昔、男ありけり。深草(ふかくさ)にすみける女をやうやうあきがたにや思ひけむ、かかる歌をよみけり。
年を経て住みこし里を出ででいなばいとど深草野とやなりなむ
女、返し、
野とならば鶉(うづら)となりて鳴きをらむかりにだにやは君は来ざらむ
とよめりけるにめでて、行かむと思ふ心なくなりにけり。
【現代語訳】
昔、ある男がいた。山城国の深草の里に住んでいた女を、しだいに飽きてしまったのか、このような歌を詠んだ。
<長年住んだこの里を出て行けば、今も草深い深草の里は、ますます草が深い野になってしまうのだろうか。>
女が返し、
<ここが荒れた草深い野になってしまうならば、私は鶉になって悲しく鳴いているでしょう。あなたはせめて、かりそめの狩りにでもおいでにならないでしょうか、いやきっと来てくださいますね。>
と詠んだのに心を打たれ、男は去ろうとする気持ちがなくなったのだった。