むかしは日本でも、お金で人を売り買いしていたのです。
ある日、この人買いが越後(えちご)の直江津(なおえつ)から、美しい奥方を連れてきました。
この奥方は岩城半官正氏(いわきはんかんただうじ)という人の奥方で、夫が筑紫(つくし)へ流されてしまい、それで安寿(あんじゅ)と対王丸(ずしおうまる)という二人の子どもを連れて直江津までたどりついたのです。
その直江津の港から、舟旅で筑紫へ行こうとしたところ、その港で悪い人買いにだまされて二人の子どもとは別れ別れにされてしまいました。
奥方は佐渡二郎に買われ、はるばる鹿野浦まで連れてこられたのでした。
佐渡二郎は奥方を、
「それ、飯をたけ」
「それ、薪(まき)をもってこい」
「それ、田の草を取れ」
と、朝から晩までこき使い、子どもたちの事を思って涙している奥方を見てはひどく怒るのです。
そして無理をした奥方は目の病にかかり、盲目(もうもく→目が見えないこと)になってしまいました。
「目をつぶすとは、この役立たずが。だが、遊ばせはせんぞ」
佐渡の二郎は目の見えない奥方に、畑の鳥追いを命じました。
奥方は、毎日畑に立って、
♪安寿(あんじゅ)恋しや、ほうやれほ
♪対玉(ずしおう)恋しや、ほうやれほ
と、歌いながら鳥を追うのです。
そんな奥方を、村の子どもまでもがバカにして、
「ほら、安寿姫が、そこにやってきたぞ」
「おらは、対王だよ。ほれ、ここまできてみろや」
などと言っては、からかったのです。
奥方はそんな事があるたびに、じっと無念の涙をこらえていました。
それから十数年が過ぎ、母を探しに安寿姫が下男(げなん)を供に鹿野浦(からのう)へやってきたのです。
盲目になって、畑で烏を追っている母を見つけた安寿姫は、
「母上、安寿でございます」
と、目に涙をためてかけ寄りました。
しかし奥方は、
「なに安寿だと。またこの悪童(あくどう)どもが、もういいかげんにおしっ」
と、夢中で杖(つえ)を振りまわして、なんと本物の安寿姫を殺してしまったのです。
そのあと下男から話しを聞いて、自分が殺したのは本物の安寿姫だったと知ったのです。
「ああ、わたしは、何ていう事を・・・」
奥方は安寿姫のなきがらにすがって、泣きくずれました。
それから奥方は下男と一緒に、安寿姫を中の川の川上にうめたのです。
その時、目の見えない奥方の目から涙があふれて、それが川に流れ込みました。
その日から中の川は、毒の川になってしまいました。
やがて佐渡の次郎の子孫は死に絶え、その屋敷のあった場所は草も生えない荒れ地へとかわったということです。