「オメデトゴザイマス」
元旦の朝、ホテルの廊下を歩いていると、いかにもパリジェンヌらしい陽気なメイドがたどたどしい日本語で声をかけてきた。このホテルは日本人客が多いので、だれかに教えられたのだろう。外国語の中で生活をしていると、ほんのかたことだけの日本語でもひどくなつかしい。
——今ごろどうしているかな——
タザキ氏が思い出すのはやはり家族のことだった。元旦は例年通り鶏のスープでダシを取ったお雑煮だったろう。それから蒲鉾《かまぼこ》にきんとんに黒豆。朝寝坊の朝食をすますと、みんなで荻窪の両親の家へ年始のあいさつに行く。七歳になったヒロシはお年玉をもらうのがなによりの楽しみだ。いや、そうでもないのかな。
つい先日もずいぶんませた口調で言っていたっけ。
「ボクね、お正月が好きなのはお年玉のせいじゃないよ。パパといっしょに遊べるからなんだ」
タザキ氏はいつも仕事がいそがしいので、めったに子どもと遊べない。その埋めあわせに正月休みにはたっぷりとヒロシにつきあってやるつもりだった。ところが急にヨーロッパへ出張を命じられてしまって……。
今年の正月は凧《たこ》遊びの予定だった。金太郎を描いた六枚張りの六角凧。
「これ、本当に天まであがるの?」
「あがるとも」
糸目のつけかたには自信がある。
「よし、これでいい。川っ原であげよう」
「すごいなあ」
ほんの手ほどきをしただけで日本を離れてしまったのだが、昨夜国際電話をかけたときに、
「パパ、ボクひとりで凧をあげられるようになったよ」
と、とてつもなく威勢のいい声が届いた。
「そうか、よかったな」
「うん。グングン高くあがるよ。糸の長さでわかるんだ。百メートルも二百メートルも三百メートルも。だから凧はずーっと遠くの町まで見えるんだよ。糸を握っていると、ボクにもよく見えるんだ」
「そうかい」
「うん。フランスだって、パリだって見えるよ。パパもホテルの窓から顔を出してね」
子どもらしいことを言うじゃないか。
今は夜中の十二時。東京は午前八時だろう。元気者のヒロシはもう凧をかついで川原に出かけたにちがいない。
タザキ氏は窓をあけ、教会の尖《せん》塔のそびえたつ東の空を見あげた。風が冷たい。星が凍りついている。
「おや?」
タザキ氏は目を疑った。教会の高い十字架のむこうに、たしかに、たしかに金太郎の顔が揺れている。
「そんな馬鹿な」
目をこらしたときには凧は風にあおられ、ますます高く舞いあがり東の闇に吸い込まれて消えてしまった。
翌朝、電話が鳴る。
「パパ! 見えたよ。六階の窓から教会の塔を眺めてたでしょう」