三人泣き
昔 々むかし、ある所ところに、お婆ばあさんが一人ひとりで住すんでいました。ある日ひの事こと、遠とおくへ働はたらきに行いっている息子むすこから手紙てがみが来きました。でも、お婆ばあさんが字じを知しらないので、手紙てがみが読よめません。すると向むこうから一人ひとりの侍さむらいがやって来きたので、お婆ばあさんは頼たのみました。「もしもし、お侍さむらいさん、息子むすこから手紙てがみをもらったのですが、わたしは字じが分わかりません。どうか、この手紙てがみを読よんでください。」侍さむらいは手紙てがみを受うけ取とり、しばらくじっと見みていましたが、突然とつぜんポロポロと涙なみだを溢こぼしました。お婆ばあさんは、びっくりです。「お侍さむらいさん、何なんか悪わるい知しらせでも書かいてあるのですか?どんな事ことでも驚おどろきません。教おしえてください。」ところが侍さむらいは涙なみだを流ながすばかりで、何なにも言いいません。「ああ、これはきっと、とても悪 わるい知 しらせに違 ちがいない 。」そう思おもうと、お婆ばあさんは急きゅうに悲かなしくなって、涙なみだをポロポロ溢こぼしました [1] 。
そこへ、土つちで出来できたお鍋なべを売うる、焙烙売ほうろくうりがやって来きました。「もしもし、どうしたのですか?」焙烙売ほうろくうりが尋たずねても、侍さむらいとお婆ばあさんは泣なくばかりです。すると焙烙売ほうろくうりも、荷物にもつをそこへ置おいて手紙てがみを見みるなり、泣なき出だしました。
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通とおりかかった人ひとは、一体何いったいなにごとが起おきたのかと、三人さんにんの周まわりに集あつまってきました。「さあ、泣ないてばかりいないで、わけを話はなしなさい。」「困こまったことがあるなら、力ちからをかし [2] てやりましょう。」すると、焙烙売ほうろくうりが言いいました。「実じつは去年きょねんの今いまごろ、焙烙ほうろくを売うりに行いったら、途中とちゅうで転ころんでみんな割わってしまいました。悔くやしくて泣なきたいほどでしたが、忙いそがしいので泣なくのを延のばしました。ちょうどここを通とおりかかると二人ふたりが泣ないているので、その時ときの事ことを思おもい出だして、今いま、泣ないているのです。」「なんと。まったく呆あきれた人ひとだ。それじゃお婆ばあさんは、どうして泣ないているのですか?」一人ひとりが尋たずねました。「はい、実じつは息子むすこから手紙てがみが来きたので、このお侍さむらいさんに読よんでもらおうとしたら、お侍さむらいさんが何なにも言いわずに泣なき出だしたんです。これは、きっと悪わるい知しらせに違ちがいない。そう思おもうと悲かなしくて悲かなしくて…」お婆ばあさんは、涙なみだでグチャグチャになった [3] 顔かおを拭ふきました。
「そうか。それはお気きの毒どくに。さあ、お侍さむらいさん、泣ないてばかりいないで、早はやく息子むすこさんの様子ようすを教おしえてあげたらどうです?」すると侍さむらいは顔かおをあげて、情なさけない声こえで言いいました。「手紙てがみを読よめるくらいなら、泣なきはせん。わしは小ちいさい時とき、少すこしも本ほんを読よまなかったので字じが分わからない。それが悔くやしくて泣ないているのだ。ああ、こんなことなら、ちゃんと本ほんを読よんでいればよかった。」「なんだ、そんなことか。」みんなは呆あきれて、ものも言いえません。ちなみに、息子 むすこさんの手紙 てがみには、「元気 げんきで働 はたらいているから、心配 しんぱいしないでください。近 ちかいうちに、お土産 みやげを持 もって帰 かえります」と、書 かいてあったそうです 。
[1] 「涙をポロポロ溢す」,扑簌泪下。
[2] 「力をかす」,帮助。
[3] 「涙でグチャグチャになる」,因泪水湿得一塌糊涂。
