サラリーマンは人事課で辞令をもらったとたんにサラリーマンとなるが、世間には、いつ、その職業的肩書を帯びてよいか、曖《あい》昧《まい》な仕事も少なくない。
小説家も、その一つ。
人はいつ小説家になるのか。
自分一人で「私は小説家です」と名のってみても、裏づけがなければ認めてもらえない。発表の舞台が同人雑誌だけでは何十篇作品を書いていても、小説家ではない。
小説を書いて生計を立てている人、それが小説家と、常識的な定義が浮かぶけれど……ことはそう簡単ではない。つまり、文筆業は経費を全部自分でまかなわなければいけない。時節がらばかにできないのが、仕事をするためのスペース。マンションなんかを借りたら大変だ。ほかに取材費もかかるし、年収にして最低一千万円くらいはないと〓“生計を立てている〓”とは言いがたい。五年十年という期間を通して、このレベルを越えている人となると、小説家はたちまち百人くらいになってしまうだろう。
そこで方向転換。
しかるべき小説雑誌で新人賞をとったくらい……。このあたりが一つの基準となる。新人賞ではまだ生計は立てられない。一千万円はまだまだむつかしい。それでも、小説業界で一応認知されたのだから、
「まあ、小説家なんです」
と名のる権利はある。
かく言う私は、雑文書きとして編集者と接し、いくらか名を知られ、
「どうです、小説でも書いてみませんか」
新人賞もとらないまま作品を小説雑誌に掲載してもらい、少額ながら第一作から原稿料をいただいた。
一作、二作、三作……五作、十作と作品を発表し、少しずつ小説家に近づいたが、なんとなく業界の認知を得ていないような気がして居心地がわるかった。言ってみれば、正規の入社試験を通らず、社長のコネで入社した社員のようなもの。仕事は同じようにやっていても、やましさがつきまとう。
昭和五十四年に推理作家協会賞をいただいたときに……これはまあ、係長昇任試験のようなものですね。
——あ、これで認知された。小説家になったらしいな——
と安《あん》堵《ど》の胸を撫《な》でおろした。
現代では新人賞をとることが、この職業への入門ルートである。これがフェア・ウェイであり、一番よい方法である。
大作家の家の門を叩《たた》き、玄関番から廊下の掃除……なんてのは、もうない。同人雑誌も修業を積む手段としてはともかく、そこから見出されて、いきなり作家というケースは少ない。同人雑誌で編集者の目に留まっても「新人賞に応募してくれませんか」と、結局は同じ道筋を勧められることが多い。
昨今は、たとえばイラストレーター、コーディネイター、インストラクターなどなど、片仮名で表わす自由業が人気の的らしい。同じ自由業でも漢字で書く小説家は、
「あれ、なるの、むつかしいんじゃないの」
と、若い人にはちょっと敬遠されている。
それでも新人賞の応募となると、老若男女ざっと千篇ぐらいの作品が寄せられて来る。
「本当に読んでくれるんですか」
疑問の声を聞くことも多いけれど、私の見たところ新人賞を主催する出版社はかなりよく読んでいる。階段の上から原稿を投げて、一番遠くに飛んだのが新人賞……なんてことは、ゆめありません。
専門の読み屋を雇ったり、編集部員が休日を返上して読んだり、予選の枠を少しずつせばめていって最終候補作七、八篇に絞る。選考委員が読むのは、ここからである。私も現在二つほど新人賞の選考委員を務めているが、もちろん真剣に読む。
——見ず知らずの人の運命を変えることになりかねないからなあ——
それを思うと、少し怖い。
落とした場合より、入選作と決めたときのほうが怖い。そのほうが運命を変える度合いが大きいから……。
「はい。サラリーマンをやめて小説家一筋で行くことに決めました」
などと受賞者が荷物を背負って上京なんかしちゃって……本当に恐ろしい。
——大丈夫かなあ——
選んでおきながら心配になってしまいます。
短篇を一つ書いても、新人の頃は原稿料が安く、せいぜい十五万円くらい。一カ月くらいかけて書きあげ、編集者に駄目を押され、突き返され、苦労のすえこの金額だから、そろばんはあわない。新人はみんなそう思う。私もそう思った。
昔、すごいことを新人作家に教えてくれる編集者がいて、
「原稿料、安いと思いますか」
「ええ。まあ」
「五十枚で十五万円だから……一枚三千円ですね」
「でも、毎月注文があるわけじゃないし、とても食べて行けないでしょう」
「まあね。しかし、発想の転換をしてみましょう」
「発想の転換ですか」
「そう。今、小説雑誌が五百円なんですよね」
「ええ……?」
「あなたに十五万円を払うとして……印刷代や組み代や紙代や、その他の人件費やマージンや、そういうもの全部抜きにして、ただ、ただ、あなたにお支払いする十五万円を入手するだけで、雑誌を三百冊売らなきゃいけないんですよ」
「そうなりますね」
「逆に言えば、三百冊お客さんが買ってくれなければ、あなたにお支払いする十五万円さえ入って来ないわけです」
「ええ」
編集者は少し笑って、
「で、あなたの名前が目次に書いてあるからといって、それで〓“おお、これを買おう〓”って思ってくれる読者、三百人いますか?」
親《しん》戚《せき》、友人、知人を総動員してみても、なかなか三百人にはならない。しかも、この計算は、印刷代、組み代、紙代、その他を全部無視したうえでのことなのである。かくて新人は首をうなだれてしまう。
新人賞の季節には私も一生懸命に最終予選を通過した作品を読んで、すぐれた新人を捜しています。