小学三年级的健太君想让机器人代替自己做作业和打扫房间。为了不被揭穿,他还打算教会机器人自己的特征,但他却开始思考,“自己又是什么呢?”连环画《制作我的替身》(吉田结新介著)的故事非常深刻。
毎年背が伸びているから、僕はまだ「つくりとちゅう」だ。気持ちはコロコロ変わっていろんな僕になるけれど、ぜんぶ僕だ。そして僕はひとりしかいない。
每年身体都在成长,他觉得自己尚且处于“制造期”。随着心情的跌宕起伏,自己也在变化,但这些都是ziji的一部分。并且,我自己不再是孤独的一个人。
「にんげんは ひとりひとり かたちのちがう 木のようなものらしい」と、おばあちゃんに教わった。木の種類は生まれつきだから選べないけど、どうやって育てて飾り付けをするかは、自分で決められる。木の大きさではなく「じぶんの木を 気にいってるかどうかが いちばん だいじらしい」。
“人类啊,每个人的身体都不一样,就像树木一样”,奶奶如此告诉我。树木的品种是与生俱来的,无法选择。但是如何成长,却是由自己决定。树木的大小并不重要,“如何看待属于自己的树确是最为重要的。”
きょうはこどもの日。自分という木をどう育てるか、一人ひとりが胸をふくらませてほしいと願う。ただ現実はどうだろう。
今天是“儿童之日”。如何培育自己这棵树呢?希望每个孩子都能仔细想想。但现实又是如何呢?
子どもの貧困が言われ、いじめのニュースも絶えることがない。13~29歳で自分の将来に明るい希望を持っている人の割合は、他の先進国より低いとの調査もある。子どもや若者に生きづらい社会になっていないか。
诟病已久的儿童贫困和欺辱之类的新闻不绝于耳。有份调查表明,13岁至29岁年龄层中,对自己未来怀有清晰愿望的人的比例远低于其他发达国家。难道日本的社会已经沦落到了儿童和年轻人生存艰难的地步了吗?
手塚治虫は子どもたちを「未来人」と呼んだ。子どもはわれわれ大人よりも少し進歩しているはずだから、彼らの夢を大事にしなければと語っていた。どんな大人も昔は子ども。いまの子どもたちの未来が明るくなるかどうかは、「元子ども」たちの振る舞いにかかっている。
手冢治虫把孩子们称为“未来人”。他说,正因为孩子们比我们这些大人有所进步,所以才必须重视他们的梦想。每个大人都是由小孩子成长起来的。如何才能让现在的孩子有个光明的未来?这全在于我们这些“昔日孩子”的行动上。