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心の旅路03

时间: 2018-03-31    进入日语论坛
核心提示:踊る指「苫《とま》小《こ》牧《まい》は根っからの製紙業の町なんですよ。紙、紙、紙、カミサマばかりでほかにお見せするものは
(单词翻译:双击或拖选)
 踊る指
 
 
「苫《とま》小《こ》牧《まい》は根っからの製紙業の町なんですよ。紙、紙、紙、カミサマばかりでほかにお見せするものはなんもなくって」
 
 木《き》田《だ》さんは車の助手席から体を捻《ひね》りながら生《き》真《ま》面《じ》目《め》な声で言った。
 
 千《ち》歳《とせ》の飛行場に着いたときにも同じ台詞《せりふ》を聞かされた。謙《けん》遜《そん》と自負とが半分ずつ入り混じっている。
 
 たしかにこの町には、旅人の目を慰めるような名勝史跡はほとんどなにもないようだ。景色の美しい場所なら、これから先北海道の到るところにあるだろう。蟹《かに》のうまさもトウモロコシの甘さも本来は苫小牧のものではあるまい。
 
「ですが、まあ、そうおもしろいところじゃないですけど、製紙工場は一見の価値がありますです」
 
 木田さんは控え目な身ぶりではあったが、語気のほうは、どうしてもこれを見てもらわなければ気がすまぬ、といった調子だった。
 
「ぜひ拝見させてください」
 
 車の外は折あしく雨。それも並大抵の降りではない。ワイパーの動きが用をなさないほどに水の膜を作って雨が流れる。
 
 おびただしい銀の糸を透かして見る町には人の姿もない。苫小牧はどんな町かと尋ねられても、ただ〓“雨〓”としか答えられないような、そんな激しい驟《しゆう》雨《う》だった。
 
「今ごろこんな雨はめずらしいんですがね」
 
「はあ」
 
「すみません」
 
 天気が悪いのは木田さんの責任ではあるまい。
 
 むしろ激雨にもかかわらず案内の労を取ってくれた木田さんに、こちらのほうが恐縮してしまう。
 
 車がザザッと人の丈よりも高い水しぶきをあげて舗装の道から泥の道へと入った。
 
 工場が近くなったらしい。
 
「この工場なんですがね」
 
 木田さんが灰色の塀を指差してからも、まだしばらく車は走った。厭《いや》でも工場の大きさが実感させられる。
 
 門をくぐると、あちこちに小山のような古紙の堆《たい》積《せき》があった。
 
「ここでは古紙を再生して新聞紙を作っていますです」
 
「チリ紙交換で集めて来たやつですね」
 
「はい。初めのうちは北海道の古紙を使っていたんですけど、それじゃ間にあわなくて内地の紙を集め、今じゃアメリカやカナダから来てるんです」
 
 なるほど。よくみると、外国雑誌のけばけばしい色の表紙が散っている。
 
 木田さんが傘をかざして雨の中に飛び出し、守衛の詰め所らしいところへ駈《か》け込んだ。
 
 すぐに戻って来て、
 
「まっすぐ行って直接工場の中へ車を入れてください。そのほうが濡れませんから」
 
 前半は運転手に言い、後半は私に告げた。
 
 工場の中も古紙の山ばかり。
 
 そのかたわらで幅十メートルほどの、エスカレーターみたいな幅広いコンベイヤーが古紙を平らに載せてゆっくりと昇っている。
 
 ——今日は日曜日だったかな——
 
 そう疑ってみたくなるほど人影は少ない。
 
 町に人の姿が見られなかったのは雨のせいだろうが、工場のほうはどの工程もおおむね機械の作業に委《ゆだ》ねられている。人間が少ないのはべつにあやしむこともない、平常の姿なのだろう。
 