三个痛哭的人
很 久以前,有一个地方住着一个老婆婆。有一天,她收到了在远方工作的儿子的来信。但是,因为老婆婆不识字,所以不知道信里写了什么。正好从对面走过来一位武士,于是老婆婆拜托他帮忙看一看。她说:“您好!武士先生。这是我儿子的来信,可是我不识字,所以想劳驾您帮忙看一看写了什么。”
武士接过信,目不转睛地看了一会儿,突然“吧嗒吧嗒”地落下泪。老婆婆吃惊地问:“武士先生,信上是不是写了什么坏消息呀?无论什么事我都受得住,请您告诉我吧!”然而武士只是一个劲地在哭泣,一言不语。“啊?这肯定是极坏的消息吧?”这么一想,老婆婆突然也悲伤起来,眼泪开始扑簌簌地往下落。
这时候一个走街串巷卖砂锅的卖锅匠走过来,他问:“喂喂!怎么啦?”无论他怎么问,那武士和老婆婆只是一个劲地哭泣。于是卖锅匠放下行李,拿过信一看,他也哭了起来。
路人不知发生了什么事,都好奇地围观起来,七嘴八舌道:“喂,你们不要光是哭啦,快说说究竟怎么一回事儿吧。”“若有什么困难就说出来,我们可以帮忙的。”于是,卖锅匠说:“其实,去年这个时候,我去卖砂锅,途中不小心摔倒打碎了砂锅,当时懊恼得几乎要哭起来。但因太忙,一直拖着没哭。刚好今天路过这里,看到他们两人在痛哭,我就想起来那天的事,也忍不住伤心地哭起来”。
“什么啊?真是个让人费解的家伙呀。那么老婆婆您为什么而哭呢?”有人问道。“事情是这样子,我让武士先生帮我看看儿子的来信,可是武士先生看了信什么也没说就哭了起来。
于是我想一定是很坏的消息吧。想着想着,就不由得伤心痛哭起来……”老婆婆一边说一边擦了一把那老泪纵横的脸颊。
“噢,原来如此。真可怜啊,嗯!武士先生,你别光顾着哭了,赶紧把老婆婆儿子的情况告诉她好吗?”路人提议说。于是,武士抬起头,伤心地说:“如果我能看懂这封信,就不会哭了。因为小时候没读过书,所以我不识字呐。对此我后悔不已才伤心落泪的。早知今日,当初真该好好念书啊!”
“什么?原来是这么一回事儿啊。”大家听了愣得哑口无言。顺便说一下,据说,老婆婆儿子的来信是这样写的:“我很好,工作很顺利,请勿担心。近期内我要带礼物回家。”
语法详解
(1)名詞、形容動詞の語幹/動詞、形容詞の終止形+に違いない表示准确性较高的推测。相当于“肯定……”“一定……”
* ペキンはもう随分寒いに違いない。
北京肯定已经很冷了。
* 彼は昨夜夜更かししたので、今朝寝坊したに違いない。
他昨晚熬夜了,所以今天早上肯定睡懒觉。
* 立派に仕事をしているのに窓際に扱いされるのは嫌に違いない。
干得不错,却被靠边站,这肯定会让人厌烦的。
(2)ちなみに(接続詞)
表示“顺便”“附加”的意思。
* ちなみに言います。
附带说一下。
* ちなみに大野さんは本校の三年生であります。
顺便说一下,大野是本校三年级的学生。
小知识
侍
侍は、古代から中世にかけての日本における官人の身分呼称、あるいはそこから発展的に生じた武士の別名である。「伺候する」「従う」を意味する「さぶらう」に由来する。日本が古来より大事にして来ている精神性の面からの解釈では、「さぶらい·さむらい」は、「自律自立して他に自らの重みを掛けない状態で、その人自身の責はその人自身で担う事を基本とした精神」である。武士は、そのさむらいの「自律独立の生き方や精神」を持つ事が特に要求される身分であった。その上での相互扶助関係で生かし合う、その精神は、武士だけでなく、広く日本人の精神の中に組み込まれて来ている。
侍
“侍”是古代到中世对日本官人的身份的称呼,或是由此发展而成的“武士”的别名。源自“伺候”“侍从”之意。从日本自古以来所尊崇的精神层面来解释的话,“さぶらい、さむらい”是一种重视自律自立、不成为他人负担的状态,强调自己为自己负责为基本的精神。武士则是以这种“自律独立的生存方式和精神”做为特殊要求的身份。在此基础上,形成相互扶助的关系,这种精神不仅受武士所尊崇,更是广泛地存在于日本人的精神世界中。