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破戒6-4

时间: 2017-06-03    进入日语论坛
核心提示:       (四) 丑松が急いで蓮華寺へ帰つた時は、奥様も、お志保も飛んで出て来て、電報の様子を問ひ尋ねた。奈何(どん
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        (四)
 
 丑松が急いで蓮華寺へ帰つた時は、奥様も、お志保も飛んで出て来て、電報の様子を問ひ尋ねた。奈何(どんな)に二人は丑松の顔を眺めて、この可傷(いたま)しい報知(しらせ)の事実を想像したらう。奈何に二人は昨夜の不思議な出来事を聞取つて、女心に恐しくあさましく考へたらう。奈何に二人は世にある多くの例(ためし)を思出して、死を告げる前兆(しらせ)、逢ひに来る面影、または闇を飛ぶといふ人魂(ひとだま)の迷信なぞに事寄せて、この暗合した事実に胸を騒がせたらう。
『それはさうと、』と奥様は急に思付いたやうに、『まだ貴方は朝飯前でせう。』
『あれ、左様(さう)でしたねえ。』とお志保も言葉を添へた。
『瀬川さん。そんなら準備(したく)して御出(おいで)なすつて下さい。今直に御飯にいたしますから。是(これ)から御出掛なさるといふのに、生憎(あいにく)何にも無くて御気の毒ですねえ――塩鮭(しほびき)でも焼いて上げませうか。』
 奥様はもう涙ぐんで、蔵裏(くり)の内をぐる/\廻つて歩いた。長い年月の精舎(しやうじや)の生活は、この女の性質を感じ易く気短くさせたのである。
『なむあみだぶ。』
 と斯(こ)の有髪(うはつ)の尼(あま)は独語(ひとりごと)のやうに唱へて居た。
 丑松は二階へ上つて大急ぎで旅の仕度をした。場合が場合、土産も買はず、荷物も持たず、成るべく身軽な装(なり)をして、叔母の手織の綿入を行李(かうり)の底から出して着た。丁度そこへ足を投出して、脚絆(きやはん)を着けて居るところへ、下女の袈裟治に膳を運ばせて、つゞいて入つて来たのはお志保である。いつも飯櫃(めしびつ)は出し放し、三度が三度手盛りでやるに引きかへ、斯うして人に給仕して貰ふといふは、嬉敷(うれしく)もあり、窮屈でもあり、無造作に膳を引寄せて、丑松はお志保につけて貰つて食つた。其日はお志保もすこし打解けて居た。いつものやうに丑松を恐れる様子も見えなかつた。敬之進の境涯を深く憐むといふ丑松の真実が知れてから、自然と思惑(おもはく)を憚(はゞか)る心も薄らいで、斯うして給仕して居る間にも種々(いろ/\)なことを尋ねた。お志保はまた丑松の母のことを尋ねた。
『母ですか。』と丑松は淡泊(さつぱり)とした男らしい調子で、『亡くなつたのは丁度私が八歳(やつつ)の時でしたよ。八歳といへば未だほんの小供ですからねえ。まあ、私は母のことを克(よ)く覚えても居ない位なんです――実際母親といふものゝ味を真実(ほんたう)に知らないやうなものなんです。父親(おやぢ)だつても、矢張左様(さう)で、この六七年の間は一緒に長く居て見たことは有ません。いつでも親子はなれ/″\。実は父親も最早(もう)好い年でしたからね――左様(さう)ですなあ貴方の父上(おとつ)さんよりは少許(すこし)年長(うへ)でしたらう――彼様(あゝ)いふ風に平素(ふだん)壮健(たつしや)な人は、反(かへ)つて病気なぞに罹(かゝ)ると弱いのかも知れませんよ。私なぞは、ですから、親に縁の薄い方の人間なんでせう。と言へば、まあお志保さん、貴方だつても其御仲間ぢや有ませんか。』
 斯(こ)の言葉はお志保の涙を誘ふ種となつた。あの父親とは――十三の春に是寺へ貰はれて来て、それぎり最早(もう)一緒に住んだことがない。それから、あの生(うみ)の母親とは――是はまた子供の時分に死別れて了つた。親に縁の薄いとは、丁度お志保の身の上でもある。お志保は自分の家の零落を思出したといふ風で、すこし顔を紅(あか)くして、黙つて首を垂れて了つた。
 そのお志保の姿を注意して見ると、亡くなつた母親といふ人も大凡(おほよそ)想像がつく。『彼娘(あのこ)の容貌(かほつき)を見ると直(すぐ)に前(せん)の家内が我輩の眼に映る』と言つた敬之進の言葉を思出して見ると、『昔風に亭主に便(たよる)といふ風で、どこまでも我輩を信じて居た』といふ女の若い時は――いづれこのお志保と同じやうに、情の深い、涙脆(なみだもろ)い、見る度に別の人のやうな心地(こゝろもち)のする、姿ありさまの種々(いろ/\)に変るやうな人であつたに相違ない。いづれこのお志保と同じやうに、醜くも見え、美しくも見え、ある時は蒼く黄ばんで死んだやうな顔付をして居るかと思ふと、またある時は花のやうに白い中(うち)にも自然と紅味(あかみ)を含んで、若く、清く、活々とした顔付をして居るやうな人であつたに相違ない。まあ、お志保を通して想像した母親の若い時の俤(おもかげ)は斯(か)うであつた。快活な、自然な信州北部の女の美質と特色とは、矢張丑松のやうな信州北部の男子(をとこ)の眼に一番よく映るのである。
 旅の仕度が出来た後、丑松はこの二階を下りて、蔵裏(くり)の広間のところで皆(みんな)と一緒に茶を飲んだ。新しい木製の珠数(じゆず)、それが奥様からの餞別であつた。やがて丑松は庄馬鹿の手作りにしたといふ草鞋(わらぢ)を穿(は)いて、人々のなさけに見送られて蓮華寺の山門を出た。
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