「まあ、これからこの古紙を細かく裁断して繊維にして、それを紙に漉《す》くわけなんですがね」
 
 削断機の音がものすごいので木田さんの声は途切れ途切れにしか聞こえない。
 
「古紙だけで新しい紙を作るんですか」
 
「いや、新しい繊維も混ぜますです」
 
 木田さんはあちらこちらを指差しながら足早に進む。
 
 私は聞こえぬ声に頷《うなず》きながら機械の脇《わき》の細い通路を進んだが、もとよりなにをやっているのかよくわからない。古紙はドロドロの粘液となり暗《あん》渠《きよ》の中をどんよりと流れ動いて行く。どんな不満があるのかブツブツと灰色の泡を立てながら。
 
 私は最前、幅広いコンベイヤーを見たときに、
 
 ——もしこの古紙の上にゴロリと寝転がっていたらどうなるのかな——
 
 と、埒《らち》もない想像を抱いたのだったが、さしずめ今ごろは削断機でグダグダにくだかれ、なにもかも正体のわからない溶解物となって気泡をあげている頃だろう。
 
「古紙はみんな印刷物だから、染料が塗ってあるわけですよ。それをきれいに取り除くのが大変なんですね」
 
 暗渠が長々と続いているのはどうやらその作業のためらしい。
 
 広い工場の中を歩き廻り、ようやく紙らしいものの見えるところにまでたどりついた。漂白した繊維を薄く伸ばしてローラーにかけながら火熱で乾かす。十畳間ほどの紙がゆっくりと流れ出て来て、それがまたローラーに巻かれて製品となる。
 
「ただそれだけのことなんですがね。日本で使う新聞紙の大半はここで作られているんですよ」
 
「ああ、そうですか」
 
 私はわかったような、わからないような気分で相《あい》槌《づち》を打った。チリ紙交換の古紙がこんな形で再生されるのだと、その現実をまのあたりに見ただけでも収穫だろう。素《しろ》人《うと》の見学はどの道その程度のものだ。
 
「ああ、これは……」
 
「ご存知ですか」
 
「ええ」
 
 工場の片隅に紙を所定の大きさに切り落とす裁断機が鋭利な刃を光らせていた。
 
 私も図書館に勤めていたことがあるのでこの機械にはいくらか馴《な》染《じ》みがある。製本室で使っていた。大きさにはだいぶ差があるが銀色の刃が滑るように降りて来て、さながらバターでも切るようにサクリと紙の束を切り落とす。
 
 ウッカリ指でも出していようものなら、機械はなんのためらいもなく小気味よく骨を切り落とすだろう。
 
 じっと見ていると、
 
「おいで、おいで」
 
 と呼んでいるようで、あまり気持ちのいい風景ではない。
 
「ありがとうございました」
 
「まあ、こんなところですな」
 
 外に出ると相変わらずの雨。
 
 小一時間ほどの見学だったが、北国はやはり日没が早いのだろうか。空はすでに雨の上で黒く染まっていた。
 
 木田さんから夕食をご馳《ち》走《そう》になり、傘をさして少しだけ夜の町を歩いた。
 
「札《さつ》幌《ぽろ》とちがって、たいした遊び場もないんですよ」
 
 一軒だけバーを覗《のぞ》いてみたが、木田さんの言葉通り格別に楽しい雰囲気ではない。そもそも酒場なんてところは、いくらか顔馴染みになって初めておもしろさが湧《わ》いてくるものだ。そのうえ胃袋のほうは、蟹と烏《い》賊《か》そうめんと——どちらも腹に入るとやけに量《かさ》の脹《ふく》れる食べ物だが——その他さまざまな料理で、もう飲み物だってあまり受けつけたくない状態だった。
 
 よほどの美形でもいなければ、ゆきずりのバーで長居はできない。苫小牧にけっして美人がいないわけではあるまいが、少なくともその酒場はそうだった。運がなかったのだろう。
 
