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野火02

时间: 2017-02-27    进入日语论坛
核心提示:二 道 部落の中はアカシヤの大木が聳え、道をふさいで張り出した根を、自分の蔭で蔽っていた。住民の立ち退いた家々は戸を閉ざ
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 二 道
 
 部落の中はアカシヤの大木が聳え、道をふさいで張り出した根を、自分の蔭で蔽っていた。住民の立ち退いた家々は戸を閉ざし、道に人はなかった。敷きつめた火山砂礫が、褐色に光り、村をはずれて、陽光の溢れる緑の原野にまぎれ込んでいた。
 臓腑を抜かれたような絶望と共に、一種陰性の幸福感が身内に溢れるのを私は感じた。行く先がないというはかない自由ではあるが、私はとにかく生涯の最後の幾日かを、軍人の思うままではなく、私自身の思うままに使うことが出来るのである。
 行く先は、心ではきまっていた。衛兵に告げた通り、病院へ行くのである。無駄な歎願を繰り返すためではない。あそこに「坐り込ん」でいる人達に会うためである。会ってどうするあてもなかったが、ただ私と同じく行く先のない彼等を、私はもう一度見たかった。
 野が展けた。正面は一粁で林に限られたが、右は木のない湿原が尻ひろがりに遠く退いた先に、この島の脊梁なす火山性の中央山脈の山々が重なり、前山の一支脈は延びて、正面の林の後へ張り出して来ていた。その伏した女の背中のような起伏が、次第に左へ低まり、一つの鼻でつきたところに、幅十間ばかりの急流が現われ、丘はまたその対岸に高まって、流れに沿って下り、この風景の左側を囲っていた。その先に海があるはずであった。
 病院は正面の丘を越えて、約六粁の行程である。
 午後の日は眩しかった。嵐を孕むと見えるほど晴れて輝く空は、絶えずその一角を飛ぶ、敵機の爆音に充たされていた。その蜜蜂の羽音のような単調な唸りの間に、時々何処か附近の山々で散発する迫撃砲の音が混った。開けた野に姿を曝すのは、敵機に狙われる危険があったが、この時の私には怖れる理由がなかった。
 私は手拭を帽の下に敷いて汗の流れるのを防ぎ、銃を吊革で肩にかけて、元気に歩いて行った。熱はやはりあるらしかったが、私は昔からこの熱に馴れていた。それはかつて青春の欲望を遂行するには、巧みに折り合わねばならぬ障害であったと同じく、今は私の生涯の最後の時を勝手に生きるため、当然無視すべき一状態にすぎなかった。病気は治癒を望む理由のない場合何者でもない。
 私は喉からこみ上げて来る痰を、道傍の草に吐きかけ吐きかけ歩いて行った。私はその痰に含まれた日本の結核菌が、熱帯の陽にあぶられて死に絶えて行く様を、小気味よく思い浮べた。
 林の入口で道は二つに分れていた。正面は丘を越えて真直に病院へ行く道、左は林の中に丘の鼻を廻って、同じ谷間へ入る道である。丘越えの道が無論近いが、私は既に昨日から二度往復してその道に飽きていた。目的のない者の気紛れから、私は未知の林中の道を取る気になった。
 林の中は暗く道は細かった。樫や櫟に似た大木の聳える間を、名も知れぬ低い雑木が隙間なく埋め、蔦や蔓を張りめぐらしていた。四季の別なく落ち続ける、熱帯の落葉が道に朽ち、柔らかい感触を靴裏に伝えた。静寂の中に、新しい落葉が、武蔵野の道のようにかさこそと足許で鳴った。私はうなだれて歩いて行った。
 奇怪な観念がすぎた。この道は私が生れて初めて通る道であるにも拘らず、私は二度とこの道を通らないであろう、という観念である。私は立ち止り、見廻した。
 なんの変哲もなかった。そこには私がその名称を知らないというだけで、色々な点で故国の木に似た闊葉樹が(直立した幹と、開いた枝と、垂れた葉と)静まり返っているだけであった。それは私がここを通るずっと前から、私が来る来ないに拘らず、こうして立っていたであろうし、いつまでもこのままでいるであろう。
