私は、できるだけ早い時代から子どもに物事の判断基準を教えることが親の役割だと思っていますから、言葉で理解できない小さい子供であっても、自分で経験したり、考えたりする機会を多く与えることによって、判断する力を身に付けさせようとしたのです。
次第に言葉を理解できるようになると、何かを教えようとするとき必ず理由を説明しながら教えるようにしました。初めはそれで納得していたのでしょうが、やがて子供は私の言ったことに反論してくるようになりました。しかし、それは子供の成長の一つであり、私にはともて嬉しいことでした。
(中略)
私の三人の子供たちも成長し、長男は大学に一年間通った後、現在は学校を休学し、カリフォルニアでカンボジア難民を相手にボランティア活動をしています。我が家では、私の父も私自身もボランティア活動を経験しており、子どもにも小さいときから大学生になったらボランティアさせるつもりでいました。今彼の行っている活動は私の考えていた以上に厳しいものですが、彼はその中で学校などでは学べない様々な貴重な経験をし、見違えるほど成長しました。どちらかというと自分のことしか考えていなかった人間が、他人のことを第一に考えるようになり、自分が奉仕することによって何人もの人が助かったことが嬉しいと言います。また、これまでの自分がいかに豊かで恵まれていたかを改めて感じているとも言う。最近もらった手紙を読むと、ボランティア活動を始めたときとはまるで他人が書いているかのような内容で驚きました。
日本でも昔からボランティアが行われていましたが、まだまだ経験が少なく習慣になっていないのが実情です。もう少し時間がかかるかもしれませんが、これからは、ボランティアの精神を学校や親が子供に教えるとともに、さらに活動の機会を与えることが必要だと思います。
1、「ガラスのコップに入れて与えてみました」とあるが、どうしてそうしたのか。
①飲み物はガラスのコップに入れて飲んだほうがおいしく感じるから。
②子供にはプラスティック製のコップよりガラスのコップのほうが安全だから。
③ガラスのコップを割るという経験が物事の判断基準を学ばせることになるから。
④プラスティック製の食器を使わせるという一般的なやり方にしたがいたくないから。
2、「私にはとても嬉しいことでした」とあるが、筆者はどうして嬉しかったのか。
①人の話を聞いたうえで反論できたことで、子どもが成長したことが分かったから。
②子供が経験からだけでなく言葉による説明でも判断ができるようになったから。
③子どもが成長して、親が持っている以上の知識を身につけたことが分かったから。
④親の話を理解して素直にしたがうことは、子どもにとって大切だと思うから。
3、「それで納得していた」とあるが、誰が何に納得していたのか。
①子供が筆者の説明に納得していた。
②筆者が子供の説明に納得していた。
③子供が筆者の判断に納得していた。
④筆者が子供の判断に納得していた。
4、「ボランティアさせるつもりでいました」とあるが、誰がそう思っていたのか。
①子ども自身
②筆者
③筆者の父
④筆者と子ども自身
5、この文章のまとめとして最も適当なものはどれか。
①小さい子供にも親自身がするボランティアをさせて、ボランティアとして他人を助けられるようにするべきだ。
②小さいことものときは仕方がないが、大学生になったら、ボランティアとして他人を助けられるようになるべきだ。
③親から教えられたことを守る週刊や他人を助けるボランティアの精神を子供に身につけさせることが大切だ。
④自分の経験を通して判断する力や他人を助けるボランティアの精神を子供に身につけさせることが大切だ。
6、筆者の長男は、ボランティア活動によってどのように変わったか。
①激しい運動をすることが多いため体が大きくなった。
②他人に助けられ、人に感謝する気持ちが身に付いた。
③色々な経験を通して別人のように明るくなった。
④考え方が自身中心でなくなり、人間として成長した。