 私の知人の物《もの》識《しり》博士の言うところでは、
 
「若い女が五百三十八人いると、その中に一人衆目の認める美人がいる率なんだ」
 
 とか。
 
「へーえ、そんなものかな」
 
「うん。だから女学校の一学年に一人いるかいないかの確率だな」
 
「しかし、どうして五百三十八人なのかな。だれが調査したのだろう」
 
 こう尋ねると、博士は悪《いた》戯《ずら》っぽく笑って、
 
「嘘《うそ》の五《ご》・三《さん》・八《ぱち》と言うじゃないか」
 
「なんだ、それは」
 
「知らんのか、人間にデタラメの数字を言わせると、5と3と8を挙げる確率が高いんだ。これは真《ま》面《じ》目《め》な話。心理学の実験結果だぞ」
 
「なーんだ、そういうことか」
 
 この話を聞いたのも新宿のバーだったろう。酒場とは、こういう無駄話をして初めて楽しい場所である。木田さんと私は水割り一ぱいずつで店を出た。
 
 木田さんはホテルまで送ってきてくれて、
 
「どうもお楽しみの場所がなくて、すみません」
 
 と、この点に関しても、彼はおおいに恐縮している。苫小牧市が悪い印象を与えるものなら、天気の悪いことから、酒場に美人のいないことまで彼は責任を感じるつもりらしい。田舎の人らしい実直さだが、そうまで気を使ってもらうと、こちらがかえって心苦しい。
 
「札幌より千歳空港に近いから、航空会社の人は苫小牧に泊まるケースが多いんです。あ、そうです、このホテルにはスチュアデスが泊まってますよ。よくコーヒーを飲んでます」
 
 私がよほど物ほしげな顔をしていたのだろうか、木田さんはまだ〓“美人〓”にこだわっているふうである。
 
 お言葉ですが、昨今はあまりスチュアデスの中に美女はおりませぬ。それこそ五百三十八人並べておいて、一人くらいの率ではありますまいか。
 
「どうぞご心配なく。疲れてますから今晩はもう寝ます。ありがとうございました。おやすみなさい」
 
「おやすみなさい」
 
 木田さんは明朝の予定を私に伝えて帰った。
 
 私は部屋に入ってシャワーを浴び、テレビのスウィッチをひねったが、そのまま眠り込んでしまったのだろう。
 
 次に目を醒《さ》ましたときには、テレビは赤紫の走査線だけの画面に変わっていた。
 
 頭が重い。
 
 体がだるい。
 
 飛行機に乗るために日頃のスケジュールを崩して早起きしたうえに、急に北海道の涼気に打たれ、風《か》邪《ぜ》を引いたのかもしれない。
 
 およそ医学的には納得のできない話だが、私には、
 
 ——ああ、今、風邪の黴《ばい》菌《きん》が入ったな——
 
 と思う一瞬がある。
 
 人混みの中から私の喉《のど》まで点線を描いて病原菌が飛んで来る経路が見えるような時がある。
 
 今朝の羽田空港でもそんなことがあった。あの時に感染したとなると、ぽつぽつ症状の現われる時期ではないか。
 
 ボストンバッグから愛用の薬を取り出して飲んだ。この薬はただの売薬だが、飲むと眠くなり意識がトロンと水《みず》飴《あめ》みたいに不定形になる。
 
 そんな時には、夢ともうつつともつかぬ状態に陥り、なにかしら頭に浮かぶものがある。それが、まれには小説の材料になったりする。
 
 私はベッドに転がったまましばらくの間、半睡状態のやって来るのを待ったが、今夜に限っていっこうに効果が現われない。薬が古くなっていたのかもしれない。
 
 それとも……私は旅に出ると、かすかに興奮するところがあって、長くは眠っていられない。限られた時間の中で、できるだけたくさん旅先の町の雰囲気を味わっておきたいという欲望があって——そうでもしないと少し損をしたように思う心理が、平常の意識と深層心理の間くらいのところに蠢《うごめ》いていて——旅の宿では早々と目を醒まして自転車で町を駈《か》けずり廻ったりすることも珍しくない。
 
