——どうして四季がこんなにはっきりと分かれているのかしら——
ついこのあいだまでいとおしかった厚手のキュロットが、春風とともにうとましいものに変ってしまった。ただボテボテと重くて野暮《やぼ》ったいだけの衣裳に感じられてしまう。
シャツ・ブラウスに滑《すべ》りのよいスカート、それでもカーディガンだけ肩に羽織って年子は表通りに出た。
空は電線の上に懸《かか》って、うっすらと白の色を広げている。
——春の空だわ——
雲に向かって投げキッスでもしたい気分……。電線ももうしばらくは悲しい声をあげて泣いたりはすまい。
銀行の電光時計が十四時十四分を示していた。同じ数字が二つ並んでいると、なにかよいことが起こりそうな気がする。以前にそんなことがあったのだろうか。記憶をたどってみたが、すぐには思い浮かぶものがない。
でも、きっとこの街の、このあたりで、十四と十四の並びを眼に映したことはあるだろう。いつもこのくらいの時刻に街に出るのが年子の日課なのだから。
職業はアート・デザイナー。三十九歳。頼まれれば、どんなデザインでもやるけれど、目下のところはアイデア商品のデザイン。カレンダーつきのハンカチや星座つきのハンカチがよく売れている。今年いっぱいは、ハンカチのデザインをずっと考え続けることになりそうだ。
住まいは2LDK。目黒駅に近いマンションで独りで気ままに暮らしている。あ、猫のマミイがいて、こいつが結構やきもちやきで、世話がやけるんだわ。とら猫の雄。朝寝坊をしていると頭の上に落ちて来る。
たいていは八時頃に起きて、ありあわせのもので朝食をとる。塩じゃけのお茶漬。あるいはインスタント・ラーメン。トーストにコーヒーのときもある。
そして五時間くらい仕事に没頭する。集中力はあるほうだ。午前中は電話にわずらわされることも少ないし、来客もない。なまけていたらフリーの稼業は生きていけない。
「さ、小休止、小休止」
背すじを伸ばし、大あくびをし、マミイに声をかけ、二時過ぎに一息いれる。天気がよければ、ふらりと街に出る。白金台《しろかねだい》の自然教育園のあたりまで足を伸ばすこともあるが、たいていは近所のカフェテリアへ行く。軽食をとる。
カフェテリアの名は�シェ・トワ�。食べ物がおいしいのと、すみの席が死角になっていて街を見ながらぼんやりとくつろげるのとで年子は気に入っている。
「なんにしましょうか」
「そうね。ピザ・パイと紅茶」
今朝はコーヒーを飲んだ。
そんな日にはたいてい紅茶を飲む。コーヒーのおいしい店はたくさんあるけれど、紅茶のおいしい店は少ない。ここはリプトン専門。紅茶のカンのデザインは、どこにでもあるものだし、中身もきっと同じものにちがいないのに、
——どうして味がちがうのかしら——
そう悩んでしまうほどうまい。年子は紅茶をおいしくいれることができない。
このときだけタバコをくゆらす。
昔は仕事の最中にも喫《す》っていたのだが、一大決心をして節煙を実行した。一日せいぜい三、四本。
——もう平気——
けっしてもとに戻らない自信があるから、ときどき喫う。
この席からはガラス越しにお菓子を売っているカウンターが見える。ケースの中を見ているお客の様子がうかがえる。
店に入って来て、すぐに買うべきケーキを決断する人はめずらしい。たいていは少し迷う。五個買うとして全部シュークリームにしようかしら、それともエクレアを混ぜようかしら、なんて……。とりわけ女は決断に手間がかかる。
その表情を見ているのがおもしろい。
三十四、五歳の男がショートケーキを二個買った。
——だれと食べるのかしら——
相手はきっと女だろう。サラリーマンが家に帰る時刻ではない。
——昼下りの情事……かしら——
などと想像が飛ぶ。この界隈《かいわい》は、ホステスさんの一人暮らしも多い。
あるいは、昨今はやりの人妻の恋……。
——ハンカチにケーキを描いてみたらどうかしら——
他人《ひと》の恋路より自分の商売、商売。
