私が、昨年の冬、とても驚《おどろ》いたのは、田村町の、NHKのあった場所が、アイス・スケート場になっているのを、発見した時です。昭和四十八年に、NHKは渋谷に引越《ひつこ》し、放送センター、という風になりました。そして、長いこと、田村町のNHKだったビルは、灰色のまま、まわりの新らしいビルに、はさまれた形になっていました。そして、突然《とつぜん》、ある日、「日比谷シティ」、という、ヤングの人達の、よろこびそうな名前になり、お休みの日など、若い人が沢山《たくさん》、出入りする、ビルと、広場に、姿を変えたことを、車の中から見て知りました。でも、それが、冬はスケート場になる、とは、思ってもいませんでした。民放テレビの放送記念日に、萩本欽一《キンちやん》さんと久米宏さんと、私の三人で、「テレビ」、について話すことになりました。そこで、それぞれ、最初にテレビに出た場所に立って、当時を振《ふ》り返って話し、それを挿入《そうにゆう》の録画として使うことになりました。それで私は、放送センターに引越してから久しぶりに、田村町に行ったのです。今は、田村町、という名前もなく、交叉点《こうさてん》は、西新橋一丁目。そして、あの、ラジオやテレビのスタジオだった辺りが、スケート場になっていることを、知ったのです。軽快な、いま風な音楽にのって、若い男女が、楽しそうに、腕《うで》を組んで、すべっています。(ここで、苦しんだり、泣いたり、悩《なや》んだりした人達が沢山いたのだ、なんてこと、みんな知らない!)。あたり前のことですけど、私は、多少、センチメンタルな気分になったのでした。
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