「ホテル内の散歩でもしようか」
 
 雨ばかりが打つ狭い部屋に閉じ込められているのは、どうも酸素が少なくなるようで息苦しい。
 
 服を着替えて最上階のカクテル・ラウンジまで昇ってみた。
 
 ——スチュアデスがいるかな——
 
 まさかそんなことを思ったわけではあるまいが……。
 
 もとよりとうに営業時間を過ぎていて人影はない。だが、中へ入ってクッションに腰を落とすくらいのことはできる。
 
 私は窓際の席にすわって緞《どん》帳《ちよう》のような重いカーテンを細目に開いた。
 
 外はただ闇《やみ》。
 
 おびただしい雨がガラス戸に当たって弾ねている。
 
 私はソファに背を預け、タバコをふかした。
 
 ラウンジは私のいるところを除いて光はない。もともとそういう仕掛けになっていたのか、それともボーイが電気を消し忘れたのか、目の前のテーブルに、一筋のスポット・ライトが射している。そのテーブルの脇のカーテンがテーブルの木《もく》目《め》をなかば覆うように掛かっている。
 
 ——なにやらミニチュア・サイズの劇場みたいだな——
 
 そう思ったのは、その時だったのか、もっと後のことだったのか……。いずれにせよ、意識が少しぼやけていたのは本当だ。
 
 スペインの酒倉で奇妙な人形劇を見たことがあったっけ。酔客はほかにも何人かいたのだろうが、ひどく陰影の深い、薄暗い酒場だった。
 
 ホテルのカクテル・ラウンジはあの酒倉よりずっと瀟《しよう》洒《しや》に作ってあったが、影の深さが——テーブルの上にたった一つだけ明るい光が落ちているさまが、どこかあの時の雰囲気に似ている。
 
 東洋人とも西洋人ともつかない面《おも》差《ざ》しの男が黒い蜜《み》柑《かん》箱のようなものを粗木造りのテーブルの上に置いて器用に人形劇を演じていた。
 
 スペイン語なので、物語のこまかいやりとりはわからなかった。〓“赤《あか》頭《ず》巾《きん》〓”のパロディみたいなものらしく、赤装束の人形と狼《おおかみ》とが猥《わい》褻《せつ》なやりとりを演じていた。
 
 スペインには、あんな古風な人形芝居が今でもちょいちょい残っているのかと思ったが、そうでもなかったらしい。スペイン通の人に聞いても思い当たるものはないと言う。あそこの酒場にだけ現われる、奇態な芸人だったのだろう。人形の動作にはそれなりにソフィスティケートされた愛敬があって、結構見られる演《だし》物《もの》だった。
 
 そんなことをぼんやりと思い出しているとエレベーターからラウンジへと続く廊下に足音が聞こえて、人影が現われた。
 
「今晩は」
 
 なんとなくスペインの人形使いを連想したが、そんなはずはない。紛れもない日本人。初老の男で、どこかで見たような面差しだが、だれだったろう。
 
「今晩は」
 
 私は挨《あい》拶《さつ》を返した。
 
「雨がひどいですね」
 
「ええ」
 
「これじゃあ一日中どこへ出るわけにもいきませんわ。陸の孤島ですな、まったく」
 
 その男も眠られぬ夜をもてあまして出て来たのだった。
 
「失礼」
 
 そう言って、私の前のソファに腰かけた。
 
 尻《しり》を半分だけ載せたのは、先客である私にいくらか遠慮をしたためかな。
 
「なかなかいいホテルじゃありませんか」
 
 男は暗いラウンジを見廻しながら言う。
 
「ええ」
 
「昔はなんにもない町でしたがね。ここ十年ばかりでえらく変わりました。飛行場は近いし、港はアメリカやカナダあたりから船が入るし、大分賑《にぎ》やかになってきましたな」
 
