今の子は〇〇を読んでいないからといって、我々の世代のように読んでいると見栄を張ってあとで読むなどということはまずない。〇〇を読んでいないことを恥ずかしい、などと思っていないからで、このことを逆に言えば、見栄は、すなおち羞恥心となる、というわけだ。
なるほどと納得したのは、ぼくも大学の教壇に立つことがあって、彼の言うような学生に出会っていたからだ。学生に文章力をつけてもらう講義の際は、藤沢周平氏の作品の名文を味わってもらった。江戸期の中年クライシスを描いた「海鳴り」で、人妻おこうが紙問屋の新兵衛に身を任せる場面の文庫本にして10行あまりの描写など、学生は熱心に耳を傾けてくれたが、授業後、「あのー」とやってきて、藤沢・・・・・・誰でした?ほかにどんな本を書いている人なんですか?と聞いてくる。
氏の代表作で映画やドラマにもなかった「蝉しぐれ」あたりは知っているだろうと、そのタイトルを口にしてみるが、ピンときた様子はない。「キムタクが主演の「武士の一分」という映画の原作は・・・・・・」という話をすると、学生が「ああ、そうなんですか」とうなずくというやりとりもあった。
もちろん、質問自体はいいことなのだが、藤沢周平という作家を知らず、そのことを別に恥ずかしがらず聞いてくる明朗さというか、こだわりのなさには、ある種のショックとともに、世代の違いを実感させられる。
ところで先日、ラジオの番組で見栄をテーマにおしゃべりしていて、「誇りや矜持に近い見栄ならいいんですけどね」と話すと、ベテランの女性アナが「矜持って漢字、難しいですね。私、書けますと言って、あとで辞書を引くという見栄もありますよね」と笑った。
矜持・・・・・・確かに難しい。僕もすぐに辞書で確認しておいた。以前、若い子がある席で「ごべんたつのほど、よろしくお願い申し上げます、と言っても、べんたつという字が書けない私ではありますが・・・・・・」とあいさつしていたという話を聞いて、その時も帰宅してすぐに「べんたつ」と辞書を引いて頭に入れたものだ。こういうのって、やはり旧世代なんでしょうね、きっと。
(近藤勝重「見栄と羞恥心」2008年9月24日付毎日新聞「しあわせのトンボ」による」
1、「見栄は、すなわち羞恥心となる、というわけだ」という文章を筆者の考えに従って正しく解釈しているのはどれか。
①見栄を張ることにこだわるということは、羞恥心を感じることを気にしているという意味である。
②見栄を張ることにこだわらないということは、羞恥心を感じることを気にしているという意味である。
③見栄を張ることにこだわるということは、羞恥心を感じることに無頓着であるという意味である。
④見栄を張ることにこだわらないということは、羞恥心を感じることに無頓着でないという意味である。
2、「学生に文章力をつけてもらう講義の際は、藤沢周平氏の作品の名文を味わってもらった」とあるが、筆者は藤沢市の作品に対しての学生の反応をどのように表しているのか。
①学生たちは藤沢氏の作品の内容にも彼の生い立ちにも興味を示している。
②学生たちは藤沢氏の作品の内容にはまったく興味を表さない。
③学生たちは藤沢氏の作品の内容には興味があっても彼の名前は思い出せない。
④学生たちは藤沢氏の作品の内容に興味を持っているので何としても彼の名前を覚えようとする。
3、「「蝉しぐれ」あたりは知っているだろうとタイトルを口にしてみるが、ピンときた様子はない」とはどういう意味か。
①「蝉しぐれ」というタイトルを言ってみるが、特別気に入っているものはないようだ。
②「蝉しぐれ」というタイトルを言ってみるが、すぐに何かを思い出しているような気配はない。
③「蝉しぐれ」というタイトルを言ってみるが、特に何かを追憶しているようなものはない。
④「蝉しぐれ」というタイトルを言ってみるが、今にでも何かを思い出しそうな気配だ。
4、「こういうのって、やはり旧世代なんでしょうね、きっと」とあるが、この文章には筆者のどのような心が表れているのか。
①漢字で書けない字があったらあとで必ず辞書で調べておきたがる筆者の心。
②漢字で書けない字があっても別に気にならない筆者の心。
③漢字で書けない字があっても別に気にしない若者を心配する心。
④漢字で書けない字があっても恥ずかしく思わない筆者の心。