子どもの書く絵日記を見て、思わず苦笑してしまったことがある。
〓“材木置場のあき地で、カケッコをしました。ヨウちゃんが一番で、ぼくが二番で、昇が三番でした〓”
〓“誠君のうちでオセロゲームをしました。一回勝つと一点です。十二回戦をやって、高橋くんが一番、前田くんが二番、ぼくが三番でした。くやしかったです〓”
わずか三十日くらいの日記の中に、だれが一番、だれが二番、だれが三番と、ランキングのようなものが、四、五回記されている。
——この子の脳みそは、いま、ランキングを盛んに意識するあたりにさしかかっているんだな——
と、納得した。
子どもというものは、おおむね、なにが一番で、なにが二番で、なにが三番で……この手の順位づけが好きである。とてもわかりやすい。その世界を理解するのに役立つ。
「一番強いバッターはだれなの?」と尋ねられ、
「昔の人と、今の人を一緒に比較するわけにはいかないけど、今ってことなら、これを見なさい」
新聞の打撃成績ベストテンを見せればそれでよい。
「一番がクロマティで、二番が正田で、三番がパリッシュかあ。外人が多いね」
平成元年五月八日現在のセ・リーグではそうなっている。
「ああ」
「パ・リーグと比べて、どっちが打つの?」
これはなかなかむつかしい。
ランキングには、いくつかの制約がある。どういう条件の中での順位づけか、セ・リーグかパ・リーグか、世界なのか日本だけなのか、枠の大きさが問題となるのは当然だし、もう一つ、時間的な視点も見のがせない。
つまりランキングの中には、世界で高い山はなにか、エベレストから始まって、K2、カンチェンジュンガと続く、ほとんど恒常不変のものもあるし、その一方で打撃ベストテンのように日々変るものもある。
だから、どのくらいのスパンで対象をランクづけするか、それによって結果も、結果の妥当性もおおいにちがって来るのだが、なにはともあれ、おおよその価値基準を知るうえでは有効である。
子どもがこれを好むのは当然のことだし、大人だってけっしてこれがきらいではない。
毎年五月初めに発表される所得番付も典型的なランキング志向であり、年鑑のたぐいをのぞいてみれば、県民所得、死因、地価、テレビ視聴率、実にさまざまなランキングが載っている。子どもに限らず、私たちはランキングの好きな生き物なのかもしれない。
話は旧聞に属するけれど、放浪の画家、山下清さんの口ぐせに、
「兵隊の位でいうと、どのくらい?」が、あった。
実例は忘れてしまったけれど、たとえば、
「あの人はとても偉い人なんだ」
と、聞かされると、
「兵隊の位でいうと、どのくらい?」と問い返す。答えるのは、ちょっとむつかしい。
たしかに偉い人だけではわからない。それこそ兵隊の位で言えば、大将も偉いし、中将も偉い。大佐だって偉いし、大尉くらいでも結構偉そうな顔をしていた。どのくらい偉いか、はっきりと言ってほしいのは、山下画伯ばかりではあるまい。
だが、価値観の多様性や、人間をランクづけすることの非礼さを考えたりして、普通はこの手の質問は発しない、答えない、それが社会生活の習慣になっているのだが、それをズバリと尋ねたところに、山下画伯の無邪気さがあり〓“兵隊の位でいうと〓”が流行語となる理由があった。
新聞社の外報部あたりでは、
「スワジランドの×××が暗殺されたらしいぞ」
「どのくらい偉いやつなんだ」
現実の問題として、偉さのランキングを問われることがよくあるとか。
「政府の要員で、まあ、小結くらいかな」
さすがに戦後四十余年、兵隊の位では言わない。相撲の番付が用いられることが多いらしい。
ほとんど知らない国の、知らない名前を呈示され……ややこしいことはこのさいあとまわしにして、とりあえず、どのくらい偉いのか、手がかりをつかみたいときは、たしかにあるだろう。
よく知っている世界ならば、一応の目安くらいはつけられる。松本清張さんはどのくらい偉いのか、赤川次郎さんはどうなのか、台頭著しい吉本ばななさんは、どのくらいのランキングがよろしいか。言えないこともないけれど、ここではちょっと書きにくい。
エベレストは言うに及ばず、高額所得者なども、どの山が一番高いか、だれが一番多く所得税を払ったか、疑問をさし挟む余地はほとんどない。一番は一番であり、二番や三番でないことは歴然としている。
だが世にある森羅万象は、けっして単純ではないから、対象によっては順位づけがすこぶるむつかしくなることもある。
だれが一番きれいか、だれが一番わるい総理大臣か、どの本が一番おもしろいか、なにが一番怖いか、なにが一番おいしい食べ物か。
もともと主観によって価値の異なるものもあるし、今のところ人類の知識が不足していて断定のできない事象もある。
十数年前〓“週刊サンケイ〓”誌が掲げていた〓“なんでもベストテン〓”は出色の一ページだった。
ランキングのつけにくいものをその週のテーマに選び、五人の識者に十位までのランキングを作ってもらい、なぜそれを選んだか、短い説明をそえてもらう。
たとえば、日本で一番美しい女優。日本で一番すごいピッチャー。
だれでもそれなりの答は出せるけれども、人それぞれ、選ぶものも順位も微妙に異なる。おおいにちがう場合もある。
——なるほど。こういうものの見方もあるわけだな——
と、あらためて納得したこともあった。
たった一つのランキングで割り切れるものは、むしろ少ない。私たちは、物指しがけっしてそれ一つではないと知りながらも、一応はランキングを求めたがる心理傾向を持っているらしい。