「いいですか、諸君。今月はぜひ一人あたり三人の新しいクライアントを獲得してほしい。ただし、筋のいいお客さんでなければいけない。クレジット業ではこれが一番大切ですからね」
営業課長が額の汗を拭いながら細い声で訴えていた。ハナダ氏はすみの席にすわってぼんやりとその声を聞いていた。
——新しいクライアントなんか今さら獲得できるだろうか——
ハナダ氏が勤める日本セントラル・クレジット株式会社では毎年二回、言わば年中行事のようにこの通達がある。社員全員が知人友人を誘って日本セントラル・クレジットのNCCカードに三人まで加入させなければいけなかった。
毎年二回、同じ通達があるのだから現実問題として達成はむずかしい。もうたいていの友人知己には声をかけてしまった。とはいえせめて一人くらいはあらたに勧誘しなければ、カッコウがつかない。
——もう伯母さんしかいないな——
伯母さんはハナダ氏の父の姉で郊外地の賃貸アパートにたった一人で暮らしている。どちらかと言えば偏屈な老人で、あまりつきあいやすいタイプではない。
もちろん以前にも勧誘したことがあった。父の三回忌のときにおそるおそるNCCカードに加入してほしいと頼んでみたのだが、
「あら、要するにクレジットと言うのは借金でしょ。お金もないのにものを買うなんて、私、大きらい。ほかのことならともかく、これは駄目よ」
と、キッパリ断わられてしまった。
�へ�の字に曲げた唇。梃《てこ》でも動かない様子。多分今度も同じことだろう。
——でも、とにかくもう一度だけやってみよう——
加入さえしてもらえばそれでいいんだ。そのままカードを引出しの奥にしまっておいてもらってもかまわないんだし……。
——もう半年も顔を見ていないな。手土産品でも持って訪ねてみようか——
伯母さんはハナダ氏の久しぶりの来訪を心から喜んでくれた。ビールを出し、夕食まで食べて行けと言う。
「でも、伯母さん、今日はちょっとほかに約束があるので失礼します」
「おやおや、それは残念ねえ。なにか用があって来たんじゃなかったの?」
「ええ。実は……以前にもお願いしたことなんですけど、うちの会社のクレジットに入っていただけませんか。毎年六人は勧誘しなくちゃいけなくて……」
とたんに伯母さんの顔が引きしまった。
「ああ、そのことね。前にもお断わりしたでしょ。私は借金でものを買うのが大きらいなの。これまでそれを信条にして生きて来たんですから」
「でも、クレジットは借金とはちがいますよ。使わなければいいんだから」
「いーえ、カード一枚でほしい品が手に入るとなれば、つい買ってしまうわ。それが恐ろしいの」
「現金を持ち歩くより安全ですよ。カード一枚で、どこへ行っても買物ができるんだから。旅行になんか行ったときは本当に便利ですよ」
「いいえ、私は旅行になんか行かないわ」
「…………」
押し問答をしているうちに、どうしてハナダ氏はあんなことを言ってしまったのか。ほんのジョークのつもりで言ったのだが、その言葉を聞いて伯母さんの態度が急に変わった。
「じゃあ、あんたがそこまで言うのなら加入してあげましょうかね」
瓢箪から駒といったところか。帰り道の足どりは軽かった。
伯母さんが死んだのは、それから二ヵ月もあとのことだった。
健康そうに見えたが、体はだいぶ弱っていたらしい。近所の人の話では、本人はしきりに「もうすぐあの世行きですよ」と冗談めかして言っていたとか。享年七十。長くわずらわなかったのだから、不足は言えまい。身寄りのないせいもあって、遺産はすべてハナダ氏のものとなった。貯金通帳に残った四百万円ほどが、その全財産であった。
奇妙なことに気づいたのは、それから間もなくだった。
通帳の貯金が少しずつ減って行く。だれかがどこかでおろしているらしい。NCCのカードを使って……。
どう調べてみても支払いの請求は正規の手続きを踏んでいる。NCCカードの解約を申し込んでも、その書類が途中で消えてしまう。何度やってみても……。
——だれかがどこかでNCCカードを使っているんだ——。
ハナダ氏は忽然と思い出した。伯母さんにクレジット加入を誘ったときのことを。その時に告げたジョークのことを。
「うちのクレジット・カードはどこへ行っても使えるんですよ。天国へ行っても使えるんだから……」