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老探偵の勝利

时间: 2023-09-13    进入日语论坛
核心提示:老探偵の勝利実に意外なことが起ったのだ。開かれた襖の向うには、天井裏で殺された筈の桜井品子さんが、いくらか蒼ざめてはいた
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老探偵の勝利


実に意外なことが起ったのだ。開かれた襖の向うには、天井裏で殺された筈の桜井品子さんが、いくらか蒼ざめてはいたけれど、それでもニッコリ笑いながら立っていたではないか。
一目それを見ると、流石の妖魔殿村夫人も、アッとのけぞらんばかりに驚いて、物を云う力もなく、ヘタヘタと坐り込んでしまった。
驚いたのは殿村夫人ばかりではない。一座の人々はアッと驚喜の叫びを立てないではいられなかった。中にも父桜井氏は、夢中に駈け出していた。駈け出して品子さんにすがりついた。イヤ縋りつかんばかりにしてその手を握った。品子さんがこらえ堪えていた感動を一時に現わして、父親に手を取られたままそこに泣き伏したのも無理ではなかった。
アア、よかった。第三の被害者は命拾いをしたのだ。品子さんはかすり傷一つ受けないで、ちゃんと生きていたのだ。だが、それではどうもおかしいではないか。その夥しい天井の血潮は一体どこから流れたのだ。若しかしたら、品子さんではない別の人物が、屋根裏で惨殺されているのではないだろうか。それについて、第一番に不審を抱いたのは、赤蠍の殿村夫人であった。彼女は夢でも見ているのではないかと疑う様に、キョロキョロとあたりを見廻していたが、やがて、堪りかねたのか?
「信じられない。私には分らない。一体何が起ったのだろう」
とうつけの様に呟くのであった。
「信じられんかね」
三笠探偵は、赤蠍の狼狽を小気味よげに眺めながら揶揄やゆした。
「ハハハハハハ、魔術師が魔術にかかったという訳じゃね。流石の手品使いも、他人の手品の種は分らんと見えるね。お前は気づかなんだのかね、さい前わしが、品子さんの飼猫に引掻かれたと云って、手首から血を流していたのを。あれが手品の種なんじゃよ。わしはその猫をとっ捕まえたのだ。そして紐で縛りつけた上、可哀相じゃが、ちょっと息の根を止めて置いたのだよ。これはあの時、猫めが死にもの狂いで引掻きよった傷じゃ。それから、その猫をどこへやったと思うね。ハハハハハハ、やっと気がついたか。その通りじゃ。品子さんを天井裏から助けおろしたあとへ、身代りとして転がして置いたのじゃよ。だから、この血は人間の血じゃない。猫の血じゃ。猫めダンビラで以てスッポリと首を斬られていることじゃろうて。可哀相ではあったが、人の命には換えられん。猫めも御主人の品子さんの身代りに立って、満足に思っとるかも知れんからなあ」
アア、そうだったのか。三笠探偵が最初相川守と別室で話をした時、誰にも知らせず二階へ上って、品子さんの部屋を見に行ったが、その時すでに、広間の天井裏の秘密を感づいていて、品子さんを助け降し、身代りの猫を置いて来たのに違いない。探偵のパンツの膝がひどく汚れていたのは、その為であったのだ。
「さい前、午後三時云々の予告状を見た時に、わしは品子さんが、この邸内のどこかに隠されているに違いないと睨んだ。でなければ、『諸君の目の前で』という文句が意味をさないではないか。では、どこに隠されているか。下な筈はない。偽刑事達が人目にかからぬ様に仕事が出来たのは二階丈けじゃからね。そこでわしは二階中を見廻った。すると廊下の隅の天井板に隙間があるのを発見した。調べて見ると、その天井板の上のほこりが乱れている。てっきり屋根裏だと見当がついた。そうして、わしは品子さんと、妙な仕掛けのダンビラとを見つけ出したのじゃよ」
三笠探偵が説明した。
丁度その時、階段にバタバタと跫音あしおとがして、ちっぽけなお化けみたいなものが、部屋の中に駈け込んで来た。一寸法師が探偵の書生の監視の目をかすめて上って来たのだ。彼女は例の嗄れ声で、
