谷を下ると其処がもう番小屋で、人々は狭い部屋の内に集つて居た。灯は明々(あか/\)と壁を泄(も)れ、木魚(もくぎよ)の音も山の空気に響き渡つて、流れ下る細谷川の私語(さゝやき)に交つて、一層の寂しさあはれさを添へる。家の構造(つくり)は、唯雨露(あめつゆ)を凌ぐといふばかりに、葺(ふ)きもし囲ひもしてある一軒屋。たまさか殿城山の間道を越えて鹿沢(かざは)温泉へ通ふ旅人が立寄るより外には、訪(と)ふ人も絶えて無いやうな世離れたところ。炭焼、山番、それから斯の牛飼の生活――いづれも荒くれた山住の光景(ありさま)である。丑松は提灯(ちやうちん)を吹消して、叔父と一緒に小屋の戸を開けて入つた。
定津院の長老、世話人と言つて姫子沢の組合、其他父が生前懇意にした農家の男女(をとこをんな)――それらの人々から丑松は親切な弔辞(くやみ)を受けた。仏前の燈明は線香の烟(けぶり)に交る夜の空気を照らして、何となく部屋の内も混雑して居るやうに見える。父の遺骸(なきがら)を納めたといふは、極(ご)く粗末な棺。其周囲(まはり)を白い布で巻いて、前には新しい位牌(ゐはい)を置き、水、団子、外には菊、樒(しきみ)の緑葉(みどりば)なぞを供へてあつた。読経も一きりになつた頃、僧の注意で、年老いた牧夫の見納めの為に、かはる/″\棺の前に立つた。死別の泪(なみだ)は人々の顔を流れたのである。丑松も叔父に導かれ、すこし腰を曲(こゞ)め、薄暗い蝋燭(らふそく)の灯影に是世の最後の別離(わかれ)を告げた。見れば父は孤独な牧夫の生涯を終つて、牧場の土深く横はる時を待つかのやう。死顔は冷かに蒼(あをざ)めて、血の色も無く変りはてた。叔父は例の昔気質(むかしかたぎ)から、他界(あのよ)の旅の便りにもと、編笠、草鞋(わらぢ)、竹の輪なぞを取添へ、別に魔除(まよけ)と言つて、刃物を棺の蓋の上に載せた。軈(やが)て復(ま)た読経(どきやう)が始まる、木魚の音が起る、追懐の雑談は無邪気な笑声に交つて、物食ふ音と一緒になつて、哀しくもあり、騒がしくもあり、人々に妨げられて丑松は旅の疲労(つかれ)を休めることも出来なかつた。
一夜は斯ういふ風に語り明した。小諸の向町へは通知して呉れるなといふ遺言もあるし、それに移住(ひつこし)以来(このかた)十七年あまりも打絶えて了つたし、是方(こちら)からも知らせてやらなければ、向ふからも来なかつた。昔の『お頭』が亡くなつたと聞伝へて、下手なものにやつて来られては反つて迷惑すると、叔父は唯そればかり心配して居た。斯の叔父に言はせると、墓を牧場に択んだのは、かねて父が考へて居たことで。といふは、もし根津の寺なぞへ持込んで、普通の農家の葬式で通ればよし、さも無かつた日には、断然謝絶(ことわ)られるやうな浅猿(あさま)しい目に逢ふから。習慣の哀しさには、穢多は普通の墓地に葬る権利が無いとしてある。父は克く其を承知して居た。父は生前も子の為に斯ういふ山奥に辛抱して居た。死後もまた子の為に斯の牧場に眠るのを本望としたのである。
『どうかして斯の「おじやんぼん」(葬式)は無事に済ましたい――なあ、丑松、俺はこれでも気が気ぢやねえぞよ。』
斯ういふ心配は叔父ばかりでは無かつた。
翌日(あくるひ)の午後は、会葬の男女(をとこをんな)が番小屋の内外(うちそと)に集つた。牧場の持主を始め、日頃牝牛を預けて置く牛乳屋なぞも、其と聞伝へたかぎりは弔ひにやつて来た。父の墓地は岡の上の小松の側(わき)と定まつて、軈(やが)ていよいよ野辺送りを為ることになつた時は、住み慣れた小屋の軒を舁(かつ)がれて出た。棺の後には定津院の長老、つゞいて腕白顔な二人の子坊主、丑松は叔父と一緒に藁草履穿(わらざうりばき)、女はいづれも白の綿帽子を冠つた。人々は思ひ/\の風俗、紋付もあれば手織縞(ておりじま)の羽織もあり、山家の習ひとして多くは袴も着けなかつた。斯の飾りの無い一行の光景(ありさま)は、素朴な牛飼の生涯に克(よ)く似合つて居たので、順序も無く、礼儀も無く、唯真心(まごゝろ)こもる情一つに送られて、静かに山を越えた。
式も亦(ま)た簡短であつた。単調子な鉦(かね)、太鼓、鐃(ねうはち)の音、回想(おもひで)の多い耳には其も悲哀な音楽と聞え、器械的な回向と読経との声、悲嘆(なげき)のある胸には其もあはれの深い挽歌(ばんか)のやうに響いた。礼拝(らいはい)し、合掌し、焼香して、軈て帰つて行く人々も多かつた。棺は間もなく墓と定めた場処へ移されたので、そこには掘起された『のつぺい』(土の名)が堆高(うづたか)く盛上げられ、咲残る野菊の花も土足に踏散らされてあつた。人々は土を掴(つか)んで、穴をめがけて投入れる。叔父も丑松も一塊(ひとかたまり)づゝ投入れた。最後に鍬(くは)で掻落した時は、崖崩れのやうな音して烈しく棺の蓋を打つ。それさへあるに、土気の襄上(のぼ)る臭気(にほひ)は紛(ぷん)と鼻を衝(つ)いて、堪へ難い思をさせるのであつた。次第に葬られて、小山の形の土饅頭が其処に出来上るまで、丑松は考深く眺め入つた。叔父も無言であつた。あゝ、父は丑松の為に『忘れるな』の一語(ひとこと)を残して置いて、最後の呼吸にまで其精神を言ひ伝へて、斯うして牧場の土深く埋もれて了つた――もう斯世(このよ)の人では無かつたのである。