——八俣《やまた》の大蛇《おろち》退治と因幡《いなば》の白兎
船通《せんつう》山は海抜一一四二メートル、島根県と鳥取県の県境に立つ峻嶺《しゆんれい》である。別名を鳥上《とりがみ》山。古事記にある鳥髪はこの一郭と見てよい。すぐ西に広島県が迫っている。岡山県もそう遠くはない。文字通りこのあたりは分水嶺の連なる各県の奥地なのだ。
斐伊《ひい》川はこの船通山の周辺を水源として出雲《いずも》の国を南から北へ割って流れて宍道《しんじ》湖へ注ぐ大河である。
いくつもの乱行を働いて高天原《たかまのはら》から中つ国に追放されたスサノオの命《みこと》は鳥髪に降りて斐伊川の上流に立った。
今でも山深いところである。往時はどれほどの深山幽谷であったか。人の住む気配さえ見えない。
だが、スサノオの命が川面《かわも》を見つめていると、
——おや? あれはなんだ——
箸《はし》が流れてくる。
このくだりは遠い時代のストーリィとしてはすこぶる秀逸な部分である。わくら葉に混じって、なにげなく流れてくる一本の細い箸……。しかしそれが木の枝ではなく箸である以上、川上に人間が暮らしている証拠となる。わずかな兆候が歴然たる事実を語っている。そこがおもしろい。現代の推理小説にも通ずる技法と言ってもよいだろう。
箸そのものの起源はかならずしもつまびらかではない。著名な古代資料〈魏志倭人伝《ぎしわじんでん》〉では�手食す�とあって、卑弥呼《ひみこ》の国では箸を使っていなかったらしい。日本における箸の使用をたどると、逆に古事記のこの一節が……つまりスサノオの命の発見が記されているのが通例だ。証拠として挙げうるものとして、この記述が一番古いのだ。古くは二本箸ではなく一本を中央で折って曲げたピンセットのようなものだったらしい。鳥のくちばしのように摘《つま》むので�はし�となったとか。スサノオの命が見たのがどんな形状であったかはわからないけれど、とにかくそこに人工の痕跡《こんせき》が認めえたことは確かだったろう。
無人の地に降り立ったと思って嘆いていた矢先に、この発見だから、心が弾む。喜び勇んで川上へのぼると、果たせるかな、家があって、
「ごめん」
中では老人と老婆が若い娘を挟んでしくしくと泣いている。
「お前たちはだれだ? 名をなんと言う?」
と、スサノオの命は尋ねた。
旅人が知らない家のドアを叩《たた》いた情況を考えると、スサノオの命は少し態度がデカイような気もするけれど、そこはそれ、スサノオの命はアマテラス大御神《おおみかみ》の弟にして彼自身も充分に偉いのだ。実際にはもう少し腰を低くして尋ねたかもしれないが、後代で記録すれば、こうなってしまう。お許しあれ。
老人が答えて、
「この土地の守護神をオオヤマツミと申しますが、私はその神の子のアシナズチです。妻はテナズチ、娘はクシナダヒメと申します」
と答える。
「なんで泣いている?」
「はい、私どもには、八人の娘がおりましたが、遠くに住む八俣の大蛇が毎年やって来て一人ずつ食べてしまうのです。今年もまた、その時期がやって来て、いよいよ、最後の一人が……」
と、聞くだに痛ましい話である。
「どんな大蛇なんだ?」
「目はほおずきのように赤々と燃え、頭が八つ尾が八つ、体にはこけが生え木が繁り、長さは谷を八つ山を八つわたるほどです。腹はいつも血みどろにただれて、恐ろしい姿でございます」
スサノオの命は娘の美しさに惹《ひ》かれて、
「娘さんを私にくれないかね」
と申し込む。大蛇の餌食《えじき》になるよりははるかにましだろう。
「おそれながら、あなたのお名前を知りません」
結婚の申込みなら、これを知らなければなるまい。
「私はスサノオの命だ。アマテラス大御神の弟だが、いま天から降り下って来たところだ」
「それはおそれ多いことでございます。どうぞ、どうぞ、さしあげましょう」
「よし。大蛇になんか奪われまいぞ」
