ラジオのガヤガヤのほうは、どうも、うまくいかないトットだけど、テレビのほうでは、どうだったか、というと……。
テレビでは、ラジオの雰囲気《ふんいき》作りのガヤガヤにあたる人達《ひとたち》を、「通行人」または、「仕出《しだ》し」、ときには、「エキストラ」「群衆」という風に呼んでいた。これもラジオのガヤガヤと同じで、雰囲気とか情況《じようきよう》を作るためなのだから、一人だけが目立っては、いけないのだった。
例えば、喫茶店《きつさてん》で、人妻と、その浮気《うわき》の相手の男性が、ヒソヒソ話をしている。この二人が主役だとすると、その二人の廻《まわ》りには、男女のカップルだとか、男性一人で、新聞よみながらコーヒー飲んでるとか、恋人《こいびと》を待ってるらしい女の人とか、女同士が三人くらいとか、いろいろ、すわっている。テレビで見てる限りでは、別に、この�仕出し�と呼ばれる人達が難かしいことをしてるように見えなくて、(出演料もらって、コーヒー飲めるなんて、いいなあー)と思う人がいるに違《ちが》いない。ところが、実際、こういう人達は、いつ、どこから写るかわからないから、いつ写っても大丈夫《だいじようぶ》のように、喫茶店の客らしい演技をし続けていなくちゃならない。相手がいる人は、ずーっと何か、話している感じを、持続させる必要があった。かといって、自分たちの話に熱中して、
「だから、パンダが、子供産んだらサ!」
なんて大声でいうと、これは、主役のマイクに声が入って邪魔《じやま》になるし、熱中し過ぎる演技は、目ざわりになるので、万事、ひかえ目でなくちゃいけないのだった。中でも、絶対にしては、いけないことは、主役の俳優をジロジロ見ることだった。仕出しの中には、スターを初めて、身近に見る人も多いから、つい、ジロジロ見て、
(わあー、あの人、案外、そばで見ると、シワが多いのねえ?!)
なんて、小声で、つれに話したりすると、これは、ドラマの筋を、違う方向に持っていってしまうことになるのだった。つまり、ジロジロ見てるところがカメラに写ったとすると、これは、テレビを見てる人に、
(あ! 浮気をしてる、ってこと、いまの人が、きっと旦那《だんな》に伝えるに違いない! そういう役の人だ……)とか、
(人妻の旦那が、やとった女探偵《おんなたんてい》かしら?)
とか、思わせちゃうからだった。
そうかといって、カップルが、下をむいて、だまって、何も言わないで、コーヒーを、すすってるだけだと、これまた、見てる人に、
(何か、特別に哀《かな》しい結末を迎《むか》える二人か?)
とか勘《かん》ぐられて、これも、さまたげになる。要するに、喫茶店のお客らしく、口は、ちゃんと開けて話はするけど、声は、あまり出さないようにして、そうかといって、ヒソヒソ声には、ならないように。いかにも実《み》のあることを話しているようにして、実際は熱中せず、体は、あまり動かさない。しかも、そのシーンの間中、テストも入れて何時間になっても、緊張《きんちよう》を持ち続けること。お水が欲《ほ》しいからといって、ウェイトレス役の人を、勝手に呼んだりしては、いけない。ウェイトレスやウェイターの動きは、全部、演出で決まっているのだから……という風に、ほとんど、ガンジガラメなのが、仕出しの仕事、といえた。
しかも、テレビ見てて、主役以外に、目が、そっちの仕出しのほうに一度でも行かなければ、最高の出来!! という、考えてみると、なんとも難かしいのが、この仕出しだった。
ついでにいうと、ウェイトレスのように、主役のそばに行って、
「御注文《ごちゆうもん》は?」
と聞いて、ひっこみ、用意されたコーヒーなどを、お盆《ぼん》にのせ、主役二人の、セリフか、動きの、きっかけで、
「お待ちどおさまでした」
と、テーブルに置く、たったこれだけでも、かなりの年月が必要とされた。
