NHKラジオの演出家の中で、指折りと言われている近江浩一さんが、スタジオで、トット達《たち》に、お説教をした。それは、トット達の仲間では、ないけれど、トットくらいの年の、どこかの女優さんが、セリフが言えなくて、何度も何度も、近江さんに、やり直しをさせられてるうちに、とうとう泣き出してしまった時だった。近江さんは、その泣いている人に言うことを、ついでに、トット達にも知っておいてもらいたい、と思ったらしく、こう言ったのだった。
「スタジオで泣くっていうのは、甘《あま》えてる証拠《しようこ》なんだぜ。本当に、せっぱ[#「せっぱ」に傍点]つまっているとき、人間は、泣く余裕《よゆう》なんか無い! 泣く暇《ひま》があったら、その分、なんとか考えて、うまく芝居《しばい》をするように。本当に泣きたかったら、河原に行って泣きなさい。スタジオで泣くのは、恥《はず》かしいことと、今日から肝《きも》に銘《めい》じておくこと。泣くときは、一人で、河原に行って泣く!」
(なるほど)
と、トットは思った。たしかに、スタジオで泣きたい時はあるけど、泣いてる暇は、無い。河原なら、誰《だれ》もいないし、成程《なるほど》、昔《むかし》の人は、いいことを、いう。
(それにしても)
と、トットは考えた。
(このNHKのある新橋から、河原というのは、随分《ずいぶん》、遠いなあ)
すぐ頭に浮《う》かぶ河原といえば、小学校のとき、学校から散歩に行った多摩川だった。
(わあ! いちいち、多摩川の河原まで、泣きに行くのは大変だ!!)
トットは、ひそかに、そう思った。でも、近江さんの言う通り、たしかに、スタジオで泣くのは、恥かしいこと、と思えた。泣く時間があったら、その分、なんとか、つらくても切り抜《ぬ》けよう……。
そのとき、スタジオにいた中年の女優さんが、そっと、トットに教えてくれた。
「どうしても、涙《なみだ》が出て困るときは、舌の先を、少し、歯で噛《か》んでごらんなさい。涙は止《と》まりますよ。私も、昔、先輩《せんぱい》に教えて頂いたんだけど。これは、本当に、不思議に止まるのよ。悲しいことだけど、せめて、こうやって、止めて、仕事をしていくしか、ないものねえ」
苦労人らしい、その、あまり有名ではない女優さんは、老眼鏡を、はずしながら、そういった。トットは、決心した。
「芝居が下手と言われたり、セリフを何度も、やり直しさせられたり、役を降ろされたり、誰かに、ひどい事を、いわれたり、そういう、悲しい、と思えるときでも、泣くのは、やめよう。どうしても、涙が出そうになったら、舌の先を噛んで、我慢《がまん》しよう。そして、本当に、どうしても、泣かなくちゃ気が狂《くる》いそうなときに、河原に行こう!」
そして、本当に、トットは、その日以来、ただの一度も、スタジオの中で泣いたことは、なかった。自分と関係のない事柄《ことがら》で涙を流すことはあっても、自分のことで泣いたことは、一度もなかった。泣き虫のトットだけど、この近江さんの言葉は、強く印象に残った。
「泣くときは、河原に行って泣け!」
そして、毎日が忙《いそ》がしく、また怠《なま》けもののトットにとって、多摩川まで、電車を何度か乗りかえて行って、泣く、というのも、おおごと[#「おおごと」に傍点]で、結局、行かずじまいになってしまった。
それにしても、舌の先を噛む、というのは、霊験《れいげん》あらたかだった。ちょっと噛むだけで、出かかった涙は、止まった。涙腺《るいせん》と舌と、どういう関係があるのかは、わからないけど、とにかく、止まった。心の苦痛が、舌の先の苦痛で、やわらぐ、というのも不思議だった。
「こんなに、しょっちゅう噛んでいて、いつか、舌癌《ぜつがん》にならないかしら?……」
そんな心配が頭を、かすめることは、あったけど、泣かないことが、先決だった。
顔で笑って、心で泣いて、涙が出かかりゃ、舌を噛む。自分で選んで始めた仕事にもせよ、なかなか大変だ! と、トットは思った。
ところが、しばらくして、トットは、自分が大きな間違《まちが》いをしていたことを発見した。それは、あのとき、近江さんは、
「泣きたいときは、河原に行って泣け!」
といったのではなく、
「泣きたいときは、廁《かわや》に行って泣け!」
と、いったのだった。トイレを廁、というのは、軍隊で、よく使ったそうだけど、トットには、あのとき、
「河原《かわら》」
と、聞こえたのだった。トイレなら、スタジオの、すぐ傍《そば》にも、あったのに……。
でも、おかげで、トットは、舌の先を噛みながらも、メソメソせず、誰を恨《うら》むこともなく、前むきに歩いて行くことを、教わったのだった。