一面にケーキの図案を描く。シュークリーム、エクレア、サバラン、モンブラン、ショートケーキ、チョコレート・トルテ……。
——お寿司屋のポスターみたいね——
鮨を並べてTOROとかHIRAMEとかローマ字で書いてあるポスターがよく寿司屋のカウンターに貼ってある。
——冴えないわ——
むしろケーキをたった一つ描いて、その下に豆知識をプリントしておく。�シュークリームは、靴クリームじゃないのよ。正しくはシュー・ア・ラ・クレーム。フランス語でクリーム入りのキャベツ。あれ、キャベツのつもりなの……�などなどと。
——でもハンカチのデザインじゃないわねえ——
このアイデアはペケ。食事に専念しよう。まるいピザ・パイをまず十字に切る。それからまた一つ一つを半分にして、扇形を八個作る。いつも年子はそうやって食べる。初めてホット・ケーキを食べたときがそうだった。以来まるいものは、たいていこうやって食べる。
——ホット・ケーキ、しばらく食べていないんだわあ——
特別うまいものではないけれど、出来あがりを食べれば、そこそこにはおいしい。目の前で作ってくれるのがいい。熱い鉄板の上でまんまるく広がり、周辺から少しずつ狐色《きつねいろ》に焼けていく。頃あいを見て、くるりとひっくり返す。ずっと昔お菓子屋の店頭で観察して自分で作ってみた。小学生の頃は、母のいないときの、すてきなおやつだった。
ズ、ズーン。
自動ドアが鈍い音をあげて開いた。年子は店のカウンターに視線を送った。
——あの子だわ——
黒いセーターが、ズボンのポケットに手をつっこんだまま入って来た。足もとは汚れたスニーカー。足が入っているからなんとか形を保っているけれど、ぬいだらペシャンコにつぶれて、雑巾《ぞうきん》みたいになってしまうだろう。そのうえ二、三ヵ所やぶけていて�もと靴�としか言いようがない。
少年の目鼻立ちはわるくない。利巧そうにも見える。だが、どこか表情に暗いところがある。
この店でよく見る顔だった。
どこに住んでいるのかわからない。多分この近くなのだろうが、ほかで会ったことはない。見るのは、いつもこの位置から……。年子が椅子にすわり、少年はガラス・ケースの前に立ってケーキを眺めている。
少年もすぐには買わない。しばらくはケースの中の様子をうかがっている。
けっして迷っているわけじゃない。買うものはいつも同じ。彼は観察ののち、きまってアマショクを買う。アマショク……甘食と書くのかしら。�甘い食パン�の意味だろうか。まるい富士山の模型みたいなパン。ブラパッドみたいと言えば、よくわかる。
まさか少年もブラパッドを想像するわけではあるまいが、いつも二つ、ポケットから小銭を出して買う。
——よほどアマショクが好きなのね——
迂闊《うかつ》にも年子はそう考えていた。なんの考慮もなく、頭の片隅《かたすみ》でそう思っていた。
間もなく、
——そうじゃないわ——
と、当たり前のことに気がついた。
アマショクは�シェ・トワ�で売っている中で一番安い菓子パンである。アマショクがきらいでないのはたしかだろうが、お小遣いが許すならば、少年はもっと華やかなケーキ類が食べたいのだ。しばらくガラス・ケースを凝視しているのは、その心の反映である。それ以外には考えにくい。
——馬鹿ね——
と自嘲が浮かぶ。
頭のどこかで年子は�もう日本中に貧しい人はいなくなった�と思っている。年子だけではなく、そう考えている人はきっとたくさんいるだろう。
年子自身けっして豊かな生活をしているわけではない。むしろ世間の水準に比べれば、確実にレベル以下の生活でしかないのだが、
——こんな私でも、これだけのことができるんだから——
と思ってしまう。
この日本にケーキを買うのがむつかしいほどの家があるとは、考えにくかった。少年の凝視の理由がすぐにわからなかったのは、そんな日常感覚のせいだったろう。
