大岡龍男《おおおかたつお》先生のことは、この、あとがきを書く頃、(こんなにも写生文の作家として、すぐれていた方《かた》だったのか!)という資料が集まって、私は混乱しています。「大岡先生」という、一冊の本が書けるくらいです。
例えば、作家の富士正晴先生は、お作品の「高浜虚子《たかはまきよし》」の中に、こんな風に、大岡先生のことを書いてらっしゃいます。
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「「ホトトギス」は毎月やってくるが、父はその雑詠欄《ざつえいらん》を巻頭から見て、巻末のあたりでようやく自分の一句を発見して、嬉《うれ》し気に赤鉛筆《あかえんぴつ》で傍線《ぼうせん》をひき、句稿《くこう》の方にも同じ句に傍線をひく。(略)
わたしの方はその散文の方を時々|退屈《たいくつ》まぎらしによんでいた。何しろ大分昔のことで、ほとんど記憶《きおく》していないが、NHKに勤めていた大岡竜男という人の文章(私小説的なものであったが、「ホトトギス」では写生文というだろう)が悲し気で、つつましやかで、おとなしくて、読むのが好きだった気がする。「山会」とか何とか称して、虚子のところに集って読む写生文が多くのっていたが、大岡竜男のそれと、虚子の以外、余り印象に残っていない。」
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そして、また、ほかの頁にも正晴先生は、大岡先生の作品を、
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「実に温和|淳良《じゆんりよう》な精神の私小説(しかし、これも写生文である)は出ている度《たび》に必ず読んだ。きっと単行本になっていると思うから、それを知りたいと思う。読みたい欲望が非常にある。「ホトトギス」を見ればわかるが、父の死後、大阪府立図書館に寄附《きふ》してしまったので見ることが不可能である。」
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と、書いてらっしゃいます。
また、大岡先生の「長篇《ちようへん》小説 嫁《よめ》」には、吉屋信子さんが、長い序文を、お書きになりました。