後《のち》に、NHKのテレビ、「事件記者」でお馴染《なじ》みになった俳優の原|保美《やすみ》さんは、初めての役が、ウェイターだった。しかも、これが、あの、日本映画史に残る、
「愛染《あいぜん》かつら」
田中絹代さんと、上原謙さんの二人に、コーヒーを出すことになった。ところが、新人の原さんは、どうしても、あがっちゃって、ふるえが止《と》まらない。だから、コーヒーカップとお皿《さら》を出そうとすると、カタカタカタカタ、と物凄《ものすご》い音がする。コーヒーは、チャポンチャポンと、こぼれる。主役の二人のセリフより、カタカタの音のほうが大きいから、何度もN・G(ノー・グッド)が出る。とうとう最後に、大きな絆創膏《ばんそうこう》で、お皿とカップを貼《は》りつけて、やっと、出した、というエピソードがあるくらい、これは、年季の要《い》るものなのだった。
さて、トットが、初めて、テレビの通行人で出ることになった番組は、当時、ブギウギで大スターだった、笠置《かさぎ》シヅ子さんの歌が入るドラマだった。トットは、この笠置さんの後ろを通る、街の娘《むすめ》だった。
笠置さんは、うんとふくらんだパラシュート・スカートで、お魚屋さんの店先の前に立っていた。お魚屋さんといっても、今のセットのように、お店とか、いろいろ立体的なものなど、なくて、ただ、お魚の絵が沢山並《たくさんなら》べて描《か》いてある、書き割り、という、一枚の絵の、セットだった。音楽が始まった。笠置さんは、リズミカルに、手を、うんと動かして踊《おど》りながら、
「鯛《たい》に平目《ひらめ》に 鰹《かつお》に鮪《まぐろ》に ぶりに鯖《さば》」
という買物ブギを、お歌いになった。
トットは、ラジオのスタジオより、ずーっと高い所にあるガラス箱《ばこ》の中にいる演出家から、レシーバーで命令をうけて、スタジオの中でキューを出すF・D(フロアー・ディレクター)の指図で、歩き出した。トットの考えでは、町のまん中の、お魚屋さんの前で、パラシュート・スカートをはいて、大きい声で歌いながら踊ってる女の人がいたら、それは、珍《めず》らしいし、面白《おもしろ》いことだし、変っている、と考えた。だから、
(これは興味がある!)と、いう風に、歩きながら笠置さんを観察し、顔なんかも、横から少しのぞいたりして、通り過ぎた。途端《とたん》に、スタジオの中に、ひびき渡《わた》るスピーカーから、ディレクターの、怒鳴《どな》る声がした。
「ちょっと、いまの後ろ、通った人! すーっと通ってよ! すーっと!!」
トットは、びっくりした。
(どこの世の中に、こんな面白いことが起ってるのに、見もしないで、すーっと通る人が、いるんだろう……)でも、仕方がないから、
「はい」
といい、もう一度、音楽の前奏が出て、笠置さんの歌が始まった。トットは、とにかく、すーっと、通った。
(これで、よかったかしら?)と、思った瞬間《しゆんかん》、更《さら》に、大きい声が、ガンガンと、来た。
「なに? いま後ろ、黒い影《かげ》みたいなものが通ったけど……」
(影?)トットは、思いがけないことに驚《おどろ》いた。ディレクターは、いった。
「テレビはね、タテに歩くときは、走ってもいいけど、横に歩くときは、たったこれだけの、ブラウン管のサイズなんだから、すーっと、本当に大股《おおまた》で歩いちゃうと、ほとんど、早すぎて、見えないの。ジロジロ見ないで、前方に用事あり気に! で、さっさと歩いているように見せて、実は、歩幅《ほはば》を盗《ぬす》んで、時間をかけて、なるたけ、ブラウン管の、はじから、はじまで、よく写るように。でも、目立たないように、すーっとね。わかった?」
……わかりっこ、なかった。
笠置さんは、大スターなのに、苦労人らしく、ちっとも機嫌《きげん》を悪くしないで、
