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トットチャンネル(26)

时间: 2018-05-30    进入日语论坛
核心提示:お稽古《けいこ》は「リハーサル」 今日の授業は、今までの中で、一番(現場っぽい!)と、トットは思った。なにしろ、テレビジ
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お稽古《けいこ》は「リハーサル」
 
 今日の授業は、今までの中で、一番(現場っぽい!)と、トットは思った。なにしろ、テレビジョンに出るにあたっての、直接、必要な�言葉�を、教わったのだから。
 先生は、演出家でもあり、また、テレビジョン放送番組研究班(当時は、こういうものがあった)の、副部長の、永山弘さんだった。永山さんは三十代の、とってもハンサムで、スポーツマンタイプの魅力《みりよく》的な人だった。永山さんは、NHKがテレビジョンを始めるにあたって、特派員として、アメリカに送った人だった。永山さんは、アメリカのNBC、CBSといったテレビ局で、実際に勉強して来た。そして、日本より七年前に、テレビの本放送を始めたアメリカでのことを、NHKのテレビ本放送が始まる前に帰って来て、みんなに教えた。そんなわけで、トット達《たち》も、習うことになったのだった。
 永山さんは、その前は、ラジオの「話の泉」や「えり子とともに」の名プロデューサーで、しかも演出力も抜群《ばつぐん》、感覚が秀《すぐ》れている上に、英語が出来ることもあって、派遣《はけん》された。永山さんは、よく響《ひび》く、知的な低い声で、始めた。
 稽古が「リハーサル」
 演出家が「ディレクター」
 お化粧《けしよう》が「メーキャップ」
 稽古や本番の日程とか、時間割が「スケジュール」
 ……いま、テレビ関係者だけじゃなく、一般《いつぱん》の人達が普通《ふつう》に使ってる、こういう言葉は、実は、このとき、永山さんが初めて、アメリカから持って来て、教えてくれたのだった。
 テレビの本番当日の用語も面白《おもしろ》かった。
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○衣裳《いしよう》も、メーキャップもなし、カメラも使わないけど、装置《セツト》は出来てるスタジオの中での稽古を「ドライ・リハーサル」
[#ここで字下げ終わり]
○カメラを使う稽古が、「カメラ・リハーサル」
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
○同じカメラ・リハーサルでも、俳優の立つ位置を決めたり、小道具などの出し入れの手順を確認《かくにん》したり、という風に、止《と》めながらやるのが「ブロッキング」
○本番通りに衣裳をつけ、メーキャップもして、カメラを使っての、いわゆる、通し稽古が「ラン・スルー」
[#ここで字下げ終わり]
 永山さんは、ひとつずつ、英語の綴《つづ》りも書いて、丁寧《ていねい》に教えてくれた。
 次に永山さんは、俳優が、画面に写るときの、サイズの呼びかたを、説明した。
 これは、なんとも、まあ、複雑なものだった。上からいくと、
 顔の大写しが「アップ」
 映画でも、クローズ・アップとかいう、というようなことを知ってたトットも、そのあとに、こんなに細かくサイズがあるとは、驚《おどろ》いた。顔の大写しの次は、顔から下の、のど、きっちり[#「きっちり」に傍点]のサイズが、「ビッグ・バスト」
「そして、この、ビッグ・バストに、�タイト�と�ルーズ�があり、�タイト�は、画面に首までの顔が、きっちり入ることで、�ルーズ�は、ほんの少し、タイトより、ゆるめて[#「ゆるめて」に傍点]、首と顔のまわりに、かすかな空間を入れること。いうときは、タイト・ビッグ・バスト、または、ルーズ・ビッグ・バスト。わかるかい?」
 永山さんは、自信に満ちた力強い声で、いった。それから、次は「バスト」で、これは、おへそから上くらいのサイズで、これにも、�タイト�と�ルーズ�があり、そして「ウエスト」。ウエストは、おへその下くらいまでで、やっぱり�タイト�と�ルーズ�。続いては、あまり使わないけど「ニー・ショット」。頭から、膝《ひざ》くらいまでの絵。そして、全身は「フル・フィギュア」ちぢめて「FF」。これにも�タイト�と�ルーズ�があり、そして、全景が「フル・ショット」
 トット達は、夢中《むちゆう》になって、ノートに書きこんだ。(タイト・バスト。ルーズ・バスト……。タイト・ウエスト。ルーズ・ウエスト……舌を、かみそうだ……)
