(考えてみると……)と、トットは思った。
(これは凄《すご》いことなんだ!)
トットは、隣《とな》りの鏡の前で、ただでも大きい目を、もっと大きく見えるように、鏡に顔をくっつけるようにして、目《め》ばりを描《か》いてるエノケンさんを見ながら、そう思った。トットにとって、夢《ゆめ》や憧《あこが》れを持って入った芸能界ではなかったし、あんまり一どきに、沢山《たくさん》の有名人に逢《あ》ったせいもあって、いちいち、感動は、しなかった。
(でも、本当は、大変なことなんだ……)
なにしろ、トットが小さい時、お誕生日《たんじようび》に、パパからプレゼントしてもらった、手廻《てまわ》しの映写機に写るのは、いつも、チャップリンと、エノケンさんだった。アクロバットのような身軽さと、面白《おもしろ》い顔と演技。何回、くり返して見たか、わからないくらいだった。歴史上の人物とさえ、思っていた人だった。その、エノケンさんと、かけ出しの私が、いま、話をしたり、セリフを言い合ったりしてるんだもの……。そう思って見廻してみると、この世界に入らなければ、遠くのほうから、画面とか、舞台《ぶたい》だけで、見させて頂くはずの方々に、毎日、逢っているのだった。しかも、ふだんの顔のままの、御本人《ごほんにん》に。
例えば、�海老《えび》�サマだった、後《のち》の市川団十郎さんとは、ラジオのスタジオで、お逢いしたのだけれど、びっくりするほど、顔の色が黒かった。「光源氏《ひかるげんじ》」の時は、真白い顔の色だったので、余計、そう見えたのかも知れなかった。そして、着物の胸元《むなもと》からは、ラクダのシャツが、のぞいていた。でも、真実、やさしそうな笑顔だった。それは親しみやすく、光源氏より、更《さら》に、色っぽい、ドキドキするような男性だった。
丹波哲郎《たんばてつろう》さんは、ラジオの公開放送のために、汽車旅行を一緒《いつしよ》にしたのだけれど、トットの目を、じーっと見つめて、それから、自分の鼻を、人さし指でさして、こういった。「きみ、こういう人を、好きにならなくちゃ、駄目《だめ》なんだぜ! ハ・ハ・ハ!」
響《ひび》きのある、少し不良っぽい、それでいて、大人じみた声で、トットは、面白かった。
テレビ初期の大ヒット番組、「私の秘密」の解答者の藤浦洸《ふじうらこう》さんは、同じ解答者の、渡辺紳一郎さんや、藤原あきさんに、テレビの化粧室《けしようしつ》で、本番前に、こんなことを、いっていた。「コレラが外国で発生して、�コレラって、どんな症状《しようじよう》になるんだ?�って、みんなが言うからさ、�俺《おれ》みたいになるんだよ�っていうと、みんなが、�ああ、そうですか、成程《なるほど》!�って納得《なつとく》するんだよ。つまり脱水《だつすい》状態になったときの、見本だね」みんなが、ドッと笑った。そのくらい藤浦洸さんは、やせていて、小さくて、しわが一杯《いつぱい》あった。でも、元気一杯で、全身が感性のような人だった。
藤原あきさんは、藤原義江さんと別れて、資生堂のコンサルタントをしている時期だった。年をとっても美しい女性の、代表だった。しわなんか、一本も、なかった。あきさんは、メーキャップさんに、こぼしていた。
「みなさんが、私の着物を楽しみにして下さるんで、毎週、変えるようにしてるんだけど、あんまり大変なんで、この間、安いもの着たのね。テレビって、その点、ちょっと見[#「ちょっと見」に傍点]が、良ければ、いいと思って。そしたら、すぐ、お友達《ともだち》から言われちゃったわ。�あなた、どうして、あんな安物、着るの?�って。画面て、なんて正直なんでしょうね」
あきさんは、トットのパパとも親しいせいもあって、トットにも、とても親切にして下さった。着るもののアドバイスとか、お化粧のコツとか。なかでも、トットが忘れられないのは、あるとき、小さい声で、こんな風に、おっしゃったときだった。
「はっきり言って、お化粧品てね、つけることより、取ることを大切に考えたほうが、いいのよ。高いクリームをつけるより、安いのでいいから、沢山、使って、よく、お化粧を落すこと。高いもの使うと、落すのにも、ケチるでしょう? それは、ダメ。安くてかまわないから、ジャンジャン使って、ガーゼで拭《ふ》いてみて、お化粧の残りが、全く、つかなくなるまで、落すの。それと、自分の顔や体に、手をかけること。いいこと? 手をかけるのと、かけないのとでは、私くらいの年になったとき、とっても違《ちが》ってくるのよ。いまから、お始めになると、随分《ずいぶん》、いいわ。女の人は、奇麗《きれい》でいなくちゃ、つまらないじゃない?」
