だが、インターネットは、こちらの質問に対してジャストミートの答えが返ってくるか、チャットのように文字経由で意見のエッセンスが交わされるだけで、そこには瞬時の判断や、緊迫した言葉のやりとりという息づかいが感じられない。また、二四時間一方的に発信できる電子メールに慣れてしまうと、瞬時に答えを判断して、言葉のキャッチボールを楽しむ力は失われていくのではないだろうか。
もう一つ、会話のやり方を忘れてしまうと、人の考えを受け入れる力も弱くなるような気がする。一方的に聞いてくれたり、100%同意してもらえなければ満足できなかったり、苦しみや喜びを同感し合えなくなったりさえするかもしれないだとすれば、会話の喪失は、心の喪失なのではないだろうか。
1、「会話の喪失は、心の喪失なのではないだろうか」とあるが、どうして会話の喪失が心の喪失になるのか。
①人と苦しみや喜びを共感し合う心を失わせるかもしれないから。
②瞬時の判断や、人と緊迫した言葉のやりとりができなくなるから。
③人と言葉のキャッチボールをする能力を失うかもしれないから。
④人の考えを受け入れる力も弱くなるから。