父の死去した場処は、斯(こ)の根津村の家ではなくて、西乃入(にしのいり)牧場の番小屋の方であつた。叔父は丑松の帰村を待受けて、一緒に牧場へ出掛ける心算(つもり)であつたので、兎も角も丑松を炉辺(ろばた)に座(す)ゑ、旅の疲労(つかれ)を休めさせ、例の無慾な、心の好ささうな声で、亡くなつた人の物語を始めた。炉の火は盛(さかん)に燃えた。叔母も啜(すゝ)り上げ乍(なが)ら耳を傾けた。聞いて見ると、父の死去は、老の為でもなく、病の為でも無かつた。まあ、言はゞ、職業の為に突然な最後を遂げたのであつた。一体、父が家畜を愛する心は天性に近かつたので、随つて牧夫としての経験も深く、人にも頼まれ、牧場の持主にも信ぜられた位。牛の性質なぞはなか/\克(よ)く暗記して居たもの。よもや彼(あ)の老練な人が其道に手ぬかりなどの有らうとは思はれない。そこがそれ人の一生の測りがたさで、不図(ふと)ある種牛を預つた為に、意外な出来事を引起したのであつた。種牛といふのは性質(たち)が悪かつた。尤(もつと)も、多くの牝牛(めうし)の群の中へ、一頭の牡牛(をうし)を放つのであるから、普通の温順(おとな)しい種牛ですら荒くなる。時としては性質が激変する。まして始めから気象の荒い雑種と来たから堪(たま)らない。広濶(ひろ/″\)とした牧場の自由と、誘ふやうな牝牛の鳴声とは、其種牛を狂ふばかりにさせた。終(しまひ)には家養の習慣も忘れ、荒々しい野獣の本性(ほんしやう)に帰つて、行衛(ゆくへ)が知れなくなつて了(しま)つたのである。三日経(た)つても来ない。四日経つても帰らない。さあ、父は其を心配して、毎日水草の中を捜(さが)して歩いて、ある時は深い沢を分けて日の暮れる迄も尋ねて見たり、ある時は山から山を猟(あさ)つて高い声で呼んで見たりしたが、何処にも影は見えなかつた。昨日の朝、父はまた捜しに出た。いつも遠く行く時には、必ず昼飯(ひる)を用意して、例の『山猫』(鎌(かま)、鉈(なた)、鋸(のこぎり)などの入物)に入れて背負(しよ)つて出掛ける。ところが昨日に限つては持たなかつた。時刻に成つても帰らない。手伝ひの男も不思議に思ひ乍ら、塩を与へる為に牛小屋のあるところへ上つて行くと、牝牛の群が喜ばしさうに集まつて来る。丁度其中には、例の種牛も恍(とぼ)け顔(がほ)に交つて居た。見れば角は紅く血に染つた。驚きもし、呆(あき)れもして、来合せた人々と一緒になつて取押へたが、其時はもう疲れて居た故(せゐ)か、別に抵抗(てむかひ)も為なかつた。さて男は其処此処(そここゝ)と父を探して歩いた。漸(やうや)く岡の蔭の熊笹の中に呻吟(うめ)き倒れて居るところを尋ね当てゝ、肩に掛けて番小屋迄連れ帰つて見ると、手当も何も届かない程の深傷(ふかで)。叔父が聞いて駈付けた時は、まだ父は確乎(しつかり)して居た。最後に気息(いき)を引取つたのが昨夜の十時頃。今日は人々も牧場に集つて、番小屋で通夜と極めて、いづれも丑松の帰るのを待受けて居るとのことであつた。
『といふ訳で、』と叔父は丑松の顔を眺めた。『私が阿兄(あにき)に、何か言つて置くことはねえか、と尋ねたら、苦しい中にも気象はしやんとしたもので、「俺も牧夫だから、牛の為に倒れるのは本望だ。今となつては他に何にも言ふことはねえ。唯気にかゝるのは丑松のこと。俺が今日迄の苦労は、皆な彼奴(あいつ)の為を思ふから。日頃俺は彼奴に堅く言聞かせて置いたことがある。何卒(どうか)丑松が帰つて来たら、忘れるな、と一言左様(さう)言つてお呉れ。」』
丑松は首を垂れて、黙つて父の遺言を聞いて居た。叔父は猶(なほ)言葉を継いで、
『「それから、俺は斯(こ)の牧場の土と成りたいから、葬式は根津の御寺でしねえやうに、成るなら斯の山でやつてお呉れ。俺が亡(な)くなつたとは、小諸(こもろ)の向町へ知らせずに置いてお呉れ――頼む。」と斯う言ふから、其時私(わし)が「むゝ、解つた、解つた」と言つてやつたよ。すると阿兄(あにき)は其が嬉(うれ)しかつたと見え、につこり笑つて、軈(やが)て私の顔を眺め乍らボロ/\と涙を零(こぼ)した。それぎりもう阿兄は口を利かなかつた。』
斯ういふ父の臨終の物語は、言ふに言はれぬ感激を丑松の心に与へたのである。牧場の土と成りたいと言ふのも、山で葬式をして呉れと言ふのも、小諸の向町へ知らせずに置いて呉れと言ふのも、畢竟(つま)るところは丑松の為を思ふからで。丑松は其精神を酌取(くみと)つて、父の用意の深いことを感ずると同時に、又、一旦斯うと思ひ立つたことは飽くまで貫かずには置かないといふ父の気魄(たましひ)の烈しさを感じた。実際、父が丑松に対する時は、厳格を通り越して、残酷な位であつた。亡くなつた後までも、猶(なほ)丑松は父を畏(おそ)れたのである。
やがて丑松は叔父と一緒に、西乃入牧場を指して出掛けることになつた。万事は叔父の計らひで、検屍(けんし)も済み、棺も間に合ひ、通夜の僧は根津の定津院(じやうしんゐん)の長老を頼んで、既に番小屋の方へ登つて行つたとのこと。明日の葬式の用意は一切叔父が呑込んで居た。丑松は唯出掛けさへすればよかつた。此処から烏帽子(ゑぼし)ヶ獄(だけ)の麓まで二十町あまり。其間、田沢の峠なぞを越して、寂しい山道を辿らなければならない。其晩は鼻を掴(つ)まゝれる程の闇で、足許(あしもと)さへも覚束なかつた。丑松は先に立つて、提灯の光に夜路を照らし乍ら、山深く叔父を導いて行つた。人里を離れて行けば行くほど、次第に路は細く、落ち朽ちた木葉を踏分けて僅かに一条(ひとすぢ)の足跡があるばかり。こゝは丑松が少年の時代に、克(よ)く父に連れられて、往つたり来たりしたところである。牛小屋のある高原の上へ出る前に、二人はいくつか小山を越えた。