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幼虫の曲芸

时间: 2022-08-09    进入日语论坛
核心提示:幼虫の曲芸搜索复制 一太郎君は、農学士の伯父さんのお家で、トックリバチという小さな蜂のつくった、壺を見せてもらいました。
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 幼虫の曲芸


 一太郎君は、農学士の伯父さんのお家で、トックリバチという小さな蜂のつくった、壺を見せてもらいました。
 枯枝に、まるでお(ひな)様の花瓶とでもいうような、かわいらしい白い壺が、くっついているのです。桜んぼぐらいの大きさで、一太郎君のお家にある瀬戸物の一輪挿とそっくりの形をしています。
 伯父さんは、そのトックリバチが、どんなふうにして、そんな壺をつくるかということを、くわしく一太郎君に話してきかせて下さいました。それは先にしるした通りです。
「ところが、このトックリバチには、もう一つ、とてもおもしろいことがあるんだよ」
 伯父さんは、なんだかじらすような笑い方をして、一太郎君の顔をごらんになるのでした。
 一太郎君は、そのおもしろいことというのは、いったい何だろうと、早く聞きたくてしかたがありません。
「トックリバチは、さっきも言ったように、たいへんな苦労をして、この美しい壺をつくりあげるのだが、それはけっして自分のためではないのだよ。
 この壺は、自分がやすんだり眠ったりするためのものではなくて、子供を育てるためのものなんだ。子供のお家なのだ。
 トックリバチは、壺をつくりおわると、こんどは子供の食料あつめにとりかかる。その食料というのは、長さ一センチにもたりない青虫だ。小さな()の幼虫なんだね。
 そういう青虫の神経を、得意の毒針でちょっと刺して、逃げだしたりなんかできないように、からだをしびれさせておいて、それを脚ではさんで、飛びかえって、壺の中へ入れる。
 一匹じゃない。十匹以上も、同じようにして、運んできては、壺の中へためこむのだ。
 さて、食料の用意ができると、トックリバチは、壺の中へ卵を一つ生みつけて、それから、例の土をこねたセメントで、そっと壺の蓋をして、そのままどこかへ飛び去ってしまう。
 生みつけられた卵は、壺の中で(から)をやぶって幼虫になり、たっぷり用意されている青虫をたべて、だんだん大きくなって行き、おしまいには親蜂と同じ成虫の姿になって、壺をやぶって、広い世界に飛び出すという順序だ。
 人間のお母さんたちは、だいたり、おぶったり、お乳をのませたり、赤ちゃんを育てるのに、それはそれは御苦労をなさるのだが、トックリバチは、その苦労を、子供を生む前にすませてしまうのだね。
 雨や風にあたらないよう、太陽の強い光に照らされないように、ちゃんと、安全なお家をつくっておいてやる。それから、お乳をのませる代りには、青虫をどっさりためておいて、子供が成長してしまうまで、少しもひもじい思いをしないように、何から何まで用意がしてあるのだ。その用意をするのが、母蜂の生涯での一番大きな仕事なんだよ。
 十何匹の青虫は、赤ん坊が成長するまでの食料だから、途中で腐ったりしてはたいへんだ。いつでもいきいきしていなければならない。
 そこで、トックリバチは、青虫の神経を刺して、からだをしびれさせておくだけでけっして殺しはしないのだよ。殺せばすぐに腐ってしまう。人間のお医者さまだって、こんなうまい注射はできやしない。外科の手術をする時に、患者の神経をしびれさせておく注射はあるけれど、あの注射のききめは、ごくわずかの間で、トックリバチのように長くつづきはしないからね。
 だから、トックリバチの赤ちゃんの食料は、生きているのだ。青虫どもは逃げだすような力はないけれども、口でものをかんだり、もくもくと身うごきすることぐらいはできるのだよ。
 ところで、ここにじつに不思議なことがある。いいかね、トックリバチの卵は、水晶のようにすき通った細長い卵でごく小さな弱々しいものだ。また、卵をやぶって生まれてくる幼虫も、小さなうじ虫みたいなもので、食料の青虫たちが、ちょっとでも、身動きすれば、おしつぶされてしまうぐらいだ。餌になる青虫の方が、トックリバチの赤ちゃんよりも、ずっとずっと大きいのだからね。たとえからだがしびれていても、だまっておとなしく赤ちゃんに食われてしまうはずはないのだよ。
 ちょうど人間の赤ん坊を、十何匹の牛がかたまって眠っているまん中へ、ほうり出しておくようなもので、もし牛が身動きすれば、赤ん坊はおしつぶされてしまう。トックリバチの赤ちゃんは、それと同じようなあぶない食料の中にいるのだ。
 いったいこの弱々しい幼虫は、どうして身を守るのだろう。いや、幼虫になる前の卵のうちに、おしつぶされてしまうかもしれない。それをどうしてふせぐのだろう。
 さあ、一太郎、お前のすきな謎の問題だよ。考えてごらん。これには、じつにびっくりするような仕掛があるのだからね」
 伯父さんはそこで言葉をきって、又にこにこお笑いになるのでした。
 一太郎君は、伯父さんのお話がおもしろくてたまらないので、夢中になって聞入っていましたが、待ちかまえていた謎を出されますと、さあわかりません。いくら考えてみても、この謎はとけないのです。
「伯父さん、僕にはとてもわかりませんよ」