少年とても、それほど貧しいわけではあるまい。ただ毎日買うおやつの代金はこれだけ、と予算が決まっている。裁量の範囲が決められている。少年はその範囲の中で、
——あれが買えればいいんだが——
と、案じているだけ。アマショク二個とシュークリーム一個とを秤《はかり》にかけているだけ。おそらくさほど深刻に考えるような情況ではあるまい。
ただ少年の眼差しがいつもとても真剣で、しかも長い観察のすえいつもアマショクにたどりつくので、見ている年子としては少々気がかりだった。暗い表情も、身なりの貧しさも、年子の想像を悪い方向へ脹《ふく》らませるのに役立つ。
——一度ご馳走してあげようかしら——
とはいえ、年子もそれほど熱心にその考えを固持していたわけではない。
今日も少年の姿を見て同じように思った。だがやっぱり立ちあがることもせず、ぼんやりと少年の様子を眺めている。
「ください」
少年は店の奥に向かって声をかける。見かけよりはずいぶん大人びた声だ。
「はい。どれ?」
店員はきまって尋ねる。少年の答も同じだ。
「これ二つ」
と指さす。
「はい。アマショク二つね」
値段通りのコインを渡し、紙包を受取り、さしてうれしそうでもない様子で少年はドアの外に消えた。なにかしら淡《あわ》い後悔のような感情が年子の中に残った。
——また見送りね——
もう一本タバコに火をつけた。
山手線の響きが聞こえる。
その音を追うようにして昔の記憶が胸に戻って来る。カスタード・クリームの匂いがあとを追いかけて来る。
年子は小学校の三年生くらい。茗荷谷《みようがだに》に住んでいた頃だったろう。ちょうど赤い地下鉄が走り始めた頃だった。
あのあたりは住んででもいなければ、めったに用のある地域ではない。つい先日、偶然車で通ったが、街は昔とずいぶん変っていた。路地に入れば、子どもの頃の記憶が鮮明に戻って来るのだろうか。その路地さえも、どこが入口か、目で捜しているうちに車が通り過ぎてしまったけれど……。
あの頃、すでに母と父の仲はこじれていた。離婚はもう少しあとのことだったろうが、父の顔など幼い年子はほとんど見たことがなかった。
母は美容院に勤めていた。子どもを一人かかえてなんとか生きて行かなければいけない。一番苦しい時代だったろう。そういえば、まだ貧しい人がたくさんいる時代だった。
母の勤めている店は年子も知っていた。家から角を二つ曲って、七、八分。
「でも来ちゃ駄目よ」
いつもそう言われていた。だから行かない。前を通っても知らん顔をしている……。
住んでいたのは鉄の階段のある民営アパート。新しくて、床も壁もみんなきれいで……。
——お金持ちになったみたい——
そう思っていたけれど、実情は新築だったというだけのこと。六畳間一つに、ほんの一畳ほどのキッチンのついたアパートがお金持ちの住む家であるわけがない。
学校から帰ると鍵をあけて部屋へ入る。鳩時計があって、これが十五分ごとに鳴く。「ポウ、ポウ」と……。一人で聞くときは、かえってもの悲しく、さびしかった。
テレビはない。ラジオはあったはずだが、昼日中から子ども向きの番組をやっていたのかどうか。とにかく母の留守にラジオを聞いた記憶はない。
テーブルの上に、なにかしらおやつが載っている。おやつがないときは、お金が置いてある。
おやつよりは、お金のほうがうれしかった。たいした金額ではないけれど、自分の裁量でなにかができる……それが楽しかった。退屈な時間を潰すのに役立つ。
たいていは塩豆一合。角の駄菓子屋で買う。豆の粒に大小があって、五円くらい値段の差がある。大きい粒のほうが、やっぱり香ばしくて味がいい。小さい豆を買って五円貯金するか、おいしいほうを食べるか、それがいつもくり返して訪れる悩みだった。
幼い頃は同心円のように行動の半径を広げていく。知らない道を少しずつ遠くまで行ってみる。知ってしまえば、なんのことはない、住んでいる街と少しも変らない隣街なのだが、たった一人で初めて訪ねるときは、真実胸が弾む。わくわくする。ちょっと怖《こわ》い。