高らかに宣言したところで、スサノオの命は、娘を長い櫛《くし》に変え、自分の髪に挿した……と、まあ、いきなり変身の術を使われてびっくりしてしまうけれど、これは夫婦の契りを結び、その印として女が自分の魂を籠《こ》めた長櫛を男に贈り、男がそれを守り神として髪に挿した、と解釈すればよい。アシナズチとテナズチも格別驚いていないところを見ると、娘が急に消えて櫛になったわけではあるまい。
スサノオの命は大蛇退治の対策を練り、
「まず濃い酒を造ってくれ。それから垣をめぐらして八つ入り口をつけ、入り口ごとに八つの台を置き、それぞれに酒の桶《おけ》を載せて濃い酒をいっぱいに満たして待っててくれ」
と、アシナズチ、テナズチに頼んだ。
用意を万端整えて待っていると、怪しい気配が夜を満たし八俣の大蛇が、話に聞いた通りに現われた。
——なるほど、これは恐ろしいやつだ——
いくつもの目が赤々と輝き、山は揺らぎ、谷はどよめきわたる。
大蛇は酒を好む。八つの頭が八つの桶に潜り込み、ごくごくと飲む。飲んでたちまちだらしなく眠り始める。
——今だ——
スサノオの命は腰に帯びた十拳《とつか》の長剣を抜いて大蛇をズタズタに斬り刻んだ。
おびただしい量の血が噴き出し、川はまっ赤な流れとなって走った。
一つの尾を斬ろうとしたとき、ガチンと鈍い音が響いて十拳剣の刃がこぼれた。固い物がある。
——なんだろう——
怪しんで縦に斬り裂いて確かめると、みごとな剣《つるぎ》が現われた。どうして大蛇の体内にこんなりっぱな剣が隠されているのか? スサノオの命は不思議に思い、
——なにかしらいわくがあるにちがいない——
高天原《たかまのはら》のアマテラス大御神に事情を説明し、献上した。これが後に草薙《くさなぎ》の剣と呼ばれ、三種の神器《じんぎ》の一つとなる名刀である。三種の神器とは、この剣と、アマテラス大御神が天《あま》の岩戸《いわと》に籠《こも》ったときに捧《ささ》げた八咫《やた》の鏡と八尺瓊《やさかに》の勾玉《まがたま》の三つを指し、皇位の印として今日にまで伝えられている象徴的な宝物の謂《いい》である。
さて、大蛇を退治したスサノオの命《みこと》のほうだが……世間には�男子三日見ざれば刮目《かつもく》して見るべし�などという言葉もある。素質のある若者ならば、ある日、突然りっぱになることがある。大事を成就したときは、とりわけ鮮やかに変貌《へんぼう》する。大蛇退治の体験はスサノオの命にとって、そういうチャンスだったのではあるまいか。
わからずやのだだっ子だったのが、一変してひとかどの勇者となり、クシナダヒメと結婚し、みずからの宮殿を造るため出雲の国を捜しまわった。
川を下り、広々とした緑の地を見出《みいだ》し、
「ここがいい、ここがいい。ここに立つと気分がすがすがしくなる」
と告げ、このすがすがしい喜びに因《ちな》んで須賀《すが》の地と名づけた。
「館《やかた》を造ろう」
新婚のクシナダヒメを守るにふさわしいりっぱな家でなければなるまい。いく重《え》にも垣をめぐらして壮麗な館を造った。完成の日には、美しい雲が立ち籠め、空を厚く満たした。このあたり一帯を出雲と言うが、その出雲という地名にふさわしい荘厳な雲のたたずまいであった。スサノオの命は欣喜《きんき》して喜びの心を三十一文字の歌に託した。
や雲立つ 出雲八重垣
妻隠《つまご》みに 八重垣作る
その八重垣を
これが本邦最初の和歌ということになっている。意味はさほどのものではない。�その名前の通りに美しい雲の立ち出《い》でる出雲に妻を隠れ住まわせる八重垣の家を造ったぞ�くらいのところだろう。だが�ヤ�音をくり返してリズムを整え、なんとも言えない躍動感がある。喜びが溢《あふ》れている。和歌文学史の濫觴《らんしよう》を飾るにふさわしい名歌であった。
スサノオの命とクシナダヒメは、この館に夫婦として住まい、クシナダヒメの父なるアシナズチには、
「この館の長《おさ》となってくれ。名前も稲田の宮主《みやぬし》、須賀のヤツミミの神とするがよい」
と命じた。