「大変でんなあー」
と、いって下さった。もう一度、テストが始まった。トットは、前方に目をやって、どんなに面白そうでも、笠置さんを見ないようにして、なるべく距離《きより》を進まないように、動きも、スローモーション的に、手や足を、ゆっくり動かして、とにかく、横切った。スタジオの中のみんなも、息を殺してる、という風だった。まだ、曲が終りきらないうちに、スピーカーから、凄《すご》い声がした。
「きみ! それじゃ忍者よ。君は忍者じゃないんだからね……。もう帰っていいよ。ああ、伝票は、つけとくからね!」
これで、テレビ初出演は、ラジオと全く同じように、おろされる、という形で、終った。同期生が、スタジオのカメラの前で、いろんなことをしてるとき、トットは、また、スタジオの外のベンチで、本を読みながら、みんなが終るのを待つ、ということになった。
そういうときの、慰《なぐさ》めは、大岡先生だった。大岡先生は、いつものように、突然《とつぜん》、ふっ! と現れると、トットのすわってるベンチに、横ずわりみたいに、かけると、例の、片手の甲《こう》で口をかくすようにして、
「トットさま、今日は、どちらのお仕事?」
と聞く。
「あの、ここなんですけど、もういい! って言われたんで……」
というと、大岡先生は、別に深く追求することも、また、力づける、という風もないけど、なんとなく、
「ふ、ふ、ふ」
と、笑って、
「何、およみ?」
と、トットの読んでる本の表紙など見ると、
「じゃ」
とかいって、あっという間に、どこかに姿を消してしまう。そして、しばらくすると、また、ふっ! と、隣《とな》りにすわって、
「トットさま、今日は、どちらのお仕事?」
と、さっきと同じことを、聞くのだった。トットは、もう馴《な》れっこになっていたから、また、さっきと同じように、
「ここのスタジオなんですけど、もう、いい! って、言われたんで……」
と答える。大岡先生の、おかしいことは、一日に何度でも、NHKの中で逢《あ》う限り、それが廊下《ろうか》だろうと、エレベーターの中であろうと、トイレの前であろうと、必ず、
「トットさま、どちらへ?」
と聞く。たった今、一分前に逢ったときでも、逢えば、また、
「トットさま、どちらへ?」
と聞くのだった。決して、耄碌《もうろく》してるのでもないのに、(どうして、こう同じことを聞くのだろう)と、トットは、いつも、いぶかしく、また、おかしく思った。(ちゃんと聞いてないのかな?)と思うと、そうでもないようで、つまり、そういう性格の人なのだろう、と思うしか、なかった。でも、一人ぼっちで、スタジオの外で友達を待ってるトットにとっては、
(おかしいなあー、同じこと何度も聞いて……)
とは思いながらも、やはり大岡先生が、足音を全くさせないで、気がついたときは、隣りにいる、という不思議なやりかたで、
「トットさま、今日は、どちらのお仕事?」
と、聞いてくれるのは、何か滑稽《こつけい》でもあるけど、一人じゃない、という気がして、うれしかった。もしかすると、大岡先生は、トットたちの受け持ちという仕事も終って、NHKの中でヒマだったのかも、知れなかったけど……。
このあと、何十年も経《た》ち、大岡先生も亡《な》くなってから、このころの、
「トットさま、今日は、どちらのお仕事?」
と、一日に何度も隣りにすわってくれた、あの「大岡老人」、とみんなに呼ばれていた姿と、何もわからないで、自分では間違ってない、と一生懸命《いつしようけんめい》やってるのに、どこに行っても、おろされて、それでも、そんなに絶望もしないで、そんなものだろうと、大人しく、本なんか読んでた自分の姿を思い出すと、何か、痛いような哀《かな》しみで、トットは、涙《なみだ》するのだった。
でも、その当時、おろされて泣いたことは、一度も、なかった。