「そうですか。初めて来たものですから」
 
「おや、おや」
 
 相手は口先だけで驚いてから、
 
「このホテルも以前は製紙工場の敷地でしてね、私ゃこの近所の工場で働いていたんですよ」
 
「紙会社の景気がよかった頃ですか」
 
 私が大学を卒業する頃、求人広告の貼《は》り紙では製紙会社が一きわ高い初任給を掲げていたのを覚えている。
 
「いや、それより前ですな。ダンスのはやっていた頃ですから」
 
 ダンスの流行と製紙業の隆盛と、時代的にどういう年月をへだてているものか、私には記憶がない。
 
 男の表情は若く見えたが——と言うよりいったい何歳くらいなのか、見当のつけにくい風《ふう》貌《ぼう》だったが、話から察して私より十数年は上、おそらく六十に届くのではあるまいか。
 
「ダンスですか」
 
「はい。私ゃ内地のほうで仕事をしくじってしまって、まあ、就職口があったものだから、こっちへ渡って来ましてね」
 
「はあ」
 
「楽しみのなんにもない土地でしたからねえ。社交ダンスを覚えたんですよ」
 
「なるほど」
 
 私は作家の新《につ》田《た》次《じ》郎《ろう》さんが富士山の気象観測所で帚《ほうき》を相手にダンスを覚えたというエピソードなどを思い出した。
 
 苫小牧ではまさか帚をパートナーにするほどではなかっただろうが、娯楽設備の少ない地方都市で、社交ダンスが若い人たちの恰《かつ》好《こう》な楽しみとなった話は、ほかでも聞いたことがある。
 
