90年代から2000年代にかけて、引きこもりの若者による凶悪事件や監禁事件などが発覚し、引きこもりに対する世間の批判的な視線が強まってきました。
しかし、彼らのほとんどはそうした世間の見方とは逆に、心やさしく、傷つきやすく、繊細な若者たちです。
だからこそ、引きこもりへの否定的な眼差しを敏感に感じとり、自分自身を責め続けています。学校にも行かず、仕事もせず、家から出られない自分を「人間として値打ちがない存在だ」と責めているのです。
ゆえに私は、「一人でもいいんだよ」というメッセージは、引きこもりの若者にこそ必要なものだと思います。
引きこもってしまった若者たちに対しては、まず大人が「一人は悪いことじゃないんだよ」と伝え、劣等感を緩和してあげることが何よりも重要ではないでしょうか。
(諸富祥彥「「孤独」のちから」による)
B:
彼らが自分のこころを探り尽して、決然と引きこもりを選んでいるのなら、それは同時に特定の欲望が充たされているといっていいであろう。しかし、往々にして、引きこもっている者は、それが自分の信念ではないことを知っている。社会に出たいのだけれど怖いから、心ならずも引きこもっているのである。
こうして、彼らは時折は「これがいちばんいいんだ」と自分に向かってつぶやきながら、そのつぶやきは続かない。「こうしていては駄目だ」というもう一つの声によって無残に打ち砕かれる。
さらに、引きこもっている人は、世間の承認をとりわけ強く求めている。引きこもりながら、世間の承諾を得る方法をあぶり出そうと必死に模索している。
(中島義道「不幸論」による)
1、引きこもりの若者たちに対して、Aはどんな対策を勧めているか。
①引きこもりの若者が増える社会的な原因を探し出すこと。
②見方を変えることで引きこもりの若者の劣等感を現象させること。
③引きこもりの状態をプラスに評価し、その傾向にある若者を励ますこと。
④周りの人が援助を提供し、引きこもりの若者を助けること。
2、引きこもりの若者について、AとBの認識で共通しているのは何か。
①引きこもりの若者は社会的に認められたくない。
②引きこもりの若者は強い劣等感を持っている。
③引きこもりの若者は1人でいる状態を楽しんでいる。
④引きこもりの若者は世間の評価を気にしている。
3、Aの筆者とBの筆者はどのような立場を取っているか。
①Aは引きこもりの若者に同情の念を抱いているが、Bは引きこもりをよくない社会的現象だと思っている。
②Aは引きこもりが増える原因は社会にあると考えているが、Bは引きこもりの若者は社会に出られるように頑張るべきだと主張している。
③AもBも引きこもりの若者の心理状態を解明しているが、Aは引きこもりの若者を導く側に立ち、Bは現象を分析しているだけだ。
④Aは引きこもりの原因を分析しているが、Bは引きこもりの若者を導く側に立っている。