位于京都盆地的西南侧的乙训地区是著名的竹笋产地。孟宗竹的季节过去了,接着是淡竹以及真竹的季节了。我拜访了在京都府向日市经营珠竹林的田中益一先生,请教挖竹笋的方法。
土から顔を出したものには手をつけない。のどを刺す「えぐみ」があるからだ。地割れや隆起をたよりにスッとくわを土に刺す。身を傷つけぬよう地下茎の筋を読み、素手でやさしく掘り起こす。〈発掘の石仏に似て春筍〉村上喜代子。
从土里冒出的竹笋是不能挖的,因为它已经变得难以下咽了。用锄头挖的时候要根据地裂和隆起情况利落地下手。为了不损伤竹子的根本,我们要了解竹鞭的走势,用双手轻轻地挖起竹笋。正如村上喜代子吟诵的那样,“挖笋犹如挖石佛”。
「子ども時分に覚えた人は手際がいい。バイオリンの稽古に似ています」と田中さん。いまは祖父や父から教わった知恵を、高校生の息子さんに伝えている最中という。
“在孩提时代就学会的人,他的技术是非常好的。这跟拉小提琴是一个道理”,田中先生说。据说,他正在把从祖父、父亲那里学得的智慧交给正在读高中的儿子。
田中さん宅で孟宗竹の水煮をいただいた。身がとろけるほど軟らかく、まろやかである。流通量は少ないものの、淡竹は苦みがあってパリパリした食感が通に好まれる。真竹も苦いが、軟らかみは孟宗に近いそうだ。
我在田中先生的家里吃了水煮的孟宗竹。竹笋被煮得非常柔软,就如同要融化一般,口感非常温和。略带苦味的淡竹的产量很少, 但因为吃起来非常爽口而为人们喜爱。真竹也带苦味,但据说其柔软程度和孟宗竹相近。
一帯は長く竹産業で栄えた。かつて竹材は、桶(おけ)や樽(たる)の製造、建築現場はもちろん、のりの養殖のさおや、衣類のボタンにも使われた。近年は需要が細り、花器や茶器、門松など工芸品が軸と聞く。
这一片地区长年以竹子产业而繁荣。过去,人们用竹子编制桶等用具,建筑工地自不必说,甚至还被用于紫菜的养殖以及衣物的纽扣。近年来,竹子的需求少了,听说主要用于插花的器具、茶具、门松(装饰品)等工艺品上。
「いまは昔、竹取の翁といふもの有けり。野山にまじりて竹を取りつゝ、よろづの事に使ひけり」(竹取物語)。長きにわたり生活全般「よろづの事」を支えてきた竹の万能性に思いを致す。もっぱら春先にかぶりつくばかりで、竹やぶに足を向けない現代人の暮らしぶりを知ったら、竹取の翁も嘆くことだろう。竹な忘れそ。
“以前,有位砍竹子的老爷爷,钻进群山去砍竹子,满足生活中的各种需求”(《竹取物语》)。长年的生活需求都依靠竹子来支持,竹子真是“万能”啊。要是这位老翁知道现代的人根本不进竹林只会吃竹笋,他一定会叹息“你们把竹子忘记了。”