「おッ母ちゃん」
と叫びながら、母の殿村夫人の膝にしがみついて行った。
だが母の方は、そこどころではなかった。苦心に苦心を重ねて手に入れた獲物が、罠を抜け出して目の前に笑っているのだ。悪魔の正体はあばかれるし、獲物は取逃がすし、殿村夫人はもう半狂乱の体であった。
彼女は縋る娘を振り離して、スックと立上ると、憤怒ふんぬの形相物凄く、いきなり次の間の品子さん目がけて飛びかかろうとした。だが、いくら魔術師だと云って、女の力で何が出来るものではない。忽ち相川守青年に抱きすくめられてしまった。
「アア、くやしい、くやしい。離して、離して」
殿村夫人は髪ふり乱し、目は赤く、顔は青く、唇は紫色となって、くうを掴みながら身もだえした。地獄の底から今這い出して来た妖婆の形相である。
「品子さんは危いから、早く下へお降りなさい。それから、桜井さん、一つ警察へ電話をかけて下さらんか。赤蠍を捕えたからと云ってね」
探偵の指図に従って、桜井氏は品子をいたわりながら、階下へと降りて行った。
「殿村、往生際おうじょうぎわの悪いやつだな。もう観念したらどうじゃ。品子さんをどうする事も出来はしないのだ。いや、それどころか、お前自身がこうして捕えられているのじゃないか。逃げようと云っても、もう逃げられるものではない。観念しなさい」
妖魔も今は凡てを諦める外はなかった。彼女はグッタリとそこに坐って、縋り寄る一寸法師をもう振り離そうとしなかった。
犯人が逃げる様子もないので、人々は二人を遠まきにして、警官来着を待つ間の放心状態にあった。ここは、裁判所ではないのだから訊問する事もない。仮令訊ねて見ても、この昂奮状態では満足な返事を得られ相にはない。イヤ、態々聞かなくても、大方の事情は想像がついている。ただ、二人を逃がさぬ様にさえ気をつけていればよいのだ。
殿村夫人は娘を抱きしめる様にして、激情の余り泣き出す力さえなく、空ろな目で空間を見つめたまま、長い長い間身動きもしなかったが、やがて、彼女の右手が、内ぶところの中でモゾモゾやっていたかと思うと、何かしら小さな丸薬の様なものを取出して、膝にもたれていた一寸法師の口へ持って行って、「サこれを呑み込むのよ」と囁きながら、その口に含ませた。可哀相な低能児は、まるでおいしいお菓子ででもある様に、それをゴクリと呑みこんだが、すると、今度は今一つの粒を、手早く彼女自身の口へ、……それが極わめて何気なく、ごく静かに行われたので、人々が意味を悟るひまがない程であった。無論見ていないのではなかった。見ながらも、妙なことをするなと感じたばかりで、誰もそれをとめる者はなかった。
「オイ、何か呑んだな。それは何だ、まさか、……」
三笠探偵がびっくりして叫び出した時には、もう手遅れであった。烈しい薬物の利目ききめは忽ちであった。さしたる苦悶もなく、何事を云い残すでもなく、この異様な親子は、見る見る蒼ざめて行って、しっかりと抱き合ったまま、いつしか冷いむくろと化していた。
「アア、しまったわい。こいつは、まさかの時に、自分を殺す毒薬を、ちゃんと用意しておったのじゃ」
探偵は、この失策をさして悔む様子もなく、独りごとの様に云った。彼は内心では、殿村親子の世にも異様な境遇に、幽な同情を感じていたのかも知れない。そして、彼女の自殺を、実は見て見ぬ振りをしたのかも知れない。
かくして妖虫殺人事件は、意外に簡単な結末を告げた。ただ残っているのは、殿村親子の犯罪動機の穿鑿せんさくであったが、それは後日、殿村夫人が止宿ししゅくしていたアパートの室の手文庫の中から、厳封された一通の手記が発見され、詳細に判明したのである。
その手記というのは、殿村夫人自身が半紙五十枚程に細々こまごましたためたもので、その内容は複雑、悲痛な人間記録であって、優に一篇の物語を為す程のものであったが、ここにはそれを詳記する必要はない。ただ要点丈けをかいつまんで記して置けば、
