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秘密函

时间: 2023-09-13    进入日语论坛
核心提示:秘密函ばこ「三笠さん、三笠さん、しっかりして下さい。どうしたのです」守は思わず、老人の上に顔を寄せて、叫ぶように云った。
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秘密ばこ


「三笠さん、三笠さん、しっかりして下さい。どうしたのです」
守は思わず、老人の上に顔を寄せて、叫ぶように云った。
「ウフフフ……」
病人はなおも笑い続けながら、実に驚いたことには、まるでたっしゃな人の様に、ムックリ起上ると、いきなりベッドをおりて、守の前に立ちはだかった。
白いダブダブの寝間着ねまきを着た骸骨がいこつが、今墓場の中からよみがえって来たという恰好で、そこにヒョッコリ立っているのだ。守青年は、ギョッとして、思わずタジタジとあとじさりしながら、
「いけません、いけません、そんな無茶をしては、……」
と叫ぶ。
「シッ、大きな声をしちゃいけない。壁に耳ありじゃからね。だが、安心し給え。わしはこの通り、なんともないのだよ。ハハ……、わしはお芝居もなかなか上手じゃろうが」
云いながら、老人はラジオ体操の様に、手を動かして見せた。
だが、いくら活溌かっぱつに動いて見せたところで、これが健康な人と云えるだろうか。あの顔色はどうだ。目のまわりを薄黒く隈取くまどっている死相はどうだ。
「フフフ……、これかね」老人は自分の顔を指さして、「これは絵の具だよ。ここの院長さん絵心があってね。わしの顔をメーク・アップしてくれた。これは院長とわしと二人だけのお芝居でね、看護婦も事務員も、誰も知らないのだよ。でないと、どこに敵のまわし者がいないとも限らんのでね」
非常に痩せて見えたのは、負傷の為に本当に痩せてもいたのだし、それに、目をドロンとさせたり、口をだらしなく開いたり、上手なお芝居が、一層老人の形相を物凄く見せたのであった。
やっと仮病人けびょうにん次第わけが分ったので、守青年は俄かに安堵あんどを感じながら、彼の口辺にも、思わず笑いが浮かんだ。
「そうでしたか、僕はどうなることかと、実に心配しましたよ」
「イヤ、失敬失敬、敵をあざむくには、先ず味方からという訳でね、つい驚かせて済まんかった。君には、もう大体分ったじゃろうが、赤蠍の奴、今度はわしを狙い始めたのでね。危くて仕方がない。傷の方もすっかり治っているのだけれど、敵をあざむく為に、懇意な院長に頼んで、いつまでもここに置いてもらっている訳さ。フフフ……」
探偵は注意深く、決して大きな声を出さなかった。
「では、さい前、あんなに苦悶されたのも、……」
「ウン、ウン、あれが実は今晩のお芝居のクライマックスでね。君は丁度よい所へ来合せたというものじゃ。イヤ、失敬失敬。ところで、君はさっき、わしが大騒ぎをやっている最中、あの窓の外を見なかったかね」
アア、やっぱりそうであったのか。
「エエ、見ました。誰かが覗いていたのでしょう。あいつの正体を御存知なのですか」
「ウン。知っている」
「若しや……」
「その通り、赤蠍じゃ。恐らく青眼鏡の部下の奴じゃ」
「どうしてこの庭へ入って来たのでしょう」
「そんなこと、あいつらには朝めし前の仕事じゃろう。塀をのり越すなり、図々しく表門から入り込んで、裏手へ潜入するなり」
「そうまで分っていたら、なぜあいつを捉えなかったのです。僕もお手伝いしましたのに」
肝腎かんじん張本ちょうほんを逃がしてしまうからさ。やッつける時には、一網打尽じゃ。今はまず、奴等の罠にはまったと見せかけ、油断をさせておけばいいのじゃ。あいつ、このわしが余程邪魔になると見えて、毒殺しようとしおった。わしはその毒にやられたていに見せかけて、瀕死の病人を装っているのだよ。あいつ、今晩あたりきっとわしの様子を見に来ると思ったので、それを待ち構えて、さっきの大げさなお芝居を演じて見せたという訳なのじゃ」
「じゃ、何か毒のある品物を送って来たというのは本当なのですね」
「ウン、本当だ。わしはすんでのことに、やられる所じゃった」
「アア、それで思い出しましたが、僕も実は、新しく起った事件を御知らせに来たのですよ」
守は騒ぎにまぎれて、つい忘れていた桜井家の出来事を思い出した。
「第三の犠牲者のことかね」
探偵は、待構えてでもいた様に、図星を指すのだ。
「そうです、併し、あなたはどうしてそれを、……」
「桜井のお嬢さんじゃろうが」
余りのことに、守はこの名探偵の藍色の顔を見つめたまま、二の句がつげなかった。
「ハハハ……、それを知らん様では、探偵とは云われん。驚くことはないよ。四五日前から、わしは毎晩この病院を抜け出して、東京中をうろつき廻っていたんだからね。赤蠍の奴が次に何を企らむか位は、ちゃんと目星がついているのさ」
「今度は未然に防げましょうか」