松江駅から南へ四キロ、舗装道路が左に折れる角に沿って八重垣神社の境内が広がっている。これが古歌に歌われた新婚の住まいの跡地……と言いたいところだが、この神社が八重垣の名を帯びたのは中世以降のことらしい。が、私は、
——なーんだ——
とは言わず、せっかく八重垣の名を背負っているのだから、
——いずれにせよ、スサノオの命の新居はここからそう遠くはなかったはず——
古代を偲《しの》ぶよすがとして私は苔《こけ》むした参道を踏んだ。門前にある連理《れんり》の椿はクシナダヒメが祈願して植えた、ということだし……小さな宝物殿には光を落としたガラス・ケースがあって壁画がかけてある。落剥《らくはく》が激しいが、スサノオの命とクシナダヒメ等の肖像がある。スサノオの命はギョロ目で、ちょっとやんちゃ坊やみたいな風貌《ふうぼう》、クシナダヒメは、まあ美しい。大和絵《やまとえ》風の肖像画は国の重要文化財に指定されており、売店ではテレフォン・カードまで売っている。
「もしもし、クシナダヒメさんですか」
なんて八重垣の奥に籠《こも》っていても電話がかけられたらなあ、などと馬鹿らしいことを考えた。
神社の裏手にある佐久佐女《さくさめ》の森には鏡の池があって、ここはクシナダヒメが化粧のときに姿を映した、と、これもまた伝説的なフィクションだろう。八重垣神社は由来からして縁結びにふさわしいが、この池は縁結びの占いをするところ。つまり紙で舟を作りコインを載せ、沈んでいく紙舟にいもりが近づけば良縁近し、いつまでも寄って来ないようならばまだまだ——ということ。小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が妻となる節子と一緒にここへ訪ねて来て、エッセイを書き残している。
神社からの帰り道、徒歩で行くと、北西の方角に……つまり出雲大社の方角にむくむくと雲が湧《わ》き立ち、雲間からいく条かの光線がこぼれて、とても美しい。とても神々《こうごう》しい。出雲は、たしかに、立つ雲の美しいところである。そう見えるのは気のせいなのだろうか。
斐伊川も川沿いの道をたどって相当に深い山中にまで入ってみた。
——このへんでしょう、大蛇退治は——
と言われたのは横田町の大呂《おおろ》である。
——大呂の地ならオロチに通ずる——
と思ったが、偶然の一致だろうか。
充分に細くなった川にも工事の手が入って古代を偲ぶのはむつかしい。なんと! ペット・ボトルまで流れて来て、
——川上に人が住んでいるんだ——
と驚いた。あるいは峠越えの旅行者が投げ捨てたのかもしれない。船通山の山頂には�天叢雲剣《あめのむらくものつるぎ》出顕之地�と記した記念碑が建っているそうだが、そこまでは究められなかった。天叢雲剣は先に述べた草薙の剣のもう一つの呼び名である。
スサノオの命はクシナダヒメ以外の女性ともまぐわって多くの神々を誕生させたが、そのことは省略して……ここではまず出雲を支配していた力強い神、オオクニヌシの命について触れねばなるまい。
オオクニヌシの命は漢字で書けば大国主神、つまり大いなる国の主である神という意味だから、これはとても偉い。これより上はないと言ってよいほどの名前である。初めからこんなりっぱな名前を帯びていたわけではなく、当初はオオアナムジであった。敬称としての�オオ�がついているけれど、穴から出て来た男、くらいの呼び名である。オオアナムジには八十人の兄弟があったというが、これはおそらく誇張を含んだ修辞法だろう。八は�多く�の意味で用いられる。古代の社会なら父ちがい母ちがいを含めて八十人くらい兄弟のいるケースも皆無とは言えまいが、ストーリィのこの先の展開を考えるとやっぱり八十人は多過ぎる。なにしろみんなで一人の娘のところへ求婚の旅に出かける、という仕儀なのだから……。
その娘というのは因幡《いなば》のヤガミヒメ。現在の鳥取県|八頭《やず》郡に八上というところがあって、鳥取市から南へ向かった山中だが、ヤガミヒメは、そこに住んでいた。言ってみればミス因幡。美しさは近隣はもちろんのこと遠国にまで聞こえていた。