 一太郎君はとうとうかぶとをぬいでしまいました。
「ははははは、お前にわからないのはもっともだよ。有名なファーブルという昆虫学者にさえ、最初はわからなかったのだからね。ましてファーブルよりも前の昆虫学者は、そんなことを、うたがってさえみなかったのだからね。
 ファーブルというのは、今から三十二年ほど前に、九十何歳まで長生きをして、なくなった、フランスの昆虫学者で、一生涯、虫とお友だちになって暮した人だ。「昆虫記」という大きな著書があって、日本語にも訳されているから、もう少し大きくなったら読んでみるといい。その本にはまるで小説のように、おもしろく、くわしく、いろいろな昆虫の生活が書いてあるのだよ。
 そのファーブルが、トックリバチの幼虫が、自分のからだの何倍もある青虫どもの中にいて、どうしておしつぶされないかということを、はじめて発見したのだ。
 ファーブルは、トックリバチの壺を割って、幼虫と青虫を取りだし、ペン先を入れる小さな箱の中へ入れて、幼虫が青虫をたべて成長して行くありさまを見ようとしたが、どういうわけか、ペン箱の中では、幼虫が死んでしまう。又別の壺を割って、同じようにためしてみても、やっぱり幼虫は死んでしまう。何度くりかえしてもだめなんだね。
 そこで、ファーブルは考えた。壺から出すと死ぬんだから、きっと壺の中に何か仕掛があるにちがいない。だから幼虫を壺から取出さないで、壺の壁をそっと切り開いて、そこから虫眼鏡でのぞいて見ることにしよう、とね。
 口でいえば何でもないが、これはなかなかむずかしい仕事なんだよ。よく切れるナイフの先で、壺の壁を、こわれないように用心しながら、切り開いて行くのだ。壺ぜんたいが桜んぼくらいの小さなものだから、うっかりすると、やりそこなう。気ながに、ゆっくりゆっくりやらなければいけない。
 で、ファーブルは、やっとのことで、壺の横に四角な窓をあけたのだが、さて、そこからのぞいて見ると、壺の中には、どんな仕掛があったと思うね」
 伯父さんは、そこでまた言葉を切って、いよいよ種明しをするんだぞ、といわぬばかりに、一太郎君の顔をごらんになるのでした。
「伯父さん、それ、どんな仕掛だったんですか」
 一太郎君は、膝をのり出して、熱心にたずねました。
「窓に虫眼鏡をあててのぞいて見るとね、それはまだ母蜂が卵を生みつけて行ったばかりの壺だったが、その小さな水晶のようにすき通った卵が、どこにあったかというとね、おどろくじゃないか、壺の中の天井にぶら下っていたんだよ。
 蜘蛛の巣のような細い糸に、卵がくっついてぶらさがっているのだ。だから、青虫どもがいくら身動きしたって、卵まではとどかないのだよ。卵はけっしておしつぶされる心配はないのだ。ファーブルは卵から幼虫が生まれ出るころを見はからって、又のぞいて見た。すると、かわいらしい幼虫は、やっぱりあの細い糸にぶら下って、頭を下にさかだちをして、壺の底にかさなり合っている青虫の一匹を、小さなくちばしで、つついていた。つまり人間でいえば、お乳をのんでいたわけだね。
 ファーブルは、ためしに、ピンセットの先で、その青虫をそっとついてみた。青虫は死んでいるのじゃないから、もくもくとからだを動かした。すると、トックリバチの幼虫は、びっくりして、さかさまになったまま、あとじさりをして、あぶない餌から、天井の方へ逃げのぼってしまったんだよ。
 例の卵のぶらさがっていた糸の先に、ちょうど幼虫が通れるくらいの白い管のようなものがついていて、びっくりした幼虫は、いきなりその管の中へ身をかくしてしまったのだ。
 この管のようなものは、幼虫が生まれ出た卵の殻なんだね。その殻がむだにならないで、ちゃんと幼虫のかくれ場所になっているんだよ。
 そうして、青虫の身動きが静まると、幼虫はまた、そろそろと管の中から頭を出して、下の方へおりて来て、青虫のからだを吸いはじめるのだ。それから、しばらくたって、またのぞいて見ると、幼虫はすっかり大きくなって、もう青虫がいくら動きまわっても、つぶされるような心配はなくなっている。だから、不自由な曲芸なんかすることはない。幼虫は下へおりてしまって、大いばりで青虫をたいらげているのだよ。
 どうだね、何とうまくできているじゃないか。神様はこんな小さな虫けらにさえ、これだけの智恵をおさずけになっている。この世界をおつくりになった神様の考え深さは、ほんとうに恐しいほどじゃないか」
 伯父さんのお話を聞きおわった一太郎君は、いつか蜘蛛の曲芸を見せてもらった時と同じような、ふしぎな感じにうたれて、しばらくは口もきけませんでした。この世界というものは、ほんとうにすばらしい。どんな小さな生きものにも、何かしら、びっくりするような、神様の智恵があらわれている。その世界に生きているというのはなんて楽しいことだろうと、身にしみて感じないではいられなかったのです。
「伯父さん、そのトックリバチって、どこにいるんですか」
 やがて、一太郎君は、ふと気づいたようにたずねました。
「どこにだっているよ。東京附近にはたくさんいるんだ。お前もトックリバチの巣をさがし出して、ファーブルのまねをして、中をのぞいて見るといいね」
 伯父さんは椅子から立ち上って、一太郎君の肩に手をかけて、にこにこしながら、そうおっしゃるのでした。
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