あきさんは、顔だけじゃなく、どこもかしこも、美しいだろう、と、トットは思った。それにしても、夫も子供も捨て、イタリアまで、年下の藤原義江さんを追いかけて行き、「姦婦《かんぷ》!」とまで新聞に書かれた、あきさんが、「お化粧は、よく落すことが、何より」と地味な話に熱心なのが、心に残った。これから、しばらくして、あきさんは、タレント議員第一号として、参議院に立候補し、最高得票で、当選することになるのだった。
森繁久彌《もりしげひさや》さんほど、スタジオが、華《はな》やか、というか、賑《にぎ》やか、というか、派手っぽくなる男優さんは、他《ほか》にいなかった。森繁さん出演のテレビは、いつも女優さんの数も多かった。そして、なんとなく、みんな競《きそ》い合って、はなやいだ雰囲気《ふんいき》を作り出した。トットから見ると、はるか年上の、大人中の大人に見えた森繁さんだけど、あとで数えてみると、まだ四十|歳《さい》くらいだった。本読みの時も、テレビのスタジオの待ち時間でも、森繁さんは、みんなに、楽しい話を、たて続けに聞かせた。みんなが笑いころげ、特に女優が喜ぶのを見て、自分のほうも、たのしむ、という感じだった。何もかもが充実《じゆうじつ》していて、男の盛《さか》りとは、こういうことを言うのだろうと、トットは観察した。
ある時、ドラマの中で、森繁さんと一緒の場所から出ることになって、トットは、薄暗《うすぐら》いところに立って、キューを待っていた。森繁さんと二人だけだった。勿論《もちろん》、それまで、何回か森繁さんとは、お話もしたし、芝居《しばい》もしていた。でも、二人だけというのは初めてだった。そのとき、森繁さんが、ひょっ、と軽い感じで、こういった。
「どう? 僕《ぼく》と一回!」
瞬間《しゆんかん》、トットは、その意味が、わからなかった。芝居のこととか、そういうことじゃないことは、わかったけど、何を指しているのか、はっきりしなかった。
(キスのことかしら?)と、トットは思った。(それとも……!)トットは、森繁さんに失礼とは思ったけど、小さい声で、聞き直した。
「何をでしょうか?」
森繁さんは、だまって、トットの手をとると、手の甲《こう》に、ちょっとキスした。そのとき、キューが出て、トットも森繁さんも、何くわぬ顔で、その場所から、明るい所に出た。トットは、カマトトではなかったけど、あまり、そこらへんのことは、よくわかっていなかった。でも、悪い気持はしなかった。それは、森繁さんが、新人の女の子を、自分の思い通りにしようとしているスター、といった、昔風《むかしふう》の感じじゃなかったからかも、知れなかった。それ以後、森繁さんは、二人だけになると、「どう? 一回!」と口ぐせみたいに言い、トットも、「何を一回ですか?」といって、それからは、もう二人の合言葉のようになってしまった。そんな中でトットは、おぼろ気ながら、人間というものは、ほんの一瞬にもせよ、そういった、色っぽい、というか、しなやかな雰囲気というものが、大切なのだろう、と感じていた。
丹下《たんげ》キヨ子さんは、女性のコメディアンとして、放送界で、一世を風靡《ふうび》していた。大勢の男性のコメディアンに囲まれて、たった一人で、軽く、いなしている、という風だった。「女傑《じよけつ》」とも呼ばれていた。その丹下さんが、ある時、ラジオのスタジオに入って来ると、
「暑いねえ」
といって、さっさとブラウスを脱《ぬ》いでしまった。そのとき、トット達、女性しかいなかったけど、ラジオのスタジオで、ブラウスを脱いじゃう、というのは、びっくりすることだった。たしかに、暑かった。冷房《れいぼう》というようなものの無い時代の夏のスタジオは、扇子《せんす》くらいでは、追いつかない暑さだった。
ブラウスを脱いだ丹下さんを見て、トットは、ドキッ!! とした。あんなに奇麗なスリップとブラジャーというものを、トットは、アメリカ映画でしか、見たことがなかった。薄いベージュ色のサテンのスリップと、白のブラジャーで、どっちもレースがついていた。そして、ブラジャーの中の胸は、思ってもいない程《ほど》、豊かだった。女傑と呼ばれ、男っぽい喋《しやべ》りかたをしてる丹下さんの、本当の姿を見た思いがした。真白い輝《かがや》くような肌《はだ》も、丹下さんの女らしさを表わしていた。トットが、そんな風にショックを受けてる、なんて、全然、気がついていない丹下さんは、あの独特の低い、張りのある、笑わないではいられない喋りかたで、ディレクターに、叫《さけ》んでいた。
「ちょっと! そろそろ、始めてもいい頃《ころ》じゃないの?」
山田五十鈴《やまだいすず》さんを見かけたのは、トットが、テレビの通行人を降ろされて、スタジオの外の廊下《ろうか》の椅子《いす》にすわって、中の同期生が終るのを待っていたときだった。