オオアナムジの兄弟たちは、
——嫁さんにほしいな——
出雲の国からみんなでぞろぞろと求婚の旅に出て来たというわけである。気心の優しいオオアナムジはで兄弟たちにこき使われていた。このときも従者のように扱われ荷物運びを命じられていた。
出雲から因幡へ、日本海の海岸線に沿って行く。気多《けた》の岬まで来ると赤裸の兎がぐったりと海辺に横たわっている。ご存じですね。では童心に返って古い小学唱歌(石原和三郎作詞)を引用するならば、
大きな袋を肩にかけ
大黒《だいこく》様が来かかると
茲《ここ》に因幡の白兎
皮をむかれて赤裸
大黒様は憐《あわ》れがり
奇麗な水に身を洗い
蒲《がま》の穂綿にくるまれと
よくよく教えてやりました
大黒様のいう通り
奇麗な水に身を洗い
蒲の穂綿にくるまれば
兎はもとの白兎
大黒様はだれだろう
大国主命とて
国を拓《ひら》きて世の人を
助けなされた神様よ
簡にして要。よくできた歌詞である。
歌詞の中にもあるようにオオクニヌシの命は大黒様の愛称でも呼ばれている。大黒様、つまり大黒天は七福神の一人であり、本来はまったくべつな神様だが、大国と大黒、字音が同じで、しかもどちらも大きな袋を背負って恵みを垂れてくれる。ニコニコ笑って優しそうだ。いつのまにかオオクニヌシの命も大黒様と呼ばれるようになってしまった。
海岸線をまず先に八十人かどうかはわからないけれど、とにかく大勢の兄弟たちが歩いて来て兎を見つけ、
「痛むのか? だったら塩水を浴びてから、よく風に当たるよう高い山のてっぺんで寝てるといいぞ」
と教えた。
皮を剥《は》がれて赤裸の状態なのだ。こんなことをやってよいはずがない。意地のわるい兄弟たちが最悪のことをさせたのだ。兄弟たちが無知で、医療の心得などまるでなかったから、という説もある。
いずれにせよ兎が教えられた通りにすると塩気を帯びた肌は一層赤くただれてしまい、風が吹くたびにピリピリ、ピリピリ切られるように痛む。兎は苦しさのあまり声をあげて泣き叫んだ。
荷物運びは一行から一人遅れてやって来る。泣きわめいている兎を見つけて、あわれに思い、
「おい、どうした?」
と尋ねれば、
「私は隠岐《おき》の島に住む兎です。むこうからこっちを見て�渡って行きたいなあ�と思ったけれど、渡る手段がありません。そのうちにうまい思案が浮かび、海に住む鰐《わに》(鮫《さめ》のこと)たちに声をかけました。�おれたちとお前たちと、どっちが仲間の数が多いか比べっこをしよう。お前たちはみんな集まって、この島からむこうの海岸まで並んでおくれ。おれがその上を跳んで数を数えるから。そうすれば、どっちが多いかわかるだろ�と言ったら鰐たちはすっかり騙《だま》されて横に並んでくれたんです。ピョン、ピョン、ピョン、私はすっかりいい気になって鰐の背の上を跳んで、こちら岸に着いたところで�やーい、お前たち、わからんのか、騙されたんだぞ�と言ったら一番端っこにいた鰐が岸に跳ねあがって来て私をつかまえ海に引き込み、みんなで着物を剥いでしまいました。困っていると大勢の神たちがやって来て�塩水を浴びて風に当たれ�って……その通りやったら余計にひどくなってしまって」
と泣きながら訴えた。
そこでオオアナムジが、
「あそこの河口に行き真水で洗って塩気を落とし、それから蒲の穂を集めて花粉を敷きつめ、その上で転がりまわったら、きっと傷も癒《い》えるだろう」
と教えたのは童謡にもある通り。日本人ならたいていの人が知っているだろう。よくできた動物|譚《たん》だが、このエピソードは日本書紀のほうには収録されていない。本筋の求婚旅行とは関わりが薄い。エピソードの意味するものはなんなのか。読み落とされがちなのは、この後、兎は兎神となっている。そしてオオアナムジに対して、
「ご兄弟の八十神《やそがみ》はヤガミヒメを得ることはありません。荷物運びをなさっていますが、あなたこそがヤガミヒメをめとる人です」