「ハハ……、気掛りと見えるね。君はあのお嬢さんとは仲よしだったね。大丈夫、今度こそわしが引受けた。この白髪首しらがくびを賭けてもいいよ。わしは生れてからこのかた、同じ失敗を二度繰返さないという、固い信念を持っているのじゃ。妹さんのことは、何とも申訳もうしわけがないと、胆に銘じている。それなればこそ、こんな偽病人の苦労までしているのじゃ。今度しくじる様なことがあったら、無論、この白髪首、胴にはつけて置かん決心じゃよ」
「それを伺って、僕も気持が軽くなりました。ですが、探偵という仕事もつらいですね。賊に傷つけられて入院なすったそのことを、すぐに又探偵の手段に逆用しなければならないなんて」
「ハハハ……、君にはつらい様に見えるかね。わしは愉快なんじゃよ。軍人以外の職業で、探偵程戦闘的なものはありやしない。命がけの戦いだ。智恵という智恵をしぼりつくし、力という力を出しつくしての闘争じゃ。世の中にこんな面白い仕事があるもんか」
「ワー、おじさんの元気には、僕顔まけしますよ。ハハハ……」
とうとう冗談が出た。守青年はそれ程気が軽くなっていたのだ。この老いぼれ探偵のたのもしさはどうだ。すばらしさはどうだ。
話は段々陽気になって行ったけれど、彼等は非常に用心深く、声の加減をしていたので、仮令たとえ万一、賊が窓の外に潜んでいても、そこまで聞える心配はなかった。実はそんな心遣こころづかいをしなくとも、守がさい前窓の外を見た時、もうその辺に人影さえなかった程だから、賊はとっくに逃げ去ってしまったに違いないのだけれど。
気持がほがらかになると、今まで目にもつかなかった品物が、ふと守の注意をいた。
「これんです?」
枕元の小卓の上に、美しい寄木細工よせきざいく小函こばこが置いてあった。彼は何気なく、それを手に取って訊ねた。
「秘密函さ。けられるかね」
老探偵の口辺に、ちょっと悪戯子いたずらっこの様な表情が浮んだ。
例の「探偵さん」の守青年のことだから、秘密函と聞くと、つい開けて見ないでは気が済まなかった。彼はその函をあちこちと向きを変えながら、指先でひねくり廻していたが、暫くすると、パチンと幽な音がして、函の蓋がパッと開いた。と同時に、
「アッ」
という守の叫声きょうせい
何かしら、函の中から赤いものが飛び出して来て、彼の顎にぶッつかり、そこの皮膚をチクリといた。それはおもちゃのビックリ函と同じ仕掛けになっていたのだ。
思わず函を放り出して、よく見ると、長く伸びたゼンマイの先に震えている赤く塗った金属製のものは、何と驚いたことには、例の悪魔の紋章「赤い蠍」ではなかったか。
守はそれと気付くと、刺された顎を押えながら、青くならないではいられなかった。賊が探偵に送った品物というのは、この小函であったのだ。すると、今チクリと刺した蠍のとげには、立所たちどころに人命を奪う猛毒が塗られていたのではないか。
「失敬失敬、ちょっと実験をして見たのだよ。成程、この奇抜な注射法は百発百中だわい。秘密函を開けようと熱中すると、自然に顔が函の上へのしかかる。そこへパッと蓋がくものだから、蠍のとげは必ずその人の顔面へ命中するっていう訳じゃ。うまく考えよったわい」
「じゃ、このとげには、毒が……」
「ハハ……、そんな危いものを、大切だいじな君になぶらするものかね。安心したまえ。毒は院長が完全に洗い取ってくれたのだよ」
「おじさん、人が悪いや。すっかり驚かされてしまった」
「だがね守君、よく考えて見ると、この小函は、ただ毒薬注射器という以外に、何かしら犯人の思想を象徴している様な気がして仕方がないのだよ。ホラ、君が最初谷中で隙見したという、あの変な木箱ね。その中にはどうやら人間が入っていたらしく、そいつが妙な流行歌はやりうたを歌ったのだね。それから、この間の三河島だ。あれははりぼての岩だったけれど、何かを包み隠している点で、やっぱり一種の箱と云ってもいい。その箱の中から、短剣が飛出したのじゃ。丁度今この秘密函から蠍が飛出した様にね。どうだね。こう考えて来ると、今度の犯人には、箱というものが、不思議につき纒っているじゃないか。これは一体何を暗示していると思うね」
探偵は、非常に真面目な表情になって、じっと守青年を見つめた。
「なる程、おっしゃれば、そうですね。そう聞くと、何だかひどく不気味な気がしますけれど、僕にはその意味がよく分りません」
「イヤ、わしにもハッキリ分っている訳ではない。じゃが、その箱に包み隠されているものが、どうやら、この犯罪の根本原因をしている様に思われてならぬのじゃ。若し、わしの想像が当っているとすると、これは実に容易ならぬ事件だよ。前代未聞と云ってもいい。だが、それ程の邪悪の魂が、果してこの世に存在するものだろうか。想像も出来ない。アア、何という気違いだ。何という悪魔だ」
白髪白髯の名探偵は、我れと我が言葉に、段々昂奮しながら、つい知らず声高こわだかになって行くのであった。
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