「あなたは踊れますか」
 
「いえ、駄目なんです」
 
「それは残念。やってみるとなかなかおもしろいものですよ」
 
「ええ、たぶん……」
 
「私はすっかり夢中になっちまいましてね。一時はプロのダンサーになろうかと思ったほどですよ」
 
「そりゃあ……」
 
 私は曖《あい》昧《まい》に言い、さりげなく男の体恰好を観察した。
 
 年を取っていくぶん背筋は彎《わん》曲《きよく》しているが、脚は長く、若い頃にはおそらくスタイルのいい男だったろう。
 
「でも、途中でダンスのできない体になってしまいましてね」
 
「なんですか」
 
「骨の病気ですよ。それでもダンスは忘れられない。それで、ベッドに寝ているうちに、しようがない、指のダンスを研究しましてね」
 
「指のダンス……ですか」
 
「はい。ほら、見てごらんなさい」
 
 男はそう言いながら私の目の前についと両手の指を差し出した。
 
「私の指はちょっと変わっているでしょう。生まれつき人差指と中指の長さが同じなんですよね」
 
 言われてみると、その通り。二本の指の丈がほとんど変わらない。私はあらためて自分の掌を見たが、ほぼ一センチほど中指のほうが長い。これが普通の手というものだろう。
 
「野球のピッチャーでもいましたよね。指が他の人と少し違っているために特別なボールを投げられる人が」
 
「ええ」
 
「私も、この指、なんかの役に立たんかいなって思ってたんですが、急に思いつきましてね。よし、この指にダンスを踊らせてやれ」
 
「おもしろそうですね」
 
「はい。右の指二本が男の足、左の二本が女の足。ズボンを穿《は》かせスカートを穿かせ、ナーニ、上半身なんかなくたってダンスの気分は充分に出せますからね」
 
「練習なさったわけですね」
 
「そう。毎日鏡の前で練習して……」
 
「ええ……」
 
「お見せしましょうか」
 
 男の指はもう膝《ひざ》の上で軽くステップを踏み始めていた。
 
「はい。是《ぜ》非《ひ》」
 
「じゃあ,ちょっとあなたの上着を貸してくださいな」
 
「どうぞ」
 
 男はカーテンの裂け目に椅《い》子《す》を置き、椅子の上に私の黒い上着をかけ、膝を落として椅子の背から腕を出した。男の姿はカーテンの中にすっぽりと隠れてしまった。
 
 四本の指はすでに白いズボンと赤いスカートをはいている。
 
「なにを踊りましょうかな」
 
 カーテンのうしろから男の声が響いた。
 
「一番得意のものを」
 
「じゃあ、一番ポピュラーなところで、ラ・クンパルシータを」
 
「ええ」
 
 細い口笛が鳴り、椅子の上で指が踊り始めた。
 
 本当のところさして期待もしていなかったのだが、踊りが始まったとたん、私はたちまち目を見張らなければいけなかった。
 
 カーテンが緞帳のように垂れている。黒い上着が手首を隠している。ラウンジのスポット・ライトがほどよい大きさで光《こう》芒《ぼう》を広げている。
 
 椅子の台は木製で、さながら舞台のフロアーにふさわしい。
 
 四本の指は彼の口笛にあわせてみごとなステップを踏みだした。とても指のようには見えない。なにやら天井桟敷から遠く、小さな舞台を眺めているような風景だ。
 
 曲が止み、脚も止まった。
 
「いかがですか」
 
「すばらしい」
 
「じゃあ、もう一曲」
 
「なんですか」
 
「そうね。〓“浪《なみ》路《じ》はるかに〓”をフォックス・トロットでやってみましょうか」
 
「はい」
 
 ダンスを踊れない私には、フォックス・トロットがどんなステップかわからなかったが、曲のほうならよく知っている。ずっと昔、どこかの深夜放送がテーマ音楽に使っていた。原題はたしか メSail along silvery moonモ ではなかったか。いかにも銀色の海に帆船が一つ、なめらかに滑って行くようなメロディだ。
 
 雨は降りやんだのだろうか。
 
 さっきから窓を打っていた激しい響きは消えてしまった。聞こえるのは彼の細い口笛の音色だけ……。
 
 四本の指は軽く、歯切れよく、楽しそうに弾んでいる。人気ないフロアーで、一組の男女が心地よさそうに戯れてる……。
 
 曲が終わったとき、私は小さく手を叩《たた》いた。
 
「うまいものですね」
 
「おそれいります」
 
 こんな芸があるとは知らなかった。まったく世間にはどんな奇特な人がいるかわからない。
 
 それにしてもこれだけ熟練するには、どれほどの練習が必要なんだろう。中指と人差指と、二本の指の長さが似通っているという身体的な条件をべつにしても、そうそうだれにでもできることではあるまい。
 
「気に入りましたか」
 
「ええ」
 
「じゃあ、わる乗りをして、もう少し」
 
 口笛は〓“魅惑のワルツ〓”を奏で、足の動きは——いや、指の動きは、ゆるやかな、床《ゆか》を掃《は》くようなステップを取った。
 
 曲の題名から察して、これはワルツなのだろう。メロディにつれ映画のシーンが浮かぶ。ゲーリー・クーパー、オードリイ・ヘップバーン、それからモーリス・シュバリエだったな。シナリオもよくできていたが、音楽の美しさが抜群だった。
 
 本来ならば、クーパーが私立探偵の役を、シュバリエが女《おんな》蕩《たら》しの役を演ずるのが普通なのだろうが、それを逆にしたところがおもしろかった。逢《あい》引《び》きの場面には、かならずお抱えの楽団がついて来て、甘い音楽を奏でる。ラブ・シーンそのものが典雅なダンスのようだった。連想はとめどなく広がる。そのうちにステップが急にすばやい動きに変じ、音楽も変わった。
 
