知人に誘われて藤本敏夫さんの主催する〓“納豆パーティ〓”に出席した。
藤本さんは鴨《かも》川《がわ》自然王国の国王で、無農薬農業の普及やら、自然教育の推進やら、はたまた健康食品の開発やら……まあ、ひとことで言えば〓“自然とともに生きよう〓”という理念を胸に、さまざまな社会運動を実践している行動派。歌手の加藤登紀子さんのご夫君でもある。
千葉県の鴨川に農場を作り、自然王国と名づけて、正式には代表理事とでも呼ぶのだろうけれど、当節は遊び感覚も大切、みずから国王と名乗って君臨している。作業着に長靴を履いた国王ではあるけれど。
今回のパーティは納豆の普及運動。スローガンは〓“納豆は地球を救う〓”と、かなり雄大である。
納豆は健康食品であり、その原料である大豆の生産は山間地農業の活性化にもおおいに貢献をするだろう。二十一世紀を目前にして、日本人はもとより世界の人々に納豆を食べてもらい、納豆の価値を知ってもらおう、という主旨である。
世界を繋《つな》げ、ネバネバの輪に……。
そのためには従来の食べ方、つまり、あの、丼《どんぶり》に納豆を入れ、醤《しよう》油《ゆ》を注ぎ、刻みねぎを混ぜ、辛子をたらし、箸《はし》でグルグルとまわしてご飯にかける、あればかりではこころもとない。世界的な展望を欠く。もっと多様な食べ方がないものだろうか。たとえばフランス料理のメニューに納豆を介入させることができないものだろうか。藤本さんは一流のシェフを誘い込み、このパーティは、その実験的な試食会であった。
日本青年館の中ホールに四百人ほど集って熱気ムンムン、納豆の匂《にお》いも漂い、テーブルの前には人の群、試食会のわりには料理が少々足らずまえ。私はといえば、残念ながら納豆汁を二はいすすっただけ。フランス料理風メニューはいつのまにか雲散霧消し、その未来的展望について報告する資格を獲得できなかった。「おいしい」という声もいくつか聞こえましたがね。
それはともかく、私はかなり顕著な納豆ファンである。藤本さんのような理念は持ちあわせていないが、好きなことは相当に好きである。
諸外国への普及のためにはどんな方法が適当かわからないけれど、私はもっぱら古典的な方法、丼に納豆を入れ、醤油を注ぎ、辛子をたらし箸でグルグル……刻みねぎさえいらない、純粋な食べ方が好きである。ナットウ・ア・ラ・マニエール・ナチュレル、ですね。
味の素少々。これはおそらく藤本さんの好むところではあるまい。
私の趣味は家族全員に伝《でん》播《ぱ》し、わが家の食卓に納豆がないときは、納豆の買いおきがないときと考えてよい。それほどの愛好ぶりである。
味のよしあしは、詰まるところ好みの問題。きらいな人にはどうにもならない。かわいそうに……。納豆はとにかく安い。この安さで、このうまさ。そして健康食。私はいつも納豆に感謝している。
お話変って、私はお風呂が大好きである。
「俺、血管の脹《ふく》らむものは、みんな好きなんだ。風呂、酒、セックス」これはたしか中上健次さんの名台詞《せりふ》だったと思うけれど、あとの二つは後日にまわして、今日はお風呂、お風呂……。これも安くて、ここちよい。
たとえば銭湯は今いくらなのだろうか。
多分、二百数十円。
うっかり安いなんて言うと、
「馬鹿なこと言わないでよ。子どもを三人も連れて行って髪でも洗ったら、すぐに千円札が消えちゃうわ。それでなくても消費税で苦しいのに」
たちまちお叱りを受けるかもしれない。
けっして〓“安いから値上げをしろ〓”と言っているわけではない。コスト計算ではなく、あの湯船にお湯を満たし、その中に裸になって入るというシステム、どなたの発明かしらないが、本源的に安価で、ここちよい御恵みであると、そう言っているのである。
二百数十円であれほど気持ちよいものがほかにあるだろうか。私はお風呂にも感謝している。これもまた健康によろしい。
ふたたびお話変って、私は海を眺めているのが大好きである。二、三時間見ていても飽きることがない。
「どうしてそんなに好きなの?」
尋ねられても答えようがない。
好きだから好き。これが一番正直な答のような気がする。
強いて説明すれば、波がおもしろい。同じようなリズムで押し寄せて来て、少しずつちがう。生き物のようにも見えるし、大自然が私に語りかけているようにも感じられる。
とりわけ白く、たけり狂う波がすばらしい。台風に襲われたナントカ岬なんて、テレビでしか見たことがないけれど、一度は現場に立ってみたい。
トンロリと静かに休んでいる海もわるくない。ゆったりとして、母の懐のように安らかである。
海と母。M《メ》E《ー》R《ル》(海)とMERE《 メ ー ル 》(母)。
海よ、僕らの使う文字では、お前の中に母がいる。
母よ、フランスの言葉では、あなたの中に海がある。
三好達治ですなあ。
まことに豊《ほう》饒《じよう》で、ここちよい。
台風下の海辺までわざわざ行くとなると厄介だが、ただ海を眺めているだけならば、それほど費用のかかることではあるまい。
理想を言えば、裏木戸を開け、トントンと階段を降りて行くと、そこに海があるような、そんな家に住みたいのだが、
「潮風が大変。家がすぐにボロボロになるわ」
という意見もある。
東京をかなり離れなければ、よい海はもうない。ともあれ私は海にも感謝をしている。おそらくこれも健康にわるくはあるまい。
納豆と風呂と海の風景と、さほど費用をかけることもなく、
——これはいい——
と思えるものを持っているのは、とても心強い。
あっ、それからもう一つ、電車の中の美人……。これも費用をかけることもなく、楽しく鑑賞できる。心をわずらわされることもなく、飽きたらいつでもやめられる。健康にも……きっとわるいことではあるまい。