昔 々むかし、ある若者わかものが、お寺てらで観音様かんのんさまにお願ねがいをしました。「どうか、お金持かねもちになれますように…」すると、観音様かんのんさまが言いいました。「ここを出でて、初はじめにつかんだものが、お前まえを金持かねもちにしてくれるだろう。」
喜 よろこんだ若者 わかものは、お寺 てらを出 でたとたんに、石 いしにつまずいて、スッテンと転 ころびました 。そしてそのひょうし [1] に、一本いっぽんのわらしべ(イネの穂ほの芯しん)をつかみました。「観音様かんのんさまがおっしゃった、はじめにつかんだものって、これのことかなあ?とても、これで金持 かねもちになるとは思 おもえないが 。」
男おとこは首くびをひねり [2] ながら歩あるいていると、プーンと一匹いっぴきのアブ [3]
が飛とんできました。男おとこはそのアブをつかまえると、持もっていたわらしべに結むすんで遊あそんでいました。
すると、向むこうから立派りっぱな車くるまがやってきて、中なかに乗のっている子こどもが言いいました。「あのアブが欲ほしいよ。」「ああ、いいとも。」男おとこが子こどもにアブを結んだわらしべをあげると、家来けらい者ものが、お礼れいにミカンを三みっつくれました。
「わらしべが、ミカンになったな。」また歩あるいていると、道みちばたで女おんなの人ひとが、喉のどがかわいたと言いって、苦くるしんでいます。「さあ、水みずのかわりに、このミカンをどうぞ。」女おんなの人ひとはミカンを食たべて、元気げんきになりました。そしてお礼れいにと、美うつくしい布ぬのをくれました。
「今度こんどは、ミカンが布ぬのになったな。」男おとこがその布ぬのを持もって歩あるいていると、馬うまが倒たおれて困っている男おとこの人ひとがいました。「どうしました?」「馬うまが病気びょうきで倒たおれてしまったのです。町まちに行いって布ぬのと交換こうかんする予定よていだったのに。今日中きょうじゅうに布ぬのを手てに入いれないと、困こまるのです。」「では、この布ぬのと馬うまを交換こうかんしてあげましょうか?」若者わかものが言いうと、男おとこの人は大喜おおよろこびで布ぬのを持もって帰かえりました。
若者わかものが馬うまに水みずをやったり体からだをさすったり [4] すると、馬うまはたちまち元気げんきになりました。よく見みると、大変立派たいへんりっぱな馬うまです。「今度こんどは布ぬのが、馬うまになったな。」その馬うまをつれて、また若者わかものが歩あるいていると、今度こんどは引ひっ越こしをしている家いえがありました。そしてそこの主人しゅじんが、若者わかものの立派りっぱな馬うまを見みて言いいました。「急きゅうに旅たびに出でることになって、馬うまが必要ひつようなのじゃが、その馬うまをわしの家いえや畑はたけと交換こうかんしてもらえないかね。」
若者わかものは立派りっぱな家いえと広ひろい畑はたけをもらって、大金持おおがねもちになりました。一本いっぽんのわらしべから大金持おおがねもちになったので、みんなはこの若者わかものを、わらしべ長者ちょうじゃと呼びました。
[1] 「ひょうし」,名词。时候。
[2] 「首をひねる」,转头;左思右想不得其解。
[3] 「アブ」,名词。牛虻。
[4] 「体をさする」,摩擦、抚摸身体。
从 前,有一个年轻人在寺院向观音许愿:“菩萨啊!请您把我变成一个有钱人吧。”于是观音回答他说:“从这里出去,你首先抓到的东西,就能使你变成一个有钱人。”
年轻人听了很高兴。一出寺院,他绊到一块石头,“扑通”一下摔倒在地。然而就在那一瞬间,他随手抓住了一根稻草。“观音菩萨说过的‘首先抓到的东西’,难道就是这个吗?这个东西怎么也不能把我变成一个有钱人呐。”
