「葉子、よう子さん、ね」
中年のマダムは、その名を舌の先で味わうように発音し、
「良い名前だけれど、同じよう子というひとがいるから、具合がわるいわ。そうね、あなたは、ゆみ子になさい。字は、好きなように自分で当て嵌《は》めておけばいいわ」
「ゆみ子……」
女は口の中で、呟いてみた。酒場の女にふさわしいありふれた名が、なぜ誰にも使われないで残っていたのだろう。葉子という名で勤めたいとはおもっていなかったが、自分の名を剥ぎ取られた今、新しい名はよそよそしい顔で彼女の前にあった。彼女も、その名にたいして、よそよそしい顔を示した。その名前は、汗と脂と、そして涙にまみれているように見えた。
しかし、その名に馴染まなくてはならぬ。
霧の夜から二年間が過ぎて、葉子は酒場「銀の鞍《くら》」のゆみ子になった。