会堂の階段の前の地上にあった数個の物を、私がそれまで何度もそこに眼を投げたにも拘らず、遂に認知しなかった理由を考えてみると、この時私の意識が、いかに外界を映すという状態から遠かったかがわかる。不安な侵入者たる私は、ただ私に警告するものしか、注意しなかったのである。「物」と私は書いたが、人によっては「人間」と呼ぶかも知れない。いかにもそれは或る意味では人間であったが、しかしもう人間であることを止めた物体、つまり屍体であった。
殊に彼等は屍体であること既に永く、あらゆるその前身の形態を失っていた。彼等の穿った軍袴のみ、わずかに彼等の人間たりし時の痕跡であったが、屍汁と泥で変色し、最早人間の衣服の外観を止めていなかった。周囲の土と正確に同じ色をしていた。
今それを記述しようとして、私がいかにそれを「見て」さえいなかったかを知る。怯えた兵士として、初めそれを認知しなかったばかりではなく、認知した後も、眼はその細部を辿ることが出来なかった。まずそれを屍体と認めた眼は、既知の人間の形態を予期しつつ、その上を移動したが、眼は常に異様な変形によって裏切られたのである。
露出した腕と背中は、皮膚の張力の許すかぎり、人体の比例を無視した大きさに膨脹し、赤銅色に輝いていた。或る者の横腹からは、親指ほどの腸が垂れ下っていた。弾丸の入った跡であろうが、穴の痕跡はなく、周囲の肉の膨脹が、その腸をソーセージのようにくびっていた。
頭部は蜂にさされたように膨れ上っていた。頭髪は分解する組織から滲み出た液体のため、膠で固めたように皮膚にへばりつき、不分明な境界をなして、額に移行していた。以来私はこの光景を思い出すことなく、都会の洋裁店等に飾られた蝋人形の、漠然たる生え際を見ることが出来ない。
頬はふくらみ、口は尖っていた。その不動な表情は、強いていえば「考える猫」に似ていた。
或る者は他の者の脚に頭を載せ、或る者はその肩を抱いていた。伏した或る者の臀部の服は破れ、骨が現われていた。私はこの無人の村に、犬と烏のみ多い理由を知った。
今平穏な日本の家にあってこの光景を思い出しながら、私は一種の嘔吐感を感じる。しかしその時私は少しもそれを感じた記憶がない。嘔吐感は恐らくこの映像を、傍観者の心で喚起するためである。平穏な市民の観照のエゴイスムの結果、胃だけが反応するからである。
その時私の感じたのは、一種荒涼たる寂寥感であった。孤独な敗兵の裏切られた社会的感情であった。この既に人間的形態を失った同胞の残骸で、最も私の心を傷ましめたのは、その曲げた片足、拡げた手等が示すらしい、人間の最後の意志であった。
私は漸くこの村の情況を理解した。これらの屍体の前身たる日本の敗残兵は、恐らく米兵が通過した後にこの村に現われ、掠奪して住民の報復を受けたのである。或る屍体の傍に投げ出されてあった、大きな薪割りがその証拠であった。そしてその後も、多分頻繁なる日本の敗残兵の出没によって、住民は再び村を棄てたのであろう。