山田さんは、着物の両袖《りようそで》の中の手を、胸のところに入れた、ふところ手をして、スタジオの廊下を、プラプラプラプラ歩いていた。トットと目が合うと、ニッコリした。そのあとも、だまって、トットの前を、行ったり来たりしていた。セリフを憶《おぼ》えていたのか、何かを考えていたのか、わからないけど、だまって、ふところ手をして、プラプラ歩いていた。映画で、松井須磨子《まついすまこ》になった時とは違ってるけど、やっぱり「女優」という以外に、呼びようがない人に見えた。プラプラと廊下を歩いてるだけなのに、芝居を見ているようだ、と、トットは思った。
ラジオのスタジオで、滝沢修《たきざわおさむ》さんが、台本の一番最後の、何も書いてない頁《ページ》に、いつの間にか、トットの顔をスケッチして、
「はい!」
と、本番が終ったとき、渡《わた》して下さった。トットは驚《おどろ》いた。こんな偉《えら》いかたが、こんなに簡単に、トットなんかを描いて下さるなんて。「炎《ほのお》の人・ゴッホ」を見ていたから、余計に、そう思ったのかも、知れなかったけど、とにかく、トットは感激《かんげき》した。滝沢さんが、本職くらい、絵がお上手で有名、ということは、あとから、知った。滝沢さんの描いて下さったトットは、本物より、しっかりとした知的な顔立ちで、トットは恐縮《きようしゆく》してしまった。でも、よく見ると、トットの、もっと若い頃の、少し少女の時のような面影《おもかげ》も、そこに、あった。
川口松太郎さんの脚本《きやくほん》で、主演が三益愛子《みますあいこ》さんという、ラジオの番組の時は、とても面白かった。川口松太郎さんも、スタジオに見えた。本読みのとき、三益さんは、隣りに座《すわ》ってらっしゃる川口松太郎さんに、しょっちゅう、「ねえ、パパ、これ、どういう意味?」とか、平気で、大きい声で、聞いた。
川口松太郎さんは、若い女の出演者も沢山いるし、その他、大勢、俳優さんもいるので、わりと、脚本家と女優、という関係にしよう、としてらっしゃるのかな? と、トットには見えたんだけど、三益さんは、おかまいなく、「ねえ、ちょっと、パパ、この読みかたは、どうなの?」とか、「パパ、ここ、これでいいの?」とか、聞いていた。そのたびに、川口松太郎さんは、笑いながら、親切に答えてらした。
(夫婦で同じ仕事をするのも、いいな)
トットは、ふと、思った。
映画俳優のAさんとテレビで一緒になった。新劇の女優さんが、小さい声でトットにいった。「あのAさんね、この前、夕方、私の友達の女の子、さそってね、�御飯たべよう�って、いったんですって。だから、ついて行ったら、待合みたいのに連れてったから、�あら、御飯て、おっしゃったから……�といったら、�馬鹿《ばか》だなあ、明日の朝御飯だよ!!�って、いったんですって」
そのAさんが、早目に稽古《けいこ》が終って、帰り支度《じたく》してるトットに、いった。
「オードリー・ヘップバーンの映画、見てなかったら、見ませんか?」トットは、「麗《うるわ》しのサブリナ」を見たいと思っていたところだったので、(どうしようかな?)と思ったけど、まだ、明るいし……、「じゃ、御一緒します」と、いった。
オードリー・ヘップバーンは、最高だった。映画が終ったとき、Aさんは、いった。「少し、日比谷《ひびや》公園散歩しようよ」歩いてるうち、かなり暗くなって来た。Aさんは、立ち止まると、大きな体をかがめて、トットにいった。「さっきの映画みたいなキス、してみようか」(こんな手もあった!)トットは、息を吸いこむと、いった。
「私は、オードリー・ヘップバーンじゃないし、あなたも、ハンフリー・ボガートじゃないから、やめといたほうが、いいと思います」Aさんは、大声で笑った。それは、映画に出るときのAさんと、全く同じトーンの、少し恰好《かつこう》のついた、笑い声だった。
水谷八重子《みずたにやえこ》さんは、テレビの化粧室で、誰《だれ》かに、ゆっくりした口調で、話していた。
「ハリウッドはね。化粧室が立派なの。名犬リンチンチンも、個室を、ちゃんと、持ってました」
越路《こしじ》吹雪《ふぶき》さんは、豪華《ごうか》なイブニングドレスを着て、茶色くしたショートの髪《かみ》も美しくセットし、イヤリングもネックレスも、全部した恰好で、鏡の中の自分を点検して、「まあまあかな?」といった。そして、突然《とつぜん》、トットに、「オコゼって魚の顔、見たことある?」と聞いた。
トットが、「ない」というと、越路さんは、自分の両手で自分の顔をはさんで、大きな両目をさげ、唇《くちびる》を斜《なな》めに曲げ、ひどい顔にして、「これが、オコゼ!」といい、次の瞬間、イブニングの裾《すそ》をサラサラさせて、スタジオに入っていった。
「虚像《きよぞう》と実像」、というようなことは、わからなかったけど、かけ出しのトットに、当時の有名人は、こんな風に、見えた。そして、一流といわれる人ほど、人間的だ、と、トットは思った。