病院の附近は、住民の開墾した玉蜀黍畑が草原を切り取り、収穫を終えたあらわな畦が、前面の丘裾まで続いていた。丘の稜線は、中隊の側から見るのと同じ柔和な曲線を描いているが、暗緑色の雑木が、乱雑に頂上近くまで匍い上り、処々赭土が露出して、なんとなく荒れ果てた裏側の感じを与えていた。
病院は民家を利用したものであった。部落を構成する三棟の小屋の内、一棟が医務室、二棟が病棟に充てられ、軍医二人衛生兵七人が約五十名の患者を看ていた。あらゆる物が不足していた。薬は与えられず、繃帯は替えられなかった。病院はもと海岸の或る町に開かれていた療養所が、作戦の進行と共に移動したものであるが、その時連行した約三十名の独歩患者の外は、食糧を中隊から携行する者しか受け付けなかった。
軍医達は患者を追い出して食糧をセーヴすることしか考えていなかった。少しでも下痢すると、食事が全然与えられなかったので、患者は無理しても退院して行った。所在不明の原隊を追求するために、一食分の食糧が出発に際し与えられた。
二町ばかりさまよい出て、路傍に倒れている者がいた。二、三日彼等の姿は位置を変えて、遠く木の下、林の縁などに望まれたが、やがて何処かへ消えてしまった。
動けない、或いは動こうと欲しない者、つまり「坐り込ん」でいる者等は、病院から谷間を少し奥へ入った、林の縁にころがっていた。彼等の数は次第に増えて行った。
私は疲れていた。刈り取られた玉蜀黍の切株の固い畦を渡って、そういう兵等のかたまっているところに辿りつくと、黙って腰を下し、水筒の水を飲んだ。痺れるような、荒涼たる感情が私の心を領していた。それは一部は私の肉体の疲れの、一部は今通って来た大きな草原の、孤独の効果らしかった。
原は広く、目指す病院の屋根はなかなか近くならなかった。それは波立つ萱の彼方に、手に取るように見えながら、私を取り巻く原の広さを思わせて、いつまでもちんまりと遠く、行く手に控えていた。風は絶えず颯々と響を立てて耳許を過ぎ、また私の占めていない広い空間を渡って行くらしかった。草は圧えられたように、一斉に頭を風下に倒して、動かなかった……
「また帰って来たのか」
と声がかかった。振り返ると顔馴染の安田という中年の病兵の、表情のない顔があった。熱帯潰瘍で片足が棍棒のようにふくれ上っていた。向脛にある一つの潰瘍は、塩煎餅の大きさに拡がり、真中に飯粒ほどに骨が見えていた。彼はそこに比島人の療法に従って、刺戟性の匂いのする植物の葉をはり、上にブリキの小片をあてて、布で縛っていた。
「そうさ、やっぱり中隊じゃ入れてくれなかった」
「でも、ここへ来たってしようがあるめえに」
私は黙った。お前達の仲間に入れて貰いに来たのさ、という言葉は喉でつかえた。中隊を出る時彼等に対して持っていた、或いは持っていたと思っていた興味は、二時間の孤独な散歩の間に必要と変ったのは知っていた。だから私はそれを彼等にいいたくなかったのである。
「行くところがないからさ」
と私は単に一般的事実を指摘するに止めた。
私は改めて周囲のわが絶望の同僚を数えた。我々は八人であった。朝私がここを出た時にいた六人から一人が去り、二人が新しく到着していた。我々の中で実際に動けないのは、二、三日前衛生兵に抗って追い出された、若いマラリア患者だけであった。あとは下痢、脚気、熱帯潰瘍、弾創等々、或いはそのいくつかを兼ねた病兵であるが、正確にいってここにいなければならないということはなかった。
彼等は要するに私同様、敗北した軍隊から弾じき出された不要物であった。そして彼等を収容すべき救護施設もまた、敗軍の必要からその能力がないことが判明すると、彼等にはもう行く所がなかった。彼等は結局こうして、彼等がかつて「兵士」たりし時の、最終の空想上の拠り所であった、この避難所の周辺を彷徨するほかはなかったのである。
私が正式の患者としてこの病院で暮した間、私は彼等の様子を注意していた。私もまたやがて彼等の仲間に入るかも知れない、と考える理由があったからである。