殿村夫人の母なる人が、世にも不幸なる醜婦であった。結婚をして殿村夫人を産んだのではあるが、醜婦の為に夫や夫の周囲の人々から虐遇ぎゃくぐうされ、離縁となってからも云い尽せぬ数々の不幸を味わって、遂に世を呪い人を呪い、ある夜自家の庭の木にくびれ死んだのであった。
殿村夫人はその母の呪いの中に育った。「お前は決して結婚するでない。この母がよい見せしめだ。結婚したらきっと恐ろしい事が起るのだから」と云い聞かされながら大きくなった。母の死後は親切な身寄りとてもなく、少女にして既に世の味気なさを知ったのであるが、生れついての醜貌と欠唇とが、同年輩の少年少女は勿論大人達までの嘲笑の的となって、くやしさ恥しさに幾度自殺を考えたか知れなかった。
醜貌に引かえて聡明そうめいであった彼女は、小学校の各年級を通じて抜群の成績を示したので、校長先生などの好意で給費生となって、高等教育も受けたのであるが、その間醜さの為に、どれ程深い悲痛と烈しい苦悩を味わったか、手記にはその当時のやるせない、呪わしい心持が実に細々と記してあった。
この苦悩は、彼女の成熟と共に、加速度を以て増大して行った。男というものが彼女の目に映る様になり、人生というものがハッキリ分ってしまって来るに従って、悶々もんもんじょうは巨大な化物の様に生長して行った。そして、遂に恐ろしい破綻はたんが来たのだ。彼女はふと魔がさして、山窩さんかの様な浮浪の男と一夜を共にし、あの恐ろしい片輪娘を生みおとしたのであった。しかも、その娘は因果物師いんがものしに売り飛ばされ、あまつさえ、彼女はそんな乞食同然の男にすら、弊履へいりの如く捨てられてしまったのだ。
この比類もない不幸が、彼女を気違いにした。母親から受け継いだ呪咀じゅその血が、醜い肉体の中で、地獄の業火ごうかに湧きたぎった。それからの十幾年、彼女は最早もはや人間ではなかった。鬼であった。呪いの化身であった。彼女は一方修めた学問をたよりに様々の職業について復讐の資金を貯蓄すると同時に、一方では我子の世界である因果物師の仲間に入って行って、いざという時の手助けを作ることに腐心した。
ただ訳もなく美しい女が彼女の仇敵であった。この世界から美しい女という女をほろぼし尽すという妄想が、彼女にとりついて離れなかった。十何年の年月としつき、寝ても覚めても、ただその事ばかりを考え暮らした。そしてあらゆる計画、あらゆる準備が、少しの手落ちもなく完成された。
呪いの妖魔は、なるべく世間に知れ渡った美貌の娘を物色した。春川月子が選ばれたのも、相川珠子、桜井品子が選ばれたのも、そういう意味からであった。月子が余りにも有名な女優であったことは云うまでもない。珠子はミス・トウキョウであったし、品子は美貌のヴァイオリニストとして世の視聴を集めている娘さんであった。彼女等が妖魔の餌食と狙われたのは、偶然ではなかったのだ。
長々しい殿村夫人の手記の内容は、概略すればこの様な意味であった。無理もないと云えば云えぬこともなかった。併し、如何に深刻な悲痛からとは云え、あの惨虐は到底許さるべくもない事だ。彼女の計画が遂に失敗に帰し、親子諸共もろとも毒を仰いで自滅しなければならなかったのは、当然と云わねばならぬ。
白髪の老探偵三笠龍介は、その激情的な事件によって、一段と有名になった。その事があってから、守青年と品子さんの愛情が、一層固く結ばれたことは云うまでもない。相川操一氏は、守青年のフィアンセとしての品子さんを、新しく生れた我娘と考えることによって、愛嬢珠子さんを失った悲しみを、幾分慰めることが出来た。
素人探偵相川守の名は、大変世間的になった。だが守青年はもう懲々こりごりしていた。探偵小説は面白い、併しそれが一度ひとたび現実の事件となると、面白いどころではなかった。彼は妖虫殺人事件に於て、あらゆる苦しみと悲しみとを味わった。もう沢山だ。探偵小説なんて呪われてあれ! そこで、彼は沢山の探偵本の蔵書を、一纒めにして、屑屋に売払ってしまったということである。
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