と、予言をしていることだ。
ただの兎ではない。
八十神たちが根性わるで、オオアナムジは心の優しい人であった、と、そのことを伝えるエピソードとばかり思われがちだが、もう少しほかにこの話に託したいものがあったのではないか。隠岐は海上の要所を占めている。兎は本土へ渡る海上で襲撃を受けている。兎は隠岐と因幡を結ぶ重要な使者のような役割を暗示していたのかもしれない。使者を助ければ当然よい心証がヤガミヒメにもたらされるだろう。
この出来事のあった気多の岬は、鳥取砂丘から西へ十キロ、その名も今は白兎《はくと》海岸と命名されて記念碑が建っている。白兎神社もある。兎が住んでいた島は、海上六十キロに散る隠岐の島々ではなく、目前にある小さな淤岐《おき》の島なのかもしれない。
が、それでは話がにわかにスケールが小さくなってしまう。どうせならもっと雄大な風景を描きたい。兎は遠い島から跳んで来たほうがいい。一帯は日本海の粗野な気配を漂わせて素朴に美しい。振り返って大山《だいせん》の向こうに雲が立つときは、
——あのあたりが神々のすみかだな——
わけもなく厳粛な気分に包まれてしまう。
兎の予言はみごとに的中。ヤガミヒメは八十神たちの申し出に答えて、
「あなたがたの言葉なんか聞きたくないわ。私はオオアナムジの妻になりたいの」
と、けんもほろろの御挨拶《ごあいさつ》。
八十神たちは、
「あの野郎、許せん」
「荷物運びのくせしやがって」
「殺してしまえ」
一計を案じ、伯耆国手間《ほうきのくにてま》の山のふもとにオオアナムジを連れて行き、
「いいか。ここに赤猪がいる。おれたちが山の上から追い出すから、下でしっかりつかまえろ。逃がしたら承知しないぞ」
と命じた。
そのうえで、猪そっくりの大石を赤々と焼いて頂上から転がす。オオアナムジが受け止めると、体が焼け、押し潰《つぶ》されて死ぬ。
オオアナムジの母神が嘆き悲しみ、天に昇って、
「どうか生き返らせてやってください」
カミムスヒの命《みこと》に請い願った。カミムスヒの命は天地創造のころに生まれた尊い神で、人間の生命をつかさどっている。
「キサガイヒメとウムガイヒメを送って治療をさせましょうね」
いったん死んでしまったものを生き返らせるのは神代といえども、そう簡単ではないはず。オオアナムジは重傷を負ったが死んではいない、気息奄々《きそくえんえん》の状態だったのかもしれない。
キサガイヒメのキサガイは貝の一種らしいが、どの貝を言うのかわからない。この貝のエキスが火傷《やけど》の治療によいらしい。ウムガイヒメのウムガイははまぐりのこと。キサガイヒメが体液をしぼり出し、ウムガイヒメが貝がらに受け、それをオオアナムジの体に塗ると、火傷は治り、生き返った。
生き返ったオオアナムジを見て、八十神たちは、
「あの野郎、まだ生きてたのか」
「今度こそ殺してやる」
また山へ連れて行く。
大木を縦に切り裂いて、くさびで止め、その間にオオアナムジを立たせておいて、くさびを打ち抜く。たちまち挟まれて死んだ……はずだが死んではいない。
母神が見つけ木を裂いて救い出し、
「ここにいては、ろくなことがないわ。本当に殺されてしまう」
と、いったんは紀伊《きい》の国のオオヤビコのところへ逃がしたが、八十神はここにも追って来て矢をつがえて射る。うまく逃げおおせたが、とても安全とは言えない。
「では、スサノオの命のいらっしゃる根《ね》の堅洲国《かたすくに》へ行きなさい。きっとよい対策を考えてくださるでしょうから」
母神はスサノオの命の子孫なのだ。ということはオオアナムジも血筋に属するわけだが、それはともかく、
「わかりました」
根の堅洲国というのは地底の国。どういういきさつでスサノオの命がここにいるのか、つまびらかではないけれど、スサノオの命は高天原《たかまのはら》にあったときから「死んだ母のいる黄泉《よみ》の国へ行きたい」と告げている。この願いがかなって生きながら黄泉の国に住んでいたのではあるまいか。
