ぼくはひとと一緒にいるのがあまり好きではない。人間嫌いというほど大袈裟《おおげさ》なことではないと思う。でも、ある程度の時間をひとといると、なんかすぐに疲れてしまう。
窓の外では、小さなざわめき。あちこちの部屋でのおしゃべりなんかが響いているのだろうか。合宿の夜を楽しむ。
ぼくは窓枠に手をつき身を乗り出して、スポーツセンターの敷地を越えた向こうの真の闇、森の中を思う。静かに渡る風が木々の葉を揺らし、小動物たちが夜を眠る森。
下に見える窓の明かりとかざわめきよりも、ぼくはあの闇の中に親しみを感じる。
小さいころはそんなに孤独癖みたいなものは持っていなかったような気がするけど、それもあやしい。ぼくは記憶なんて信じない。それは、現在の自分が好ましいように作りあげた、ひとつの物語の気がする。まず、何よりも、前にも言ったように、ぼくという人間の連続性を信じてないんだし。
ともかく、ぼくはいま、合宿に飽きていた。同室の短距離走者はべつにいやな人間じゃないけれど、もう、口をききたいとは思わない。ひとりになりたい。
まあ、それも今晩までだ。明日の午前中で合宿は終わりだ。そうしたら家に帰れる。自分ひとりの部屋に。
だから、ぼくはドアがノックされ、振り返って中沢が立っていたときには、少しうんざりした。三日間、一緒に走って、何回も食事をしていたのだ。このうえ、いったい何をしようっていうんだ?
でも、中沢はとても元気。
「散歩しに行こうぜえ、今晩が最後だろ?」
って。
ぼくが断る可能性なんて全然考えてない感じ。とても楽しそうにしている。
そして中沢が笑っているのを見てると、まあ、いいかって思ってくるのは、なぜなんだろう?
この男には、基本的にひとを魅きつけるところがある。ぼくみたいな憂鬱《ゆううつ》症タイプの人間には、まったくない要素だ。中沢が誘うんなら、外に行ってもかまわないか、という気にさせる。
けれど、ホールへ続く階段を降りていって驚いた。
ごちゃごちゃと電話が並んでいたり掲示板があったりしているところの反対側、コンクリート打ち放しの、何の飾り気もない大きな壁。そこにもたれているひとがいた。
夜とはいえ夏なのだけれど、きちんとウォームアップ・スーツの上下を着て、両手をポケットにいれて、軽く片足を曲げていた。
中沢は片手を上げて合図する。
伊田さんだった。
彼女は、ぼくたち、ぼくと中沢のことをよく見もせずに、背中を向けて歩き出した。合宿所の建物を出て、ぼくたちは彼女についていく。
外は涼しかった。月が雲の間から出てくるところ。
部屋にこもってなんていなくてよかった、とぼくはすぐに思った。夏の夜に外にいること(しかもスポーツセンターは山の中につくられているのだ)、それはなんて気持ちのよいことなのだろう。
三人で黙って歩いた。いつもはおしゃべりの中沢も静かだった。他の高校生たちから離れて、ぼくたちは共犯者のように静かに。
そう、その勘は正しかったことが、すぐにも証明された。
「ここで、いいや」
と言うと、中沢は、小道の脇のフェンスに飛びついた。
黙って、伊田さんも。
彼女の身長より高いのに、両手でからだを引き上げ、足をかけて簡単に乗り越える。不思議なことではない。一〇〇メートル・ハードルの全国大会での優勝候補なんだから。
何をする気なのかわからなかったけど、ぼくも続いた。
飛び降りた中は、もちろん、陸上競技場だ。