数年前のあるとき、小川宏モーニングショウから、「私の逢いたい人」というコーナーに出て下さい、とおはなしが、ありました。どんな人でもいい、自分の思い出の中にいる人で、逢ってみたい人を、探して下さる、そして、御対面をする、というコーナーです。私は、ふと、この女座長さんに逢ってみたい、と思いました。あの終戦のゴタゴタのとき、父はシベリアの捕虜《ほりよ》、東京の家は焼け、身寄りも、ほとんどない青森で、長屋みたいな家に住んでた私のところに来て、熱心に女優にならないか、と、さそって下さった有難《ありがた》い方《かた》。若かった私に、なんかの意味で、自信を、あたえて下さった、あの女座長さんに、ひとこと、
「あのときの、お礼を申しあげたい」
と、思いました。そして、「あのときは、思ってもいませんでしたが、こうやって女優になってみますと、一番最初に、スカウトして下さったのは、あなたでした」。現在の私があのときの中学生だった、という事を、知って頂きたい、とも思ったのでした。小川宏ショウは凄《すご》いところで、ほとんど手掛《てがか》り、というものがない、この女座長さんを、とうとう、私の出演する朝までに、探して下さったのです。いよいよ、御対面! という時が来ました。私は、ドキドキしました。そのとき、小川さんが、黒いリボンのかかった写真の額を抱《だ》くような形で、私に見せて下さり、そして、おっしゃいました。
「このかたですか?」
それは、まぎれもなく、あの日、薄暗い電球の下で、私を尋《たず》ねて下さった、あの女座長さんでした。名前は、湊川《みなとがわ》みさ代さん。
残念なことに、湊川さんは、四十九歳という若さで、亡《な》くなってしまっていたのです。亡くなって、十年になる、ということでした。
「お礼を申しあげたかったのに……」
私が泣きそうになっていうと、小川さんが、御主人と電話が、つながっている、ということで、受話器を渡《わた》して下さいました。電話のむこうの、やさしそうな御主人は、そのとき、こう、おっしゃったんです。
「彼女《かのじよ》は、あなたがテレビに出始めた頃、�あっ、この子だわ、やっぱり、なったわね�と、見つけて、知っていました。そして、�必ず、この子は、よくなるわ�とも、いってました。そして、あなたの番組は、必ず[#「必ず」に傍点]、見て、いつも、よろこんでいました」
私は、涙《なみだ》が、とまりませんでした。
(ちっとも、知らなかった……)。
私のことなんか、よく憶《おぼ》えては、いらっしゃらないと思ってたのに。本当に、御対面、できなかったことは残念でした。せめて、「有難うございました」を、お伝えしたかったのに……。御主人は、「これからも、頑張って下さい」、と、おっしゃって、電話を、お切りになりました。
黒いリボンのかかった写真の中の女座長さんは、あの、雪之丞変化《ゆきのじようへんげ》で、颯爽《さつそう》としてた時と、ちっとも変っていないように見えました。