あれは蛇屋の前だったろう。だから余計に薄気味がわるい。暗い角を曲って二軒目のウィンドウ。蛇がからまっていくつもいくつも鎌首をあげているのを見たときは、本当に驚いた。
「年ちゃん」
名前を呼ばれたような気がしてふりむいた。
——本当に名前を言われたのかどうか——
あとで何度もそのことを考えた。今でも年子はそのことを考える。名前ではなかったのかもしれない。
だが、幼い耳にはたしかにそう聞こえた。
軒隣《のきどなり》の薬局の前に男の人が笑いながら立っている。お父さんくらいの年恰好……これもあとになってぼんやりとそう思っただけのことだ。四十から五十くらい。もっと年上だと言われればそんな気もする。もっと下だと言われれば、それも頷《うなず》ける。考えてみれば、幼い子どもにとっては、大人の男は、せいぜいお兄さん、おじさん、おじいさんくらいの区分しかない。その男は、お兄さんではなかった。おじいさんでもなかった。
「一人で遊んでるの?」
ネクタイを締めていた。やさしそうな顔だった。でも、それまでに一度も見たことがない人……。目の下に大きなほくろがある。
「うん」
少女は少し警戒しながら頷いた。
ほとんど人見知りをしない子どもだった。だれにでもすぐになつく少女だった。
「知らないかなあ。おじさんのこと」
首を振ったら、わるいような気がした。
「お母さんのお友だちなの?」
「いや、お父さんのお友だちだ」
「おうちに遊びに来たの? お父さん今いない」
「ちがう、ちがう。通りかかっただけだ。ちょっとそこまで行こう。いいもの買ってあげるから」
おじさんは先へ立って歩きだす。
「いいです」
うしろから精いっぱい胸を張って叫んだ。
「遠慮しなくていいんだよ。お父さんにはとてもお世話になったんだ。気にしなくていいよ。さ、行こう」
手を握って引きずる。
誘拐を知らないでもなかった。でも、あれはお金持ちの家の子だけが狙われるのだろう。
——うちなんか、やっぱりちがう——
そう考えていただろう。
それに……人通りの多い街のまん中。大声を出せば、だれでもすぐに助けてくれるだろう。
本当のことを言えば、そんな心配もかすかなものだった。おじさんはとてもやさしそうだし、言われてみれば、どこかで会った人みたいな気もする。竹田のおじさんかしら。なにかいいものを買ってくれるらしいし……。
——断ったらわるいわ——
あれよ、あれよと思うまに連れて行かれたのではなかったか。
おじさんの言葉をいちいち思い出すのはむつかしい。当然のことだ。子どもの頭は、せいぜいその場の情況をぼんやりと記憶する程度。一つ一つの台詞《せりふ》は、あとになってその場の雰囲気にあわせて作られる。外国テレビのアフレコみたいなもの。
なごやかなムードでお菓子を買ってもらったのならば、その場面を頭の中でたどって、
「いい子だね、お菓子を買ってあげよう」
「うん」
「どれがいいかな」
「あれ」
「よし、これと、もう一つこれかな」
「うん、ありがとう」
と、芝居の台本を書くように創造される。
実際に語られた言葉がそのまま再生されるわけではあるまい。少なくともあのときはそうだった。
だから年子は、おじさんの言葉にほとんどなんの記憶もないのだが、ただ一つ、
「お父さんに世話になったんだ」
この台詞だけは、何度か聞いた。なまの言葉としてはっきりと頭に残ったものだった。
——それなら、いいんだわ——
子ども心で考えても、縁もゆかりもない人がいいことをしてくれるはずがない。きっと危いときにお父さんが助けてあげたんだ。貧乏で困っているときに、お金をあげたりしたんだ……。だったら少しくらいご馳走になってもいい。
このときのことを思い出すと、いつもそんな感情が色あせた絵のように年子の心に浮かんで来る。それから地下鉄の音。これも道を歩きながらたしかに聞いたものだった。
「ここにしようか」
