元気ないのよねえ、ほんとに、伊田ったら。昨日の夜もそうだったし。
彼女の場合は、強化合宿っていうよりは、調整。もうすぐインターハイだから。練習のメニューも、ハードルのグループ内でひとりだけ違ってるらしい。
他にもさ、インターハイに出られるやつは何人かいるけど、彼女の場合は、去年もう全国で入賞してるでしょ。なんか雰囲気が女王様なのよ。
最初のミーティングでも、わざわざ前に呼ばれて紹介されてね、彼女の技術を盗むようにって。だめよ、勝手に盗んじゃ。彼女は俺のものなんだから。
で、だらだら話してたの。昼飯の間。俺はもう食い終わってたんだけど、伊田がメシ食うの待ってて。高校と違って午後の練習が始まるまでは、たっぷり時間がある。
そしたら、突然、広瀬がしゃべりだすじゃないの。俺、こいつがいたこと忘れてたね。
「あの、昨日、たまたま見たんですけど、振り上げ足が流れてません? 南関東ブロックのときと比べて。ぼくは専門外だから、見当違いのことを言ってるかもしれないけど」
伊田は広瀬の方を見た。べつに驚いてるふうでもない。
「足を振り上げるとき、もっと、膝《ひざ》からまっすぐ行くべきなんじゃないかな。それで、こんなことも気づいてるだろうけど、着地の位置がちょっと前に出てしまってて、えーと、こんな感じかな」
広瀬は、テーブルに楊枝並べて説明する。だめじゃないの、伊田のこと見てたら。自分の練習に集中しなさいよ。
それに変なやつ。だって、俺だったら、あのからだ抱き締めたいな、とか思ってわくわくして見るのに、ハードルから何センチ先にスパイクが着いたか注目してるの。こいつ、変態。
伊田は魚のフライを口にくわえたまま聞いてる。
「だから、結局、イメージとしては、こころもちたたきつけるようにして、つまさきから振り上げ足を降ろしたらいいんじゃないのかなあ」
もお、広瀬ったら生意気。伊田に向かってフォームの指導するなんて。だいたい、フォームなんて、どうでもいいのよ。
アメリカの大リーグの選手なんて見てごらんよ、めちゃくちゃじゃないの。それで打てるし速い球投げられるんだから。野球よりベースボールの勝ち。
たぶん野球するやつ以上に、陸上のやつらってせこいね。フォーム、フォームって、うるさい。要はパワーよ。速く走りさえすればいいんだから。ねえ、伊田さん。
広瀬は、しゃべり終わって、ちょっと変な顔してた。恥ずかしそうにしてるのか、それとも言ったことを後悔してるのか、よくわからないけど。
それで、俺がしゃべって、なんか広瀬のこと冷やかして、伊田はちょっと笑ったりしながらメシ食ってた。
で、食い終わると、
「あんた、ありがと。やってみるよ」
って言って、広瀬に向かって微笑んだ。
いい笑顔なの。もう、たまらないね。