 それから、永山さんは、ドラマでカメラに写される場合の俳優とカメラの関係を具体的に、黒板に書いて教えた。
 カメラが、いまのように何台もあり、その場で、ズーム・レンズで、クローズ・アップも、FFも撮《と》れるのと、わけが違《ちが》って、当時は、大きいドラマでも、カメラは二台だった。しかも、クローズ・アップのときは、カメラが全速力で、俳優の顔のところまで近づく、という方式だった。永山さんは、黒板に、AカメラとBカメラを描《か》き、二人の俳優が、会話をしてるところを例にした。トットが、(難かし過ぎる)と思ったのは、重いカメラが、アップのために近づく余裕《よゆう》のないときは、恐《おそ》ろしいことに、人間のほうで、カメラの前まで走っていって、クローズ・アップに撮ってもらう、という説明のときだった。しかも、ピントのため、カメラの前の決められた線の上に、きっちり立たなければならず、セリフが終ると、もう一台のカメラが相手を撮ってるときに、電気より早いくらいに走って、もとにもどって、二人が写る、という、やりかたのときだった。
「だから俳優さんは、静かな会話のはずなのに、ハアハアしてるときも、あるんだよ」と永山さんは笑いながら、いった。ナマ放送で、いちいち止めることが出来ないのだから、こんな風に、俳優には、すべての、カット(画)のサイズと動きを、説明し、俳優は、それを台本に書きこんで、セリフと同じように、正確に記憶《きおく》してもらわなければ、ならない、と永山さんは、力説した。
「ドラマの一カット目から、例えば、最後の百十五カットまで、僕《ぼく》は、技術の人は勿論《もちろん》だけど、俳優の人にも、いちいち、図を描いて、説明するんだよ」と、いった。
 百以上もあるカットのうち、自分の出てるところが、たとえ少なくても、その、すべてを憶《おぼ》えることが、どれほど困難で、大変なことかは、永山さんの黒板を見て、よくわかった。AとBのカメラで、「こう撮る」「こっちから撮る」「このとき、このカメラの前まで走って来る」「次、相手を、このカメラで撮ってるから、もとの位置にもどる」「カメラの下をもぐって、こっちに移動する……」ほんの数カットでさえ、黒板は白墨《はくぼく》で、まっ白になってしまった。
 それでも、こんなに丁寧に、すべてのカットのことまで説明してくれたのは、この頃《ころ》では、永山さんだけだった。この後、トットは実際にスタジオで、永山さんの演出のものに出ることになったけれど、永山さんは、新人のトットにさえ、
「なぜ、僕が、ここで君に、こっちを向いてほしいか、といえば……」と、カメラの技術上のことと同時に、その役柄《やくがら》の心理を理解し、その上での画作《えづく》りをしているのだと、ことわけて、教育してくれた。
「とにかく、こっちをむいててくれれば、いいんだから!」と、いうようなことは決して、なかった。
 トットは、最初の、この授業のときから、永山さんをステキと思い信頼《しんらい》し、将来、こういう人と仕事が出来たら、いいのに! と熱心にノートに、出来る限りを記した。
 この二年後の昭和三十年、永山さんはテレビ史上、初の芸術祭賞をとり、芸術祭男と呼ばれた。「追跡《ついせき》」という、そのドラマは、内村直也作で、東京の月島と、東京のNHKのスタジオ、大阪のNHKのスタジオと、大阪の心斎橋《しんさいばし》を結ぶ、四元ナマ放送という、当時では考えもつかないスケールの大きいドラマだった。男性的な永山さんらしい作品だった。NHKの、ありったけのカメラ十三台を駆使《くし》した、というのも、大変な話題になった。
「……お稽古が、リハーサルで、お化粧がメーキャップ……」
 黒船が来て驚いた下田の人達と、あまり違わないのではないか、と思われるくらい、この永山さんの授業は、トットには、新らしく、「文明」という感じがした。
 これは、昭和二十八年の二月一日の午後二時、日本で初めて、テレビの画面がNHKから放送された、少し、あとのことだった。このとき、日本のテレビの台数は、まだ、八百六十六台。大学卒の初任給が一万一千円のこの頃、テレビの受像機は、アメリカ製しかなく、二十五万円くらいもしたから、ほとんど、誰《だれ》も、テレビを持っていなかった。だから、高級な喫茶店《きつさてん》の入口には、
「テレビジョン、有ります」
 という貼《は》り紙があったりして、繁昌《はんじよう》した時代だった。
 永山さんの、この生き生きとした授業を、トットは、いつまでも、なつかしく、思い出した。
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