連れて行かれた先は、一度も入ったことのない洋菓子店だった。ガラス戸がたくさんあって、中は見えないけれど、少しお母さんのお店に似ていると思った。だが美容院とは匂いがちがっている。ずっとおいしそう。たった一度の体験だから、店の構造を思い出すのはむつかしい。
店の中は白っぽい感じだった。中に何人かお客さんがいた。これは、
——だれもいなかったら、どうしよう——
そう心配していたので、とてもよく覚えている。大学生みたいな人が大勢楽しそうに笑って騒いでいた。女の人も混ざっていた。
——ここなら平気だわ——
年子は小さい頭でそう思った。
「コーヒーは飲まない?」
コーヒー? 名前は知っていたけど、飲んだことはなかっただろう。
「飲みます」
お行儀よくすわっていた。きっとそうだろう。大人におもねるのが下手《へた》な子ではなかったから。
「じゃあコーヒー二つ」
それからおじさんはケーキを頼んだ。
白いエプロンをかけたおねえさんが、手押しの車に載せてお菓子を持って来る。車にはお花畑みたいにいろいろなケーキが載っていた。
今の子どもなら、さしてめずらしくもない風景。でも、当時はおそば屋さんで外食することさえめったになかった。
夢見心地だった。
——お母さんだって来たことないわ——
コーヒーは、とてもいい匂い。
「どうぞ」
そう勧《すす》められても、どうやって飲むのかわからない。そばに小人のコップみたいなのがついていて牛乳が入っている。それをどうするのか……。
おじさんが砂糖を入れ、牛乳を静かに注ぎ込んだ。白く広がるのが、きれい。
——ああするのね——
前から知っていたみたいに同じ手つきでミルクを入れた。
「どのお菓子がいいかね」
クリスマスのケーキみたいの。それからシュークリームは知っている。ずっと前、夜遅くお母さんが持って帰って来た。
おじさんは年子の視線に気づいたのだろう。苺《いちご》の載ったケーキと、シュークリームを指さし、それから、
「エクレアも一つ」
と告げたにちがいない。エクレアはチョコレートがついていて、これもじっと見てみれば、とてもおいしそうな感じだった。
エプロンのおねえさんが、一つ一つ白いお皿にとってくれる。
——三つじゃ、どうわけるのかしら——
やっぱりおじさんが二つ、年子が一つなのだろうと思ったが、どうもそうではないらしい。
シュークリームの甘い�あんこ�が、香りと一緒にトロリと喉《のど》に流れこむと、
「おいしい?」
と聞く。
「うん」
「じゃあ、こっちもためしてごらん」
おじさんは苺のケーキを年子の前に押す。
「食べていいの?」
「いいよ、いくつでも」
それを食べ終ると、今度はチョコレートのついたケーキを前に置いてくれた。
少しわるいような気もしたけれど、おじさんは目を細くして見ている。
「ケーキ、きらいなの?」
と尋ねた。
「きらいじゃないけど、今はいらない。さ、食べなさい」
エクレアはシュークリームよりもっとおいしかった。
「もっと食べる?」
さすがに気が引ける。
「お腹いっぱい」
胃袋のあたりをなでて示した。
「そうか。ジュースを飲みなさい」
多分オレンジ・ジュースだったろう。やっぱりコーヒーよりおいしい。
おじさんは最後にもう一度手をあげておねえさんを呼び、エクレアとシュークリームと一つずつ小さな箱に入れさせ、
「お家で食べなさい」
と渡してくれた。
外に出たときは、空が少し暗くなっていただろう。季節はわからない。ただ……西の空がまっ赤だった。蜻蛉《とんぼ》が飛んでいた。地下鉄の音がまた聞こえた。
「さ、帰りなさい」
「ありがとうございました」
よくわからないけれど丁寧にお辞儀をした。おじさんは手を振りながら遠ざかり、すぐに人込みの中にいなくなってしまった。蛇屋の前を通って走って帰った。
あの日、お母さんの帰りは遅かった。たしかそうだったと思う。
我慢できずにエクレアを一つ食べてしまった。そのうちにシュークリームも食べたくなり、それも食べてしまった。「遅いときは、なにか食べてお腹をつないでおきなさい」といつも言われていたから。
