「社長、ご面会のかたが見えていらっしゃいますが」
インターフォンが秘書嬢の声を伝えた。
社長は机の上に足を投げ出し、明日おこなわれるゴルフ・コンペのことを考えている最中だった。
「だれかね」
「人事課長のご紹介で、画商のかたです。お目にかけたいものをお持ちになったとか」
人事課長は口うるさい男だ。仕事熱心で敏腕なやつだが、ちょっと煙ったい。社長や重役にも平気で食ってかかる。
なんだろう?
「通してくれたまえ」
とりあえず会ってみることにした。
「お邪魔いたします」
入って来た男は黒の背広に、まっ赤なネクタイ。髪を油でなでつけ唇の色が奇妙に赤い。名刺に記された名前にはなんの記憶もなかった。
「どんなご用件ですか」
「はい。絵をぜひ見ていただこうと思いまして」
「絵はいらんなあ。趣味がないんだ」
「存じております。社長さんのご趣味はゴルフでございましょう。これはゴルフ場の絵でして……変った油絵ですからちょっとご覧になってくださいませ」
ゴルフ場の絵と言われて興味が動いた。
「じゃあ、見せてもらおうか」
男が包みをほどくと、中から三十号ほどの油絵が現われた。
なんの変哲もないゴルフ場の絵……。一番ホールのフェアウェイが描いてある。
「なんだね、これは?」
社長はあっけにとられて尋ねた。
「ちょっとこちらにいらして、絵の真正面に立ってくださいませ」
社長が首を傾けながら言われるままに絵の前に立ってみると……一瞬、自分の体が小さくなるような感覚を覚えた。
いや、そうではない。絵のほうが大きくなったのだ。
そればかりか、それまではただの額縁の中の絵にすぎないように見えたものが、急に奥行を持ち、たしかにそこにゴルフ場が実在しているように見えるではないか。芝草の匂いもする。ボールを打つ音も聞こえる。
「ほう?」
「どうぞ。そのまま絵の中に飛び込んでみてください」
社長室の床から絵の中に足を踏み入れると、もうそこはフェアウェイのまっただ中だった。
「いかがですか」
「これはすばらしい。絵から出るにはどうしたらいいのかね」
絵の中の社長が半信半疑の面ざしで答えた。
「ただ出ていらしてください」
「うん」
額縁をまたいで社長が戻って来た。
「ご感想はいかがですか」
「すばらしい。これがあれば社長室でいつでもゴルフが楽しめる」
「はい。ずっと奥のほうまでゴルフ場は続いておりますから」
「いかほどかね」
「しばらくお使いになってみてください。その上でご相談に参上いたします」
「君、だれにも内緒にしておいてくれたまえよ。特に人事課長には……いいね」
社長が寸暇《すんか》を盗んでゴルフに興じていると知れたら、あの口うるさい男がなんと言うかわからない。
「かしこまりました」
社長は早速ゴルフ・クラブを握って絵の中へ入って行った。
秘書嬢は言う。
「はい。画商のかたが絵をかかえて社長室から出ていらっしゃいました。お見えになったときと同じように……。わたくし、絵が売れなかったんだわ、と思いましたけど」
画商の人相は�平凡な中年男�という以外なにも特徴がなかったらしい。
社長はどうしたのか。
不思議なことに、このとき以来社長を見たものはだれもいない。三日たっても、一週間たっても、一ヵ月たっても……。
ゴルフに夢中になって社業に身を入れない社長には、みんなが危惧を抱いている矢先だった。
ともあれ社長なしではすまされない。いずれこの会社では新社長が選ばれるだろう。
画商の行方もわからない。