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扉(1)

时间: 2022-11-28    进入日语论坛
核心提示:扉小川未明一陰気な建物には小さな窓があった。大きな灰色をした怪物に、いくつかの眼があいているようだ。怪物は大分年を取って
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小川未明

陰気な建物には小さな窓があった。大きな灰色をした怪物に、いくつかの眼があいているようだ。怪物は大分年を取っていた。老耄ろうもうしていた。日が当ると茫漠ぼうばくとした影がたいら地面じべたに落ちるけれど曇っているので鼠色の幕を垂れたような空に、濃く浮き出ていた。
へやの中にはいくつかの室が仕切ってあった。いずれも長方形の室で壁が灰色に塗ってあった。この家は外形から見て陰気なばかりでなく中に入ると更に陰気であった。このまま動き出したら、疑いもなく魔物であった。
夜になると、このいくつかの眼に赤く燈火がともる。中に人が住んでいるからだ。だから全く死んだ怪物のからだが野中に捨てられてあるのでない。動かなくとも幾分かの生気があるのだ。
壊れたベンチと、傷が付いて塗った机がどの室にも置いてあった。机の上の傷は小刀ナイフで白くえぐった傷である。X形のもあればS形のもある。ある傷は故意に付けたものだ。たとえば軍艦のいかりを彫ったのなどは、誰かが学校の帽章ぼうしょうを想像したかもしくは戦争の図などを見た時に退屈まぎれに故意に彫ったものだ。その他の傷は大抵自然に付いたものであろう。
Kはベンチに腰をかけたまま何か書いていた。彼は昨夜も食堂に出て来なかった。Bは床を出ると早速Kの室にやって来たが、気兼きがねをして障子のあなから覗いて見た。まだ昨夜のランプが魂の抜けたように茫然ぼんやりと弱くいていた。Kは一生懸命にペンを走らせていた。
Bは自分の室へ帰ってからも、Kのことが気になってならなかった。真白な厚い蒲団の上に肥えた身体を投げ出してもだえ始めた。何をKが書いているだろう。……
Bには、Kのすることが気にかかってならない。BにはKの言ったことには不思議に反抗が出来なかった。
BはまたKの室の前に来た。中の様子を気遣いながら、腰をかがめて覗いた。やはりKはペンを動かしていた。折々金ペンの光りが鋭くひらめいた。ペンに力が入って紙の目に引懸ひっかかった時だ。ペンの動く速力は非常に早かった。ほとんど息をく間も、インキを浸す間もなかった。
Bは腫れた顔に不安の色を漂わして頭を傾げた。朝の湿った空気の底に灰色の建物は沈んでいて静かだ。Bの眼には蜂の針のように尖ったペンが紙の上を動いて行くのがありありと見えた。動いたあとには青いしるで何やら不安なものを書き付けて……見る間に三行四行と走って行く。
Bは大きな頭を振って、歩いて見たが、もはやこの身体が自分のものでないように運ぶのが大儀たいぎであった。
朝飯のベルが、冷たい空気に染み渡った。
Bは、こっちの隅に自分の体を隠すようにして、戸を押して入って来る人を眺めていた。いずれも生気のない顔をして、ふるえながら黙って席に着いた。やがて白い湯気の上る椀が各自の前に配られた。Bはわずかに少しばかり食べたばかりで、やはり落着きのない眼を戸口の方に注いでいた。
おくれて一人、また一人入って来たが、もうその後には誰も来なかった。来ないのはKばかりであった。
Bは気が気でなかった。
やはりKは自分のことを何か書いているのだろう。そうでなければ何を書いているだろう?……まだ後れて来るかも知れないとBは食物も咽喉のどに通らないで、戸口の方を見詰みつめていた。
そのうち、一人席を立って出て行った。また一人出て行った。三人去り、四人去った。もう駄目だとBはふさぎ込んでしまった。
いっそ、「何を書いていますか。」といって何気ない風で、Kの室に入って聞いて見ようか知らん。いや、それはいけない。却って私の顔を見ると、思わなかった悪感を抱いて余計なことを書くかも知れない。また万一、今書いていることが自分の身の上に関したことでなかったのが、自分の顔を見て、印象を強めたために、自分の身の上のことにしてしまうかも知れない。なるたけこの際自分の顔を見せない方がいいと考えた。
Bは一人、建物の外側に出て、石の上に腰を下ろした。空に汚い雲が往来していた。まだ冬が去るには間があった。こごえた木立の梢が裸姿はだかすがたで痛々しい。
ぶくれのした顔の中に、怖気おじけた小さな眼はひそんでいた。頭の中は掻き廻されるように痛んで、眼がだんだん霞んで来た。遠くに森があった。森のかなたにも家があった。人が住んでいる。……
ずっと遠くへ行けば変った国がある。そしてこんな陰気な思いをせずに住むことが出来るような気がした。Bはそこへは自分の力で行くことが出来ぬと思った。
「やはり、この建物にいるのだ。」といって石からち上った。
彼はうらめしそうに建物を見上げた。泣かんばかりに口の中で神に祈った。……!
Bは、三たびKの室の前に来た。また、障子の孔から覗いた。Kの姿が見えなかった。Bは狂せんばかりに胸が騒いだ。ああ、この時だ。何を書いたか見なければならぬ。後方うしろから熱い息で、ささやいたものがある。
「早く、早く、すぐKが入って来るぞ。」
その囁いた者は、Bの眼にはっきりとその姿は見られなかった。ただ自分よりもずっと体が大きくて、背が高くて、その色が茫漠としていた。別に眼がない。口がない。けれどこの者が囁いたのを不思議と思わなかった。Bは障子を開けて入った。金ペンにはまだインキが乾いていない。書かれた紙の数は分らなかった。Bの眼にはただ虫が紙の上に各自めいめい勝手な姿をして動いているように文字が見えた。この瞬間、全く文字というものを忘れてしまった。考えたが一字すら読めなかった。いずれもそれらの文字はつて自分と親しんでいた文字であるのに……Bは自分を自分で解することが出来なかった。
文字よりも、金ペンの光るのに気を取られていた。……なにもせず茫然ぼんやりとしている自分が分らなくなった。……二分たった。……三分たった。……五分たったようだ。
足音がした! Bは始めて、気が付いてその室を逃れ出た。……振り向いて、病的にもう一度金ペンの光っているのを見た。
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