——あそこの店に行けば買えるんだし、お母さんだってそのくらいのお金は持っているわ——
店を教えてあげれば、きっとお母さんも喜ぶだろう。
とはいえ、おみやげを食べてしまっては、事件の報告は言いだしにくい。それに……おじさんは「お父さんに世話になった」と言っていた。お父さんとお母さんは喧嘩をしているらしい。
「どうして、そんな人にご馳走になったの」
叱られそうな気もする。
でも黙っているわけにもいかない。翌日の夜になって、ようやく母に話した。
「ふーん、だれかしらねえ」
母は訝《いぶか》しそうに聞いていたが、そのときは見当がついたのだろう。叱られもしなかったし、深くは尋ねられなかった。
ところが数日たって、
「年子、この前、へんなおじさんにご馳走になったって言ってたけど……」
根掘り葉掘り訊かれた。知ってる限りを話したが、母は首をかしげるばかり。母にもわからないらしい。
「駄目よ。知らない人についてったりしちゃあ」
今度はしっかりと叱られた。
両親の離婚が決まったのは、年子が中学生になってからのことだった。その前後に年子は一度父に会っている。
そのときもコーヒー店でケーキをご馳走になったものだから、数年前の出来事を思い出した。
「変なことがあったのよ」
久しぶりに会う父には話しにくかったけれど、思いきって尋ねてみた。ここで聞かなければ一生聞くチャンスがあるまいと思った。
父もやっぱり見当がつかない。目の下にかなり大きなほくろがあったことを言っても、父はわからなかった。
「だれかなあ」
結局答はなにもえられなかった。
それからもう一度、大人になってから年子は同じ質問を母に投げかけてみた。
「本当のところ、あれはなんだったのかしら」
母はあらかた忘れているふうだったが、言われて思い出したらしい。
「なんだったのかねえ。人さらいかしら。あの直後、お母さんもお父さんに尋ねてみたんだけど……」
本当に説明がつかない様子だった。
母の恋人……そんなことを考えた時期もあったが、今はそれもちがっていると思う。そうではないと判断する強い理由があるわけではないけれど、漠然とした直感がそう告げている。
——ただの人ちがい——
このへんが案外正解なのかもしれない……。
山手線が響き、思考が今に戻る。紅茶の残りを飲み干す。�シェ・トワ�で軽い昼食をすませると、あとはまた家に戻って二時間ほど仕事をする。
「さ、これでおしまい」
急ぎの仕事がない限り、五時過ぎには仕事を切りあげ、あとは自由時間。友人に誘われ会食に出ることもあるし、芝居を見に行くこともある。年子は舞台美術をやりたいと思った時期もある。だからその方面の友人も少なくない。
「ねえ、キップを買ってよ」
頼まれれば、たいてい買ってしまう。買えばやっぱり見に行く。
なにも予定のない夜は……これも二通り道があって丹念に自分の夕食を作るときと、なにかしらあまりものでお腹を満たすときとがある。
——恋人でもいればいいんだけど——
二十代はいくつか熱い恋を体験した。三十代も前半には少しあった。
今は……そう、これから先は多分よい相手に恵まれることはあるまい。本気になったら、わずらわしい。さりとて本気にならなければ、この年齢でわざわざやるほどのことでもない。それでも心のどこかで、
——あともう一度本気になるときがあるんじゃないのかしら——
ぼんやりと見果てぬ夢を見ているところがある。
今夜は簡単日。ハム・ステーキに生野菜のサラダ。厚切りのパンにバターを塗って焦《こ》がし、それで夕食を終えた。
退屈をすることはない。幼い頃から孤独な生活に慣れていた。おもしろい本があれば、それで充分。おもしろい本はいくらでもある。退屈する人の気が知れない。読書は最高の養老保険。いくつになってもこれがあれば生きるのに困ることはあるまい。
