“守护宪法100年。”在战后70周年之际,作家半藤一利在接受本报专访时如此说道。和平宪法在诞生一百年后还能保持初始的样子,那么“它就会成为国家的意志,并会影响海外各国的战争观。”
「軍隊による安全」ばかりが言われるが「軍隊からの安全」という視点も必要だとも述べていた。兵士そして無辜(むこ)の人々の無残な死を書き続けてきた作家としての視点だろう。100年の区切りに特段の理由はない。あるのは平和への意思だろう。
他说,我们常说“军队带来的安全”,但是“来自军队的安全”的观念也是必不可少的。这是坚持描写士兵以及无辜的人惨死的作家的观点吧。以100年做划分,并没有特别的理由。有的只是对和平的意愿。
さてこちらの区切りはどうか。安倍晋三首相が持ち出した「2020年」である。憲法を改正し、施行される年にしたいのだという。東京五輪に合わせるというが、憲法といったい何の関係が。首相在任中に改憲を見たいという「自己都合」にしか思えない。
那么下面这个划分又如何呢?安倍首相提出了“2020年”这一时间节点。据说他想在那年修改宪法并开始实行。迎合东京奥运会的说法,与宪法又有什么关系呢?首相只不过是“打着自己的小算盘”,想在任内实现罢了。
9条に項目を設け、自衛隊を明記する方針という。自衛隊はすでに国民に定着しており、項目追加にいかほどの意味があろうか。何かほかに狙いがあるのではと勘ぐりたくなる。
据说政府将针对第九条設置条文,作为明确指导自卫队的方针。自卫队已经在国民中形成定式,所谓追加项目又是什么意思?有没有其他的目的呢?希望我们大家都能看看仔细。
憲法を読んでいくと、所々で立ち止まってしまう。15条は公務員は全体の奉仕者だというが、森友学園を思えば「財務官僚は一部への奉仕者になっているのでは」と考え込んでしまう。能力に応じて等しく教育を受ける権利があると26条はうたうが、所得格差が教育格差につながる現状はどうしたものか。
仔细看了下宪法,每一条都引人深思。第15条称:“公务员指的是政府人员。”回想森友学园事件,“财务省官员是否成了一部分人的专用人员?”,这不禁令人深思。第26条规定,国民依据能力有平等接受教育的权力。但现状却是收入差距带来教育差距,这又如何处理?
施行から70年、憲法はどこまで私たちのものになっただろう。現実を理念に近づけるべき箇所はまだある。
和平宪法已经实行70年了。宪法又多少得以实现,成为了我们生活的一部分。把缩短现实和理念差距的地方还有很多。