母神の勧めるままにオオアナムジが根の堅洲国へ赴くと、スサノオの命の娘スセリビメがまず現われて、
「あらっ」
「おや?」
目と目があい、一瞬にしておたがいに一目惚《ひとめぼ》れ。即、その場でまぐわって、身も心もひたすらに愛のとりことなってしまった。
スセリビメは館へ帰って、
「とてもりっぱな神様が訪ねていらしたわ」
と、父なるスサノオの命に伝えた。
スサノオの命が外に出て、ジロリ、と観察する。
——気に入らん——
これは……現代でもよくあることだ。娘が心を弾ませて連れて来た男なんか、父親はわけもなく好きになれない。自分の大切なものを奪いに来たライバル。後で親しくなることがあっても第一印象は、まずペケ。胡散《うさん》くさい。
「どこがりっぱな神様だ。アシハラシコオと名のればいい」
アシハラは葦原、地底の国に対して地上の国くらいの意味である。シコオは醜男。てんからばかにした扱いだ。
オオアナムジが戸惑っていると、
「あそこで寝ろ。貸してやるから」
と指さした先は蛇の室屋《むろや》だった。スセリビメがそっと手拭《てふ》きを渡して、
「これは蛇の手拭きと言うの。魔力が秘めてあるわ。蛇が咬《か》もうとしたら、三度振って」
と言う。
蛇の室屋に入れられたオオアナムジがその通りにすると蛇はみんなおとなしくなってしまう。ぐっすりと眠ることができた。
次の夜は、百足《むかで》と蜂の室屋に入れられたが、このときもスセリビメが百足と蜂の手拭きを渡してくれたので無事に夜を過ごすことができた。
——しぶといやつだ——
スサノオの命はオオアナムジを荒野に連れ出し、かぶら矢(射ると鳴りひびくように作った矢)を草原の中に放って、
「おい、取って来てくれ」
「はい」
オオアナムジが草原に駆け込んだとたん、野原に火を放った。たちまち火が走り、野原が火一色となる。オオアナムジは火に囲まれてしまった。
——どうしよう——
周囲をうかがうと、ねずみが一匹現われて、
「内はほらほら、外はすぶすぶ」
と言う。
この言葉の解釈は一様ではない。ほらほらは�広がっている�ことらしいが、すぶすぶのほうが�すぼまっている�あるいは�ブスブスと燃えている�なのだ。
前者なら�中は広いぞ。外のほうがすぼまっているけど�と穴の形状を言っているのであり、後者なら�中は広い穴になっているぞ。外は火がブスブス燃えているけど�となる。
いずれにせよ�土の下に大きな穴があるから、そこに隠れろ�という忠告らしく、オオアナムジが足もとを踏むと、言葉通り、ストンと大きな穴の中に落ち、そこに姿を隠すうちに火は燃え過ぎて行った。気がつけば、かたわらにねずみがかぶら矢をくわえている。矢の羽は子ねずみが食べてしまったが、本体は取り戻すことができた。
考えてみれば、野原に住むねずみも火をかけられたら逃げねばなるまい。地下の穴の中こそ逃げるにふさわしい場所だ。ねずみの行動をみて沈着冷静なオオアナムジが逃げ道を発見した、と考えるべきエピソードかもしれない。「内はほらほら、外はすぶすぶ」は、オオアナムジの心の中に想起したイメージであり、それを「ねずみから聞いた」と意識したのではあるまいか。
焼け死んだと思ったオオアナムジが矢を持ち帰ったと知るや、スサノオの命は大広間に呼び入れて、
「髪のしらみを取ってくれ」
と命じた。
ところが、頭にはしらみではなく百足がウジャウジャ。ふたたびスセリビメが現われて椋《むく》の実と赤土を渡す。
——これで、どうする——
オオアナムジは目顔で尋ねた。
スセリビメが身ぶり手ぶりで教える。
——ああ、そうか——
すぐにわかった。
しらみ取りはしらみを口に含んでプチュンと噛《か》み殺し、ペッと吐く。百足相手では、それができない。やろうとすれば、こっちが毒針で刺されてしまう。スサノオの命の狙いもそこにあった。
ならば、椋の実を口に含んでプチュンと音をたて、次に赤土をペッと吐く、いかにも百足を取っているように見えるではないか。