 これほど当然なことはなかった。そして近く死ぬ私が、この比島の人知れぬ林中を再び通らないのも当然であった。奇怪なのは、その確実な予定と、ここを初めて通るという事実が、一種の矛盾する聯関として、私に意識されたことである。
 もっとも私は内地を出て以来、こういう不条理な観念や感覚に馴れていた。例えば輸送船が六月の南海を進んだ時、ぼんやり海を眺めていた私は、突然自分が夢の中のように、整然たる風景の中にいるのに気がついた。
 紺一色の海が拡がり、水平線がその水のヴォリュームを押し上げるように、正しい円を画いて取り巻いている。海面からあまり離れていない一定の高さに、底部が確然たる一線をなしたお供餅のような雲が、恐らくは相互に一定に距離を保って浮んでいる。そしてそれが船が一律の速度で進むにつれ、任意の視点を中心に、扇を廻すように移って行く。舷側をすぎて行く規則正しい波の音と、単調なディーゼルエンジンの音に伴奏されて、この規則正しい風景は、その時私に甚だ奇怪に思われた。
 偶然安定した気圧の下に、太陽が平均した熱を海面に注ぎ、絶えず一定量の水蒸気を蒸発させる以上、一定の位置に、同形の雲を生じるのになんの不思議はなかった。そして機械によって一定した速度で進む船から眺める以上、風景が一様の転移を見せるのも当然であった。私は即座にこう反省したにも拘らず、私の昂奮はなかなか去らなかった。そこには一種快い苦痛のニュアンスがあったのである。
 もしこの時私が一遊覧客であったならば、帰国後自国の陸に繋がれた哀れな友人に、大洋の奇観を語る場面を空想したろう。私の昂奮と苦痛は多分、敗戦と死の予感に冒されていた私が、その奇怪な経験を人に伝えることを、予想出来ないことに基いていたろう。
 比島の林中の小径を再び通らないのが奇怪と感じられたのも、やはりこの時私が死を予感していたためであろう。我々はどんな辺鄙な日本の地方を行く時も、決してこういう観念には襲われない。好む時にまた来る可能性が、意識下に仮定されているためであろうか。してみれば我々の所謂生命感とは、今行うところを無限に繰り返し得る予感にあるのではなかろうか。
 比島の熱帯の風物は私の感覚を快く揺った。マニラ城外の柔らかい芝の感覚、スコールに洗われた火焔樹の、眼が覚めるような朱の梢、原色の朝焼と夕焼、紫に翳る火山、白浪をめぐらした珊瑚礁、水際に蔭を含む叢等々、すべて私の心を恍惚に近い歓喜の状態においた。こうして自然の中で絶えず増大して行く快感は、私の死が近づいた確実なしるしであると思われた。
 私は死の前にこうして生の氾濫を見せてくれた偶然に感謝した。これまでの私の半生に少しも満足してはいなかったが、実は私は運命に恵まれていたのではなかったか、という考えが閃いた。その時私を訪れた「運命」という言葉は、もし私が拒まないならば、容易に「神」とおき替え得るものであった。
 明らかにこうした観念と感覚の混乱は、私が戦うために海を越えて運ばれながら、私に少しも戦う意志がないため、意識と外界の均衡が破れた結果であった。歩兵は自然を必要の一点から見なければならない職業である。土地の些細な凸凹も、彼にとって弾丸から身を守る避難所を意味し、美しい緑の原野も、彼にはただ素速く越えねばならぬ危険な距離と映る。作戦の必要により、あなたこなた引き廻される、彼の眼に現われる自然の雑多な様相は、彼にとって、元来無意味なものである。この無意味さが彼の存在の支えであり、勇気の源泉である。
 もし臆病 或いは反省によって、この無意味な統一が破れる時、その隙間から露呈するのは、生きる人間にとってさらに無意味なもの、つまり死の予感であろう。
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