小屋から見ると彼等は林縁の汚点のように見えた。思い思いの恰好で横わり、時々立ち上って無意味にのろのろと動いた。人間よりは動物に近かった。しかも当惑のため生存の様式を失った、例えば飼い主を離れた家畜のように見えた。
しかし今その一員として彼等の間に入って、私は彼等が意外に平静なのに驚いた。内に含むところあるらしい彼等の表情からみて、彼等が一人一人異った個人的必要を持ち、またそれに対処する心を持っているのは、明らかであった。そして一見無意味に見える彼等の動作にも、それぞれ意味があったのである。
例えば私が着いて暫くすると、稍・離れたところに寝ていた彼等の一人は立ち上り、真直に私の前まで来た。そして、
「おい、糧秣いくら持っている」と訊いた。
彼は下痢患者らしく怖ろしいほど痩せて、私の返事を待つ間も、じっと立っていられないらしく、体をふらふら振っていた。そして芋六本という私の答を聞くと、満足気に諾いて、のろのろと自分の席へ帰って行った。恐らくここにいる人々の持つ食物の量を知っておくのが、何か私の知らない理由によって、彼には必要だったのであろう。
「ははは、六本ありゃ豪勢だ。お前の中隊は気前がいい。俺んとこは二本しか寄越さねえ。それが今じゃ一本よ」
と傍から別の兵士がいい、その一本をわざとポケットから出して見せた。彼は今日私のいない間に、到着した若い病兵で、足首の弾創に蛆を湧かしていた。
我々の状態では自分の持つ食糧の少なさを誇示するのは微妙な問題であった。みな黙っていた。彼は気配を察していった。
「ふふ、心配するな。誰もくれっていやしねえ。今夜、あそこから掻払って来てやらあ」
といって、医務室の方を睨んだ。
しかし退屈した彼等の会話は、やはり絶望に関するものであった。
「あーあ、俺達はどうなるのかなあ」
と一人の兵士がラジオ・ドラマの口調でいった。彼は最初私に話し掛けた安田と、同じ中隊に属する若い兵士で、栄養不良と脚気でむくんだ大きな顔が、平たい胸の上に載っていた。
「どうなるものか。死ぬだけよ——どうせこの島へ上っちゃ助からねえんだから、今更くやむこたねえさ」と芋一本の兵士が嘲った。
「落下傘部隊が降りるってじゃないか」
「へん、お前この島へ来てから友軍機一機だって見たことあるか。日が暮れてから蝙蝠みたいに、バタバタやって来るだけじゃないか。それもこの頃じゃさっぱり聞かねえ。米さんの落下傘部隊を待った方が早そうだぜ。もっとも奴等はそんな面倒なことをしねえで、さっさと船で上って来るだろうがね」
「そうも行くめえ。西海岸は何ていったって友軍のもんだ」
「どうかね。何とかいってるうちに、この辺にもどっと上って来そうな気がするな——聞きねえ。オルモックがまた遠距離砲撃を食ってるぜ」
北の方の空を遠雷のような唸りを伴った砲声が渡り始めていた。それは我々が四方に聞く乾いた迫撃砲の音とは違った、地響を伴う鈍い音で、我々が背を向けている岩山の後を、広い幅で蔽って鳴り、谷々に谺しつつ、次第に南へ移って行った。
「二十五サンチだ」
と誰かが指摘した。それは我々が上陸した頃も、朝夕きまって一時間ずつ、東海岸の米軍の砲兵陣地が、中央山脈を越して送って来た榴弾であった。
みな黙って、暫く砲声に耳を傾けているらしかった。
「なんだな」と新しい兵士は相変らず嘲るようにいった。「いっそ米さんが来てくれた方がいいかも知れねえな。俺達はどうせ中隊からおっぽり出されたんだから、無理に戦争するこたあねえわけだ。一括げに俘虜にしてくれるといいな」
「殺されるだろう」と別の兵士が遠くから答えた。
「殺すもんか。あっちじゃ俘虜になるな名誉だっていうぜ。よくもそこまで奮闘したってね。コーン・ビーフが腹一杯食えらあ」
「よせ。貴様それでも日本人か」
と声がした。マラリアの若い兵士が起ち上っていた。頬が赤く眼が血走っていた。
相手は笑いを頬に強張らして、じっと前方を見詰めていた。マラリアの兵士は何かいいつのろうとしたが、喉を鳴らしただけで草の中へ倒れた。