案の定、スサノオの命は騙《だま》されて、
——見どころのあるやつだ——
ゴーゴーといびきをかいて眠ってしまった。
オオアナムジは髪をすくふりをして、スサノオの命の髪の束を大広間のたる木に結びつけ、部屋の戸口を塞《ふさ》ぎ、
「さあ、逃げよう」
スセリビメを背負い、スサノオの命の大刀《たち》に弓矢、ついでに琴まで取って逃げ出す。
ところが、この琴が木の枝に触れ、ジャランと音をあげたからスサノオの命が目をさます。
「おのれ! わしが眠っている間に」
と立ち上がろうとしたが、髪がたる木に結《ゆわ》えてあるから、すぐには動けない。解きほぐしているうちにオオアナムジとスセリビメは手の届かないところまで逃げてしまった。
スサノオの命は黄泉比良坂《よもつひらさか》まで来て……これは黄泉の国と地上との境にある坂で、その昔、イザナギの命が黄泉の国から逃げ出し、イザナミの命とののしりあった、あの地点である。スサノオの命もそこで、
——娘をあの男に委《ゆだ》ねよう——
と思ったにちがいない。
「おい、オオアナムジ。わしの大刀と弓矢を使って八十神《やそがみ》を倒せ。スセリビメを妻にして、これからはオオクニヌシと名のれ。宇迦《うか》山にりっぱな宮殿を建てろよ。しっかりした土台石の上に宮柱を建て、天高く棟木を渡せ」
宇迦山はまさしく現在の出雲大社の近くにある山だ。これが出雲の大社へと繋《つな》がっていく。
娘の婿に課したテストは、すべて合格。荒っぽいテストであったけれど、スサノオの命なら、これくらいのテストをやるだろう。娘が連れて来た男をわけもなく胡散《うさん》くさいと見ていた父親も、相応の若者と知れば、
——譲るより仕方ない——
となるのも、よくある世情だろう。スサノオの命の心理とビヘビアは、年ごろの愛娘《まなむすめ》を持つ父親の典型であった。精神科学者のフロイトが知ったら、スサノオ・コンプレックスと名づけたのではあるまいか。
このエピソードを題材にして芥川《あくたがわ》龍之介は〈老いたる素戔嗚尊《すさのおのみこと》〉を書いている。豪放|磊落《らいらく》で暴れん坊のスサノオの命も年老いて、娘と二人暮らし、そこへ一人の青年がやって来る。古事記の記述をおおむねたどりながら、足りない部分を丁寧に補って臨場感を盛り上げ、心理をこまかくたどっている。娘の心をとらえた若者を、さんざんひどいめにあわせるが、最後は手を取り合って逃げていく二人に、芥川龍之介が描くスサノオの命は大きな笑いを送る。
�それから——さもこらえかねたように、瀑《たき》よりも大きい笑い声を放った。
「おれはお前たちを祝《ことほ》ぐぞ!」
素戔嗚は高い切り岸の上から、はるかに二人をさし招いた。
「おれよりももっと手力《たぢから》を養え。おれよりももっと知慧《ちえ》を磨け。おれよりももっと、……」
素戔嗚はちょいとためらった後、底力のある声で祝ぎつづけた。
「おれよりももっと仕合わせになれ!」
彼のことばは風とともに、海原の上へ響き渡った。この時わが素戔嗚は、|大日※[#「雨/(口口口)/女」、unicode5b41]貴《おおひるめのむち》と争った時より、高天原の国を逐《お》われた時より、高志《こし》の大蛇を斬った時より、ずっと天上の神々に近い、ゆうゆうたる威厳に充《み》ちていた�
芥川龍之介にしては、まっとうな結末だが、人間のドラマが感じられる快い短篇に仕上がっている。遠い時代の気配も漂っている。
逃げのびたオオアナムジはスサノオの命からもらった武器で八十神をことごとく討ち倒し、オオクニヌシの命として、文字通りこの一帯に君臨する。
因幡のヤガミヒメもやって来て、オオクニヌシの命の子を産むが、スセリビメが正妻にすわっているから大きな顔はできない。木のまたにその子を挟んで帰って行った、と古事記は伝えているけれど……ちょっとかわいそう。釈然としない。男は武器で戦い、女は愛で戦い……だから敗れても仕方がないということなのだろうか。