翌日もほとんど同じ時刻に�シェ・トワ�に顔を出した。スパゲッティにコーヒー。山手線の響きを聞きながら、この日の午後もとりとめもない思案をなぞった。今朝がたの夢を思った。昨日の記憶が頭のすみに残っていたのだろう。
——変な夢だったわ——
目をさますすぐ前……。だから朝の六時くらい。
時代は江戸の頃らしい。
どうして江戸時代と思うのか、その根拠もはなはだ頼りないのだが、年子が自分の頭に一番たやすく映し出せる古い時代と言えば、多分�忠臣蔵�の元禄あたり。平安や鎌倉となると、もうひとつぴんと来ない。夢の中の風俗も江戸の頃だったみたい。よくはわからないけれど……。
だが、なにしろ夢の中だから時代考証は目茶苦茶だ。現代がいくらでも混ざっている。登場人物もよくわからない。女の子は年子自身のようだったが、少しちがっているような気もする。
街角で手毬《てまり》をついて遊んでいた。荷物を担《かつ》いだ商人が現われて手招きをする。連れて行かれた先は、ガラス箱の中にいろいろなお菓子を入れて並べたお菓子屋の店先。
これは太平洋戦争前の風景だろう。年子の育った時代にも、古い町へ行くと、たまに見かけた。格子窓をななめに倒したような形になってお菓子を入れた箱が並んでいた。一つ一つのガラス蓋《ぶた》が上に開いて、その中から好みのお菓子を取り出す。
夢の中の商人は、女の子に好きなものを好きなだけ買ってくれた。女の子は……急に年子自身がその女の子の感情を帯びて、
——知らない人なのに——
と訝る。わるいと思いながら受取る……。
夢はそこで終ったらしい。そのお菓子を食べた記憶はない。
そこまで思ったとき、ズ、ズーン、�シェ・トワ�の自動ドアが開き、少年もまた昨日と同じ頃あいに同じ様子で現われた。相変らずケースの中のケーキを眺めている。今にアマショクを二つ買うだろう。
——あのおじさんはだれだったのかな——
遠い出来事を反芻《はんすう》して、またとりとめもなく思いめぐらしたとき、胸をサクリと鋭利な刃物で切られたように感じた。忽然と答を悟ったように思った。
——そうかもしれないわ——
と、年子は独り頷いた。
あのおじさんも……茗荷谷でケーキをご馳走してくれたおじさんも、ずっと幼い頃、どこかで知らない人にご馳走になったのかもしれない。だから、大人になったら自分も同じことをしてみようと考えた……。
おじさんにご馳走してくれた人も、さらにもっと昔にだれかにご馳走になった……。こうしてどんどん時間をさかのぼる。
いや、事実の経過通り、古い時代から伝わって来たと考えたほうがわかりやすい。だれかが知らない子どもにご馳走をする。なんの理由もなく、ほんの気まぐれで。その子が大人になり、また知らない子へご馳走をしてあげる。江戸の頃から。もっと昔から……。
だれも理由がわからない。周囲の人に話してみても見当がつかない。つくはずがない。ただ永遠のリフレイン。街の中にずっと、そんな見えない伝承が、知らない糸みたいに続いている。そんな風景を年子は考える。
——嘘みたい——
多分嘘だろう。とても真実とは思えない。でも鮭が代々同じ営みをくり返すように、こんな連鎖がこの世のどこかにひっそりと続いているのではないかしら。
そう思うのは楽しい。そう考えることくらい許されていいだろう。
——ほかにもなにか似たようなことがあるみたい——
立場がガラリと逆になって同じことをくり返す……。
そう。二十代の年子はあまりよい恋に恵まれなかった。どんなに深く愛しても、それにふさわしい見返りはなかった。
——だから、これからは立場が逆になり、相手に深く愛され、自分が選び……でも、それとこれとはケースが少しちがうかしら——
いずれにせよ、もうこれからはどんな形の恋とも無縁だろう。やっぱりそんな気がする。
「くださいな」
少年の声が聞こえた。アマショクを指さしている。
——今日こそ声をかけよう……かしら——
ガラス越しに前かがみの姿を見たまま年子はタバコをくゆらし続けていた。