もし私が神に愛されているのがほんとなら、何故私はこんなところにいるのだろう。こんな蔭のない河原に、陽にあぶられて、横わっていなければならないのか。
雨は来ないか。水は涸れ、褐色の礫の間に、砂が、かつて流れた水の跡を示して、ゆるく起伏しているだけである。
雲もなく、晴れた空は、見上げると、奥にぱっと光が破裂する。眼を閉じる。
何故、こんなに蠅が来るのだろう。唸って飛び廻り、干いた頬に止って、むずむず動く。眼とか鼻孔とか口とか耳とか、やわらかいところを、大きな嘴でつつく。
何故私の手は、右も左も、蠅共を追い払おうとしないのか。私の体はただだるく感じる。しかし私の心は、自分が生きなければならないという理由だけで、他の生物を食うのは止そうと決意した以上、自分が食われるのを覚悟しなければならぬ、だから私の手は、私の粘膜を貪る昆虫を追おうとはしないのだと思う。
眼だけは勘弁してくれ。見る楽しみだけは残しておいてくれ。しかし目の前のそこの砂の上に、陽に照らされて、花のように光っているものは何だろう。
足である。鶏の趾のように、干いた指が五本揃っている。踝から二寸ばかり上で切れている。切口の中央には、骨が白く、雌蕊のように光っている。
皮膚が巻き込んだ肉は、真黒である。いや、その盛り上った黒い曲面は、漣が渡るように、揺れて動く。ひしめく蠅の黒である。
人間の足らしい。しかし何故ここに、この河原に、私の目の前に、これがあるのだろう。切ったのは私ではない。これは「彼」の足ではない。彼は腐り、ふくれ上っていたが、これはまだ趾骨と趾骨の間が凹んだ、新しい足首である。
場所が違う。彼がいたのは、あの丘の上の窪地であった。どうして私はここまで来たのだろう。
誰が切ったのだろう。どうしてこの明るい河原に、片足だけ一本、魚のように投げ出されているのだろう。
いや、私は食べたくはない。私は自分を蠅に、食べさせているところだ。
しかし何故それが私の方へ近づいて来るのだろう。揺れながら、光りながら、笑いながら近づいて来る。
私はこの感覚を知っている。二歳の私が匍った時の感覚である。腕と脚の緊張の記憶は落ちているが、行く手の母の笑顔が、揺れ動いて、近づいて来る映像だけ憶えている。
では、この時も私はその足首に向って、匍っていたのである。臭気が、私自身の汗の臭いに似た臭気が、近づきつつあった。誰かが見ている。
私は力を籠めて、私の体を転がした。横に、一つ、二つ、三つ。まだ足りない。そこの、砂が尽きて、萱がかたまっている蔭までだ。また一つ、二つ……
見られていると思っただけではない。私はその眼を見た。
斑らな萱の原を越え、十間ばかり先の林の暗い幹の間に、厨子の中に光る仏像の眼のような、二つの眼だ。
眼は二つだけではなかった。その眼の下にただ一つ、鈍く白い完全な円の中に、洞のように黒く凹んだまた完全な円。鋼鉄の円。銃口であった。
私は獣のように、砂に耳をつけ、音を聞いた。音は近づいて来た。靴は穿いていない。ひそやかに礫と砂を踏む音であった。たしかに人間の重量を載せた足が、地球を踏む音であった。
そして遂に彼が現われた。萱を押し開いて、そこに立ち、私を見下した。
蓬々と延びた髪、黄色い頬、その下に勝手な方向に垂れた髯、眠たげに眼球を蔽った瞼は、私がこれまでに見た、どんな人間にも似ていなかった。
その人間が口を利いた。しかも私の名を呼んだ。
「田村じゃないか」
声は遠く、壁の向うの声のように耳に届いた。届くより先、私は彼の口が動き、汚れた乱杭歯を現わすのを、見知らぬ動物の動作でも見るような無関心で、見ていた。
「田村じゃないのか」とその口は重ねていった。
私は見凝めた。見凝めると、却って霞んで行くその顔貌を、私は記憶を素速く辿った。いや、私はこの老人を知らなかった。彼は「神」だろうか。いや、神はもっと大きいはずであった。
ぼろぼろに破れた衣服が、日本兵の軍服の色と形を残していた。
「永松」
と、遂に病院の前で知った、若い兵隊の名を呼ぶと、目先が昏くなった。