昔、男「伊勢の国に率(ゐ)ていきてあらむ」といひければ、女、
大淀(おほよど)の浜に生(お)ふてふみるからに心はなぎぬ語らはねども
といひて、ましてつれなかりければ、男、
袖ぬれて海人(あま)の刈りほすわたつうみのみるをあふにてやまむとやする
女、
岩間(いわま)より生ふるみるめしつれなくは潮干(しほひ)潮満ちかひもありなむ
また男、
涙にぞぬれつつしぼる世の人のつらき心は袖のしづくか
世にあふことかたき女になむ。
【現代語訳】
昔、ある男が女に「あなたを伊勢の国に連れて行って、いっしょに住みたい」と言ったところ、その女は、
<伊勢の大淀に生える海松(みる=海藻)を見にいくとうかがい、お目にかかっただけで、私の心はすっかり安らかになりました。ですから、これ以上親しく睦言を交わさなくても十分です。>
と言って、以前よりいっそう冷淡だったので、男が、
<袖を濡らしながら漁夫が刈って干す海松を思ってみるだけで、いっしょに浜辺に行こうともしない。袖を涙で濡らして切にたのむ私の顔をちょっと見るだけで、親しく契り一緒に暮らすことの代わりにすませようとするのですか、あなたは。>
女は、
<岩間から生える海松布(みるめ)がずっと生いのびていれば、海水が引いたり満ちたりして貝がつくこともありましょう。私は今はあなたに逢う気はありませんが、このまま変わらず過ごしていれば、長く知り合っていたかいもきっとあるでしょう。>
また男が、
<私は涙に濡れながら袖を絞っています。冷たい人の心は、私の袖にたまる涙を絞ってしたたり落ちる滴(しずく)なのでしょうか。私をこのように悲しませて、平然としている。>
まったく逢うことの難しい女であった。