他百思不得其解,向前走去,一只牛虻“嗡—”地飞了过来。他一把抓住了牛虻,把它系在了手中的稻草上耍玩起来。
这时,从对面驶来一辆豪华的车子:“我想要那只牛虻!”坐在里面的小孩说。
“好啊!给你吧!”年轻人把绑着牛虻的稻草给了小孩,作为答谢,侍从给了他三个橘子。
“真有意思,稻草变成了橘子。”他继续往前赶路。这时,路边上有一个女人十分痛苦地说自己口渴。“请你把这些橘子吃了解渴吧。”年轻人说着把橘子给了那个女人。那女人吃了橘子,恢复了体力。为了答谢年轻人,女人给了他一匹漂亮的布。
“这次橘子又变成了一匹布啊。”年轻人一边想一边拿着布继续往前走。他看见一个愁容满面的男人,为倒在地上的马发愁。“您怎么啦?”年轻人问道。“马病倒了。我本来打算拿它去集市换布,今天若是换不到布的话就麻烦了!”男人答道。“那我就用这匹布换你的马吧。”年轻人一说,那个男人就非常高兴地拿着布回去了。
年轻人给马喂水,又给它搓身体。于是,这匹马很快就恢复了精神。仔细一看,还真是一匹好马呢!“这一会儿那匹布就变成了一匹马。”
他牵着马继续往前走,这时,他看到了一户人家正忙着搬家。那户人家的主人看到了年轻人的这匹好马,对他说:“我突然有急事要出一趟远门,必须用马,能用我的房子和田地换你的这匹马吗?”
于是,年轻人得到了豪华的房子和大片的田地,变成了一个有钱人。因为他是从一根稻草变成为一个有钱人的,所以大家称他为“稻草富翁”。
语法详解
(1)動詞連用形+たとたんに
表示正好在发生前项的瞬间发生后项。后项内容为说话者当场的新发现,因而多伴有意外的语感。后项不能用表示命令、意志、推量、否定等的动词。相当于“刚一……马上就……”
* 部屋に入ったとたんに、電話が鳴りました。
刚一进房间,电话就响了。
* 暑くなったとたんに、エアコンの売れ行きが良くなった。
天刚一热,空调就开始畅销了。
(2)用言の終止形+とは思えない
表示意外。相当于“没想到……”
* そこにはこんな静かな公園があるとは思えない。
我没想到那里有这么安静的公园。
* 学校の寮は狭いとは聞いていたが、こんなに狭いとは思えないよ。
我听说学校的宿舍很小,但没想到这么狭小。
小知识
観音様
「観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)」「観自在菩薩(かんじざいぼさつ)」の略称で、観世音とは、救いをもとめる者があれば、数かぎりない手段をつかって救済するという意味を持つ。救済をもとめる者に応じて、さまざまな変化相をもつことでも知られている。観音は、もともと阿弥陀仏の脇侍(きょうじ:仏の両わきにひかえる)として左におかれ、右にひかえる知恵の象徴である勢至(せいし)菩薩とともに阿弥陀三尊を形成する。観音が阿弥陀三尊から独立して信仰されるようになったのは、インドでは1世紀ごろのことで、日本では推古天皇の時代にすでにみられ、奈良時代には、観音を本尊とする長谷寺が建立されるなど、とくに顕著な信仰があった。浅草観音(東京都金龍山浅草寺)·大須観音(愛知県北野山真福寺)·津観音(三重県恵日山観音寺)は日本三大観音と言われる。
观音
“观世音菩萨”“观自在菩萨”的简称。有前来祈求的人,观音就会用尽各种办法相救。面对不同的求救者,观音会呈现不同的样子。观音原本是阿弥陀佛的近身侍者,位于阿弥陀佛的左侧,与位于右侧的势至菩萨和阿弥陀佛本身构成三尊。在1世纪左右的印度(大概是日本的推古天皇时代),观音从三尊中独立出来,成为一个独立信仰。到了奈良时代,以观音为本尊的长谷寺的建立,标志着观音信仰成为一种民众的信仰。浅草观音(位于东京都金龙山浅草寺)、大须观音(位于爱知县北野山真福寺)、津观音(位于三重县惠日山观音寺)为日本三大观音。