法話の第三部は白隠に関する伝説を主にしたものであつた。昔、飯山の正受菴(しやうじゆあん)に恵端禅師といふ高僧が住んだ。白隠が斯の人を尋ねて、飯山へやつて来たのは、まだ道を求めて居る頃。参禅して教を聴く積りで、来て見ると、掻集めた木葉(このは)を背負ひ乍らとぼ/\と谷間(たにあひ)を帰つて来る人がある。散切頭(ざんぎりあたま)に、髯(ひげ)茫々(ばう/\)。それと見た白隠は切込んで行つた。『そもさん。』斯(か)ういふ熱心は、漸(やうや)く三回目に、恵端の為に認められたといふ。それから朝夕師として侍(かしづ)いて居たが、さて終(しまひ)には、白隠も問答に究して了(しま)つた。究するといふよりは、絶望して了つた。あゝ、彼様(あん)な問を出すのは狂人(きちがひ)だ、と斯う師匠のことを考へるやうに成つて、苦しさのあまりに其処を飛出したのである。思案に暮れ乍ら、白隠は飯山の町はづれを辿つた。丁度収穫(とりいれ)の頃で、堆高(うづだか)く積上げた穀物の傍に仆(たふ)れて居ると、農夫の打つ槌(つち)は誤つて斯(こ)の求道者を絶息させた。夜露が口に入る、目が覚める、蘇生(いきかへ)ると同時に、白隠は悟つた。一説に、彼は町はづれで油売に衝当(つきあた)つて、其油に滑つて、悟つたともいふ。静観庵(じやうくわんあん)として今日迄残つて居るのは、この白隠の大悟した場処を記念する為に建てられたものである。
斯の伝説は兎(と)に角(かく)若いものゝ知らないことであつた。それから自分の意見を述べて、いよ/\結末(くゝり)といふ段になると、毎時(いつも)住職は同じやうな説教の型に陥る。自力で道に入るといふことは、白隠のやうな人物ですら容易で無い。吾他力宗は単純(ひとへ)に頼むのだ。信ずるのだ。導かれるのだ。凡夫の身をもつて達するのだ。呉々も自己(おのれ)を捨てゝ、阿弥陀如来(あみだによらい)を頼み奉るの外は無い。斯う住職は説き終つた。
『なむあみだぶ、なむあみだぶ。』
と人々の唱へる声は暫時(しばらく)止まなかつた。多くの賽銭はまた畳の上に集つた。お志保も殊勝らしく掌(て)を合せて、奥様と一緒に唱へて居たが、涙は其若い頬を伝つて絶間(とめど)も無く流れ落ちたのである。
やがて聴衆は珠数を提(さ)げて帰つて行つた。奥様も、お志保も、今は座を離れて、円柱の側に佇立(たゝず)み乍ら、人々に挨拶したり見送つたりした。雪がまた降つて来たといふので、本堂の入口は酷(ひど)く雑踏する。女連は多く後になつた。殊に思ひ/\の風俗して、時の流行(はやり)に後れまいとする町の娘の有様は、深く/\お志保の注意を引くのであつた。お志保は熟(じつ)と眺め入り乍ら、寺住の身と思比べて居たらしいのである。
『や、どうも今晩の御説教には驚きましたねえ。』と文平は住職に近いて言つた。『実に彼の白隠の歴史には感服して了ひました。まあ、始めてです、彼様(あゝ)いふ御話を伺つたことは。あの白隠が恵端禅師の許(ところ)へ尋ねて行く。あそこのところが私は気に入りました。斯う向ふの方から、掻集めた木葉を背負ひ乍ら、散切頭に髯茫々といふ姿で、とぼ/\と谷間を帰つて来る人がある。そこへ白隠が切込んで行つた。「そもさん。」――彼様(あゝ)いかなければ不可(いけ)ませんねえ。』と身振手真似を加へて喋舌(しやべ)りたてたので、住職はもとより、其を聞く人々は笑はずに居られなかつた。さうかうする中に、聴衆は最早(もう)悉皆(すつかり)帰つて了ふ。急に本堂の内は寂しく成る。若僧や子坊主は多忙(いそが)しさうに後片付。庄馬鹿は腰を曲(こゞ)め乍ら、畳の上の賽銭を掻集めて歩いた。
其時は最早(もう)丑松の姿が本堂の内に見えなかつた。丑松は省吾を連れて、蔵裏の方へ見送つて行つてやつた。丁度文平が奥様やお志保の側で盛んに火花を散らして居る間に、丑松は黙つて省吾を慰撫(いたは)つたり、人の知らない面倒を見て遣つたりして居たのである。