 これは……このリズムは、私にも見当がつく。
 
 たぶんサンバだろう。
 
 曲名は……そう、〓“エル・クンバチェロ〓”と言うんだ。カーニバルのリズム。激しい動き。汗の臭《にお》い。
 
 こちらもつい指で拍子を取りたくなる。
 
「あれ?」
 
 思わず独りごちた。
 
 私は最前からただひたすら感心して呆《ぼう》然《ぜん》と指の動きに見とれていたのだが、ふと奇妙なことに気づいた。
 
 サンバが始まった頃から指の動きがおかしい。
 
 狂気のように激しく乱舞している。
 
 相変わらず指の動きは見事なものだ。
 
 だが……見事過ぎやしないか。
 
 四本の指がまるで独立した生き物のように踊っている。
 
 ——そんな馬鹿な——
 
 私は凝視した。
 
 指は右に動き、左に跳び、クルリと回転して複雑な運動を描く。
 
 ——手の指にこんな動きができるはずがない——
 
 そう思ったとき、口笛の音が遠のいた。
 
 遠のいたのではなく、もともとその音色は私の頭の中でのみ響いていたのではないか。
 
「あの……」
 
 声を掛けたが返事はない。
 
 自分でもよく理由のわからない恐怖が走った。
 
 私は立ちあがり、舞台を——椅子の舞台を覆っている上着をサッと払いのけた。
 
 男の姿はなかった。
 
 それだけではない。その瞬間、私はたしかに見たのだった。
 
 四本の指が——手首のない指が、さながら演技を終えたバレリーナたちのようにススッと小走りに走りながら緞帳の中へ引き退がるのを……。
 
 すぐにカーテンを払った。
 
 男の影も、四本の指もなかった。ただ、青いスポット・ライトがカーテンの一角を照らしているだけ。静寂が途切れ急に聞き慣れた雨の音が戻ってきた。雨は激しく打って窓を濡らしている。
 
「もし」
 
 もう一度声をあげたが、ラウンジはひっそりとしている。カーテンをくまなくたぐってみても、なにもない。
 
 ——なにかブラック・マジックのようなものを見ていたのだろうか——
 
 私はまどろんだのだろうか。
 
 
 
 翌朝は林業研究所を見学して、それから札幌へ入るスケジュールだった。
 
 雨は降りやまない。
 
 木田さんは、
 
「また雨ですね」
 
 と、くやしそうに言う。
 
「いつやむのかな」
 
「すみません」
 
 私は今朝目醒めたときからずっとサマセット・モームの〓“雨〓”という短篇のことを思っていた。
 
 孤島の雨。何日も何日も降り続ける雨。そのうっとうしさが一人の宣教師の理性を狂わせてしまう小説だった。
 
 ——少し似てるかな——
 
 旅先のホテルで雨に降りこめられるのも、ひどく滅入った気分になるものだ。私にはちょっと閉所恐怖症のところがある。〓“閉じ込められる〓”ということが好きになれない。体調がわるければなおさらのことだ。
 
「よく眠られましたか」
 
「はい、まあ」
 
〓“寝つきが悪かった〓”と言えば、木田さんはそれもまた自分の責任だとばかりに恐縮するだろう。
 
「夢を見ましてね」
 
 私は自分の戸惑いに結論を下すように木田さんに告げた。
 
「いい夢でしたか」
 
「ヘンテコな夢でした。夢の中にネ……」
 
「はい」
 
「指が出て来ましてね」
 
「ええ」
 
「ダンスを踊るんですよ。とても上《じよう》手《ず》に。まるで一本一本が生きた生き物みたいに」
 
「ああ」
 
 木田さんは小さく呟《つぶや》いてから、
 
「本当に夢でしたか」
 
 と、聞く。
 
 思いがけない質問に私は驚いた。
 
「ええ、でも……」
 
 思わず口ごもってしまう。
 
 助手席の肩が笑いながら言った。
 
「製紙工場では紙の裁断機を使うでしょう。よく事故を起こして指を切ってしまう人がいたんです。最近は機械もすっかり改善されましたけど、昔はよく」
 
「…………」
 
「その指が幽霊になって出て来るんだそうです。私ゃまだ見ませんですけど。製紙会社の町じゃよく聞く怪談なんです」
 
 木田さんは含み笑う。
 
 私はさぞかし珍妙な表情を作っていただろう。前日見学した工場の、鋭い裁断機の印象が甦《よみがえ》った。
 
 もし誤って手を出したら、五本の指が棒チーズのようにサクリと切り落とされてしまう。
 
 ——しかし、その指の幽霊が出るなんて——
 
 雨がまた強くなった。車の中は息苦しい。
 
 ——それにしても——
 
 とりとめもない思考をまとめようとして窓の外に目を移すと、雨の歩道を相合傘の脚が急ぐ。上体を傘の中に隠して、四本の脚がしなやかに踊って消えた……。
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