてるトットに先生は、いった。
「いい? アーニャ! と一度いったら、二度目のアーニャは、僕《ぼく》が、合図しますからね、待ってて頂戴《ちようだい》」
なんで、メトロノームが必要なのか、わからないけど、トットは、「はい」といってから、
「アーニャ!」と、叫んだ。
青山先生は、手をあげて、メトロノームの針にあわせると、小さくタクトを振《ふ》った。メトロノームの針が、左右に揺《ゆ》れる。
「カッカッカッカッカッカッ、カ!」
途端《とたん》に先生の長い指が、トットにむけて動いた。「はい!」
トットは、必死に叫ぶ、「アーニャ!」
先生は、「そう、これでいいのよ」と満足そうだった。でも、トットには、わからなかった。青山先生は、他《ほか》の役の人のセリフとセリフの間も、メトロノームを使って、合図し、
「これだけの間《ま》をとって」といった。
青山先生を尊敬してたトットも、これだけは、わからなかった。メトロノームは、トットにとっては、音楽のリズムを刻む、恐《おそ》ろしいものだった。ヴァイオリニストのパパが、お弟子《でし》さんを教えるとき、癇癪《かんしやく》を起すと、必らず、このメトロノームの音が始まった。そして、パパは、こう大声で、いうのだった。
「テンポ! どうして、テンポを守らないの! このメトロノームを聞いて! これに合わせて、始めから!」ときには、「リズムが悪いの! リズムを正しくとるのは、基本なんだよ! メトロノームを、よく聞いて!」
ヴァイオリンの音と、メトロノームの正確なくり返しの音と、パパがリズムをとって床《ゆか》を踏《ふ》む音が一緒になると、それは恐ろしく、家族は、息を殺して、レッスンの終るのを待った。青山先生は、演出家として、絶対、これだけの間《ま》が欲《ほ》しかった。役柄《やくがら》の心の動きや動作を数にすると、このくらいの時間、と計算なさったから、かも知れなかった。
でも、トットにとっては、どうしても、メトロノームは、機械だった。どうして、俳優の、心の中のメトロノームを使わせないのだろう、と、銀色に揺れる、メトロノームの針を見ながら、トットは、思った。