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南方熊楠 奇人神人

时间: 2017-05-15    进入日语论坛
核心提示:在野の碩学(せきがく)として名高い南方熊楠(みなかたくまぐす)が生誕150年を迎える。いまの暦で言えば5月18日生まれ。
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在野の碩学(せきがく)として名高い南方熊楠(みなかたくまぐす)が生誕150年を迎える。いまの暦で言えば5月18日生まれ。ちょうどこの春、展示施設を一新した南紀白浜の南方熊楠記念館を訪ねた。
 
今年是以民间大学者闻名的南方熊楠先生诞辰150周年。如果用现在的历法来算,那么他的生日就是5月18日。正好在这个春天,我参观了位于南纪白浜的南方熊楠纪念馆,馆内的展品、设施都已经更新了。
 
谷脇幹雄館長(66)の案内で、その一生をたどった。幼いころから知識欲が旺盛で、記憶力は抜群。授業には退屈するが、図書館や博物館なら何日通っても飽きない。東大予備門(いまの東大教養学部)を中退し、英米、キューバなど海外で14年を過ごす。英科学誌ネイチャーに多くの論文が掲載された。
 
在谷协干雄馆长(66岁)的引导下,我追溯了他的一生。他从you年开始就求知欲旺盛,并且记忆力超群。虽然对课业感到无聊,但却能在图书馆和博物馆泡上好几天。他不仅半路退出了东京大学预备部(现在的东京大学基础部),还在英美、古巴等地度过了14年的岁月。英国科学杂志《自然》上还登载了他好几篇论文。
 
「知の妖怪」「日本のレオナルド・ダビンチ」。異才天才像が流布して久しいが、地元には奇人変人伝説も数多く残る。「全裸の熊楠さんに追いかけられた」「小便をかけられた」。
 
不仅诸如“知识的妖怪”,“日本的达芬奇”这种天才的印象在世间流传至今,在其故乡还留下了无数奇人异事的传说,如“被全裸的熊楠先生追赶”,“被浇了一身小便”。
 
同時に尊敬もされたのは、1929年、和歌山県を訪問した昭和天皇に進講したことが大きい。粘菌研究者でもあった天皇の要望だった。予定時間を過ぎても天皇は質問を続け、粗末なキャラメル箱に入った標本を喜んで受け取った。
 
在那个时代,他之所以被尊重,还有一个重要的原因是给访问和歌山县的昭和天皇侍讲。这是身为粘菌研究学者的天皇自己提出的。甚至过了预定的时间,天皇还在提问题,并且非常高兴地接受了他从简陋的奶糖盒子里拿出的标本。
 
熊楠は戦中の41年、無位無官のまま亡くなる。〈雨にけふる神島(かしま)を見て紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ〉。戦後に南紀を再訪した天皇は、熊楠を懐かしみ、フルネームを歌に詠み込んだ。進講の日の印象がよほど鮮烈だったのだろう。
 
身无官职的熊楠先生死于二战正酣的1941年。“雨中见神岛,思念生于纪伊之国的南方熊楠”。战后,再度巡游南纪的天皇思念熊楠先生,用他的全民作了上面这首诗。昭和天皇对熊楠先生的侍讲印象竟然如此之深。
 
記念館の屋上からは田辺湾が一望できる。熊楠が生態系保護に心血を注いだ神島が、快晴の海に輝いて見えた。大賢は愚なるがごとし。知的探究心もさることながら、人を魅了する磁力もけた違いだったのだろう。
 
从纪念馆的屋顶上能看见田边湾一带海域。熊楠先生倾注一生心血保护生态的神岛在晴朗的海面显得如此动人。大智若愚。其探索知识的内心自